043.入道雲モクモク
点滴のバッグを交換していると、その青い瞳がこちらを見つめているのがわかった。自分は真っ黒な瞳だから余計に目に入ったのかもしれない。
「なあに?」
笑いながら青い瞳の持ち主を見下ろす。ベッドに横たわった少年はブロンドの髪を枕に広げて、ただこちらを見ていた。いつも思うが「人形のよう」とはこの子のような事を言うのだろう。
それを言うと彼は怒るのだけど。
「何か欲しい?」
青い瞳が不機嫌そうに歪められ、早口で用件を告げた。だが、あまりにも早かったので耳に届く前に消えてしまい、もう一度聞き返す。
すると彼はそれまでの静かな仮面をかなぐり捨てて、食って掛かるようにして声を張り上げた。
「エロ本!」
そうして呆れた私は、彼の頭に一発を見舞うのである。いつものことだった。
「元気そうね。それなら食事は好き嫌いしないで出来るわ。体調不良なんかもう使い古されてるわよ」
「うるさい!」
「そろそろ次のネタを用意しときなさい」
「人形のよう」とは本当に第一印象のみでしか言うことが出来ない。口を開けば飛び出すのは乱暴な言葉、こちらも面食らうような言葉まで知っているものだから、どういう生活環境だったのかと訝ってしまう。
枕を投げつけそうな勢いの彼を置いて部屋を出る。険悪な表情で見送る彼に舌を出して返すと、その様子を見ていた看護師のニアが笑っていた。
「殴るのはどうかと思うわよ、アカシ」
「ああいう子にはあれくらいの調子が丁度いいの」
肩をすくめて備品室に入ると、ニアも後に続く。
「外科の方は?いいの?こっち来てて」
外科勤務のニアが小児病棟へ出向いているのが不思議だった。昨日の明け方の玉突き事故でERほどではないにしろ、外科も相当忙しかったはずである。
アカシのそんな視線を受けたニアは小さく笑って隣に立った。
「休憩。一段落したからね、これから休もうと思ったんだけど、他の夜勤組に空いてるベッド取られちゃって」
「それでこっちまで?ひっぱたいて起こしてやりなさいよ」
のう盆に必要な備品を入れながら時計を見る。十二時を回っていた。いくら昨日の事故で夜勤と日勤が入り乱れたからと言って、夜勤組はもう帰ってもいい頃だろう。
「いいわよ。私は昨日、一旦帰れたんだし」
「一旦って言っても着替え取りに行っただけじゃないの。わたしから言おうか?」
「いい、いい。私も大概、気の強い方だと思うけど、アカシには負けるわね」
呆れたようにニアが言う。アカシは戸棚を閉めて笑った。
「なあに、それ。まあ、お褒めに預かったと受け取っておくわ」
「是非、そうしてもらいたいわね。あの子は長いの?」
「ああ、うん、古株に入るかしら。レミーっていうんだけどね。でもそろそろ退院出来るのよ。それで苛立ってるのかしらね」
「両親は?」
「いない」
苦笑して答える。
「両親共に病死、親戚はいるんだけどどうも引き取りを渋ってて」
「ああ……」
「結構、説得したんだけどね。でもあの子もどこか諦めてるフシがあったから、里子で良いって言った時には何か納得しちゃった」
「そう。子供の口からそんな事聞くのは辛いわね」
「だから強がってるのかも。わたしはそれに付き合ってるわけ」
「結構、まんざらでも無さそうじゃない」
ふふ、とニアが笑って肘でつつく。
「やめてよね、欲しい物を聞いたらとんでもない事言うんだから」
笑いながら備品室を出た。ニアも充分、会話を楽しんだのか、寝床を探す為に後に続いて「なにを?」と問う。
手を振りながら答えた。
「未成年お断り!」
何か察したニアはくすくすと笑いながら「はいはい」と言って反対方向に歩いていった。
アカシはレミーがいる部屋に戻り、のう盆の中身を棚に補充していく。その行動を逐一、レミーが目で追っているのがわかった。
「ご所望の品はないわよー」
声を張り上げて言う。舌打が応えた。やはり可愛げがない。
「健全な青少年の要望だろ。もう少しでいなくなるんだから、餞別ぐらい寄越せよな」
「あら、餞別は要求するものだなんて初めて知ったわ。その性格なら里親の所でも上手くやれるわね。いい人だったんでしょ」
数日前に顔合わせは済んでいる。穏やかそうな夫婦で、一人目の子供に兄弟をと思ってレミーを選んだのだそうだ。夫婦はレミーを気に入り、レミーもまた、年相応の笑顔を彼らに向けていたと思う。
強がっている、という印象は案外間違っており、それは自分が少なからず抱いている寂しさのようなものがレミーに伝わっているのではないだろうか。
自身の気持ちを吹っ切る思いでレミーを振り返ると、ベッドに横たわったまま彼はぽつりと呟いた。
「ほんと、いい人達だよな。オレには勿体ないぐらい」
「どうしたのよ」
「オレさ、本当は親戚の家が良かったんだよ」
思いがけずの告白にアカシはレミーの傍に椅子を引き寄せて座る。
「それも嫌がられちゃどうしようもないんだけどさ……だけど、オレの両親を知ってるのって親戚だけだし。ちょっとぐらいさ、昔話とか聞いてみたいじゃんか」
「……里子は嫌?」
「嫌じゃないよ。まさか。オレ、行くところ無くなっちゃうもん」
笑いながら言うも、目が赤い。零れそうな涙を堪えてるようにも見え、アカシは近くの縫合キットからガーゼを取ると、レミーの目に当てた。
その青い瞳が驚いたようにアカシを見る。
「ハンカチはさっき、血で汚れちゃったからね。これで勘弁して。あんたの目の色に泣かれるとこっちが困るわ」
うっすら湿ったガーゼを手に取り、レミーは少し笑った。
「オレの母さんもそれ言ってたんだって。伯母さんが言ってた。ほら」
半身を起こし、前髪をかきあげて青い瞳をアカシへ向ける。
「すっごい青いだろ、オレの目って。だから青空みたいでさ、泣きそうになると雲がかかったみたいにくすんで、母さん滅茶苦茶慌てたらしいよ」
「赤ちゃんは泣くと止まらないから」
「それで、夏にはよく外に出てさ、入道雲が見えるとオレが泣いたみたいって言うのが口癖だったんだって」
「詩人ね。いいセンスだわ」
勢いづいて嬉しそうに話していたレミーはアカシが頷きながら聞いてくれるのを満足げに見たが、不意に口をつぐむとベッドに頭を沈めた。
「オレさ、そういう空を見たことないんだよね」
声が低くなる。
ニアに説明した通り、レミーは小児病棟でも古株にあたる。小学校へ入るとすぐに入院したようなものだから、病室のこの小さな窓から見える空に彼の記憶へ敵うようなものは現れなかったであろう。
声をかけず、静かに見ていると、レミーは右腕で自分の目を隠した。
「あの人達んとこ行ったら、見れるかなあ……?」
「……いい所よ。きっと入道雲も見れるわ」
レミーの肩を軽く叩き、アカシは静かに部屋を出る。
途端に病院独特の静かな騒がしさが舞い戻り、それに背中を押されるようにしてアカシは案内所の近くにある小さな窓に歩み寄った。
転落防止の為に嵌められた鉄格子が空を区切る。それ以上に、そそり立つビル群が空を隠していた。
もくもくと湧き上がる入道雲がふと重なって見える。
その下で彼が笑っているだろうことは、想像に難くなかった。
終り
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