004.子供の特権


 親が居てね、子供があるのよ。

 逆にね。

 子供が居てね、親があるのよ。


 懐かしい、母の口癖。

 本当に、懐かしい。



 目が覚めた瞬間、まだ十才だった私は突然親無しになった。

 特に不幸があったり悲劇的でもない。

 後々、その言葉の意味が理解出来たが、当時十才の子供に「蒸発」なんて意味を図り知ることは出来なかった。

──ちょっとね、遠い所にね、行っちゃってね。

 突然に両親を無くした子を傷付けぬよう、親戚の伯母が歯に何枚も絹を着せて言う。

 ところが申し訳ないことに、私はそんなに悲しくはなかったのだ。

「いなくなっちゃってね」

──うん、でも。

「どうしてかしら」

──お父さんもお母さんも嫌なことから逃げたかったんだと思うの。

「突然に」

──突然じゃない。結構前から二人で悩んでた。

「相談ぐらいしてもねえ」

──したくても、あなたは聞いてくれなかった。

「本当に可哀想に」

 周囲の大人が口々にそう言うが、誰一人として引き取ると言わなかった事を、今思い返してみると笑ってしまう。

 でも多分。

 あの時の私はそんなに悲しくなかった。

 ママがいたから。


「……そうね、あなた悲しそうじゃなかったわ」

「うん。だからね、親戚の人も引き取ろうとか言わなかったと思うのよ」

 ふふ、とママは笑った。

「わたしだって万能じゃないのにねえ」

「だって、あの時もう、私の両親は育児放棄してたじゃない?その私を育ててくれたの、ママだもの」

 育児ノイローゼだったと、ママから聞いた。誰にも相談出来ず、ただママだけが、未熟な二人から言葉を聞いていた。

──もう、駄目。

「あなたを育てて、と言われたからね」

「お陰さまで結婚出来るまでになりました」

「いい人ね」

「ママにそう言ってもらえると嬉しいわ」

「ご両親もお呼びすれば良いでしょう。許せないとか?」

「うーん……違うのよね」

 昔もそうなのだが、今も寂しくはないし許せないなどと、反感的な意もない。

 ただ一つ、やりたかった事を今したい。

「心配、させてやろうと思って」

「なに、それ」

「私、ママに育ててもらってたでしょう。自分で言うのもなんだけど、あまり両親に心配かけたことなかったな、って。一度ぐらいは心配かけてみたいのよ」

「変な子」

「まだ子供ですから」

「ママは私の心配してくれるけど、両親は心配してくれなかったんじゃないかしら」

「こんなしっかりした娘を指して心配なんか出来ないわよ」

 こんこん、とドアを叩く音がし、女性が顔をのぞかせる。

 ママは柔らかく笑った。日溜まりのような、この笑顔が好き。

「行きなさい。式に遅れるわよ」

「いいの。もう少し」

「遅れたら向こうの方々に迷惑がかかるでしょ」

「ママ、矛盾してる。凄い心配症」

 私とママは顔をつきあわせて、笑った。微かに触れたママの手が、少し冷たい。

「もう眠くて仕方ないのよ。わたしを不眠症にさせるつもり?」

「ごめんなさい」

 ベッドの中で、ママはにこりと笑う。

「親が居てね、子供があるのよ。逆にね……」

「子供が居て親があるんでしょう?大丈夫、わかっているわ」

「そう、良かった。まだ居るの?」

「眠ったら行くわ」

「年寄りの寝顔なんか見て何が楽しいんだか」

 微笑するママの顔に、眠気がよぎる。

「おやすみなさい。遅刻だけはしないようにね」

「おやすみ。ママ」

 目を閉じ、すう、とママは眠った。

 ドアの側に立っていた女性が歩み寄り、ママの手首を持ち、ベッドにとりつけられたモニターを見た。

「午前10時28分、MAMレギュラータイプ、コードD/0372。名称「ママ」、機能停止致しました」

 無機質な声はモニターから聞こえてくる。

 女性は私を見る。

「どうなさいますか。育児アンドロイドは再利用の為に工場へ送致しますが、ご希望があれば……」

「葬儀を。お墓も作れますよね」

「わかりました。では後程手続きをお願いします。……いい顔をしてらっしゃいますね」

「ありがとう。まだ居てもいいかしら」

 どうぞ、と言って女性は退室する。

──いい顔だって。

 見られたくないと言っていたが、笑っているように見える顔は幸せそうだ。

──だってね、ママ。

 まだ居たいって言ったのはね。

 心配だったのよ。

──だって、親を心配するのは子供の特権でしょう?

 ああ変だ、私。

「ねえママ。涙が出るのにね、ママの顔を見ると、とても幸せなの」

 多分、それは「ありがとう」。

 親に告げる為の、子供の言葉なんだ。



終り


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