041.燃え立つ朝日(2)
「うちの爺ちゃんね、それで処置が遅れて死んだのよ」
ガンだったの、と言って苦笑する。
「でも恨むものでもないしね。教会で聖人様に手を当てられていた時の爺ちゃん、すごく嬉しそうだったもの。結果として死があっただけよ」
「意味がわからない」
眉をひそめる涼を小馬鹿にしたように息を吐く。
「生死なんて結果論にすぎないわ。それまでにどれだけのことをしたかが、それを意味あるものにするかしないかじゃないの?」
「どういうことだよ。助けられなかったんだ、俺には助ける力なんて無かったんだよ」
「じゃあそれで死んだ人の気持まで踏みにじるわけ?馬鹿にしないでちょうだい。あんたの治療で満足した人はどうなるのよ。結果として亡くなっても、あんたの患者はあんたの治療に満足したんでしょ」
立て板に水を流すが如く、一気にまくしたてる。
「その患者の気持もわからないんなら、医者なんかやめて教会に行ったら?患者一人亡くしたぐらいで……」
「うるさい!じゃあ何だ、死んだってどうともないって?ベストを尽くしたならそれでいいのかよ!」
ここに来て初めて激昂した涼の声が待合室中に響き渡る。
思えば、ロイドを亡くしてから初めて感情を高ぶらせた。
しかし、ニアの声はおそろしく冷静である。
「私が今まで助けられなかった人は何十人もいるわよ。もう途中から数えるのも嫌になったくらい」
「なら」
「私はベストを尽くしたんじゃない。助けるために自分の持ちうる力全てを使ったのよ」
涼は喉元に出しかけた罵声を飲み込む。
「その結果死んだなら、私はまた次の患者に、その倍の力を使って助けようとするわ。……患者が死んでどうともない医者なんて、本当にいると思ってるの」
腹の奥底でくすぶっていた煮え切らない思いが、しゅう、と萎んでいくのがわかった。
──わかっていた。
ロイドが亡くなってから、何と無くニアの言わんとすることはわかっていた。
けれどそうして新たな患者に向き合うのが、ロイドに対して無礼を働いているようだった。だから、悲しみながらそこに逃げていた。
ただ逃げて傷をなめていただけなんだ。そこに進歩の欠片は何一つない。ベストをつくしたなど言い訳だ。自分の治療に満足出来なかった自分に対する言い訳にすぎない。
「完璧にやろうなんて百年早い」
顔を俯かせていた涼の頬をニアの小さな手がぺしんと叩く。視線を上げた先でニアが小さく笑っていた。
「あんた、私より新米なんだからね。新米らしくしてなさいよ」
小柄な体で胸を張る姿は可愛らしく、涼は「何だよそれ」と、苦笑をもらした。
「そうね、落ち込む時はとことん落ち込んでなさい。後でビールでも片手に慰めてあげるから」
「どうせ俺のおごりになるんだろ」
「当然。近くに安いバーがあるから、そこね」
「……新米に対する優しさはないんですか、先輩?」
「あら、厳しさも必要でしょ。飴と鞭って言うじゃない。ひとまず鞭の方」
一向にひるむ様子のないニアに呆れながら肩の力を抜いた時、不意に白衣のポケットにつっこんだポケベルが身を震わせた。忘れようとしていた存在が現実味を伴って、涼に命令する。
「来たみたいね」
同じようにして報せが来たニアも、ポケットからポケベルを取り出して確認した。どちらが動くともなしに一つ息をついていると、遠くの方でストレッチャーが廊下を駆ける音が響く。戦争前のラッパに等しいその音は、聞く者にある種の覚悟を抱かせた。
「ビールはマジで俺の?」
「おごりよ。日勤組と交代したらすぐね」
「他の奴らまで連れてきそうで怖いよ」
言いながらブラインドの下りた窓の前に立つ。暗闇だけが支配する時間は終りを告げようとしていた。ぼんやりと濁っていたブラインドの輪郭が、その向こうに見え隠れする光によって浮かび上がって見える。
紐を引っ張り、勢い良く開けたブラインドの向こうでは僅かに残った夜を払拭するかのように太陽が顔を覗かせていた。穏やかな朝日は眠りこけている街に覚醒を促し、彼等の欠伸のような朝靄がまどろんだ空気そのままにビルの谷間で漂っている。残念ながら窓は開けられないが、張り詰めた空気は少し冷たく感じるのだろう。
「今日はいい天気になりそうだ」
「そうね」
ニアが相槌を打った瞬間、荒々しい足音と共に廊下の角から同僚の看護師が飛び出し、二人を認めて声を上げる。
「何やってんのさ!涼はタカミネ先生が呼んでるよ!ニアはわたしとこっち来て!」
言うだけ言うと、彼女は踵を返して走り出す。
「休む暇なんてないな」
「それは下の連中に失礼よ」
「そうだな」
顔を見合わせてくすりと笑い、二人はそれぞれの戦場に向けて走り出した。
暗闇の時間が終わり、燃え立つ朝日を背中に受けながら。
終り
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