048.虹と追いかけっこ(1)
まだ、あの爆発音が耳に残っている。
「ベッドを空けて!一号室に移って!」
「無茶言うな!こっちは重体だ!他を当たれ!」
「他を当たっても無いから来てんのよ!」
言うや否や、ニアは治療中のネイサンの言葉を待たずにストレッチャーに寝かされた血まみれの男を部屋にねじ込んだ。不満を口にするネイサンを一睨みし、この患者の担当であるマルコの合図でベッドに移す。
外科勤務であるニアも、この戦場へかり出されれば、部署が違うだのといった不平を口にする気にはなれなかった。
気だるい雨の午後、病院に程近い商店が爆発したのはつい先ほどのことである。それは本当に何の前触れもなく訪れた。
地面を突き上げるような揺れ、かたかたと震える窓ガラス、次いで聞こえる悲鳴。
何が起こったのかを考えるよりもまず、体が反応していた。一種の職業病だろうと思う。
これだけの悲鳴、雨で車が歩道に突っ込んだのだろうか。だとすると外科へ患者も回ってくるに違いない。外科病棟で手早く薬剤庫をチェックしていると、同僚の看護師が真っ青な顔で飛び込んできた。
──爆発だって、ほら、あそこの店。
ほら、と言われてもニアはぴんと来なかった。なに、と聞き返した彼女の反応に苛立ったのか、泣きそうな声の同僚は最もわかりやすく、かつ最も伝えたくなかったことを口にした。
──アカシが巻き込まれたって。
一瞬、何がどうなっているのかわからなくなった。
巻き込まれた──何に?
同僚の声と真っ赤な目、それだけで判断する材料は充分あったはずなのに、ニアの思考はそれ以上の事を考えるのを停止した。
これも、一種の職業病なのだと思う。泣いている暇も足の力を抜かせる暇もない。爆発というなら店から近い病院への患者の殺到は必至だ。
アカシのことを考えるよりも先に思考が働き、そこへ涼がERへ出向しろという指令を持ってやってきた。
普段から救急外来に慣れているERの面々の足を引っ張らぬよう、気合を入れなおして階下へ下りた二人を待っていたのは、文字通り戦場だったのだ。
既にERで収容出来るだけの患者数はパンクし、軽傷の者に至っては待合室や廊下で処置を受けている。重症患者が重点的に治療を受けているようだが、それでもパンクしたERに収まりきるはずもなく、救急隊員が点滴のバッグを持ち、出血箇所を強く押さえながら怒号のごとく声を張り上げて部屋の空きを探していた。始めは一緒にいた涼もいつの間にか外傷室に引っ張り込まれ、今、ニアがこうしてマルコの元で働いている間もドアの前を走り去っていくのが見える。
「──ニア!」
体全体へぶつかる大声に驚き、ニアは自分の手元を見た。満タンの点滴バッグが握られている。それを脇からひったくるようにして別の看護師が取り、空になったバッグと交換した。
注射器を握ったマルコが彼女を睨む。
「治療出来ないなら出て行ってくれ!外科に連れていくまでに死なれたら困るんだ!」
普段、穏やかなマルコからは想像出来ないような怒声にその場にいた全員が凍りつく。自分が診ていた患者を外科を送り出したネイサンも、いつもなら茶化すものを、押し黙ったままだ。
溜め息をつき、真っ赤になったグローブと手術着を近くのゴミ箱へ投げて出て行こうとする。その時、マルコがすがるような声で小さく呟いた。
「……こいつが犯人なんだ」
一瞬、病院内の全ての音がマルコの声に道を譲った。次の瞬間にはネイサンが「なに?」と言いながら歩み寄り、治療に専念するマルコの視線を受けて部屋の外へ目を向ける。警官の格好をした男と背広の男が二人、刑事独特のぎらついた目でマルコの手技を見つめている。まるで視線のみでこの患者を射止めておくかのようだ。
「犯人って……おい」
笑いそうになる顔を叱咤してマルコに言う。
実際、笑いでもしないとやってられない気がした。何の冗談だろう。
「馬鹿言うなよ、こいつがいかれた爆弾魔だって?」
「……そうだ」
「お前……くそ、マジかよ……」
ネイサンは頭を掻き毟ってその場をうろつき始める。言葉が見つからないのだ。
だが、動けるならまだマシというものだ。ニアを始め、その場にいた看護師全てが動くことも出来なかった。
皆、アカシが巻き込まれたことは知っている。
──そして、彼女が秘めていた想いをマルコは知っていた。
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