037.新しいギター(2)


「通報までさせた音がギターとはね。そのギターは頼むからしまっといてくれ。また通報されかねない」

「どうしてもしまわなければいけませんか」

「外に置きっぱなしじゃ丈夫なもんもすぐに壊れるぞ。あんたもさっさと家に入れ。顔色がよくない」

「ぼくは大丈夫です、このギターも。家族を待っているんで」

「仕事なんだろう。夕方になりゃ帰ってくる」

「いえ、仕事じゃないんです。ここの家族は本当に良い人たちで、ぼくにプレゼントをくれると言ったんです。それでぼくは新しいギターが欲しくって」

「今買いに行ってるのか」

「ええ」

「わざわざ外で待つ必要もない。家ん中入れ」

 半ば意地になって言う。彼は困ったような微笑を浮かべるだけだった。

「すみません。出来ないんです。もう足が動かない」

 不信そうに眉をしかめるクロムに彼はズボンの裾をまくりあげて見せる。

 骨、と思った。だが目を凝らしてみれば極端に痩せ細った足だとわかる。顔も近くに寄って見れば、顔色が悪いどころの話ではなかった。

「クローンとはいえ、体の作りは人間と同じですから。使わない器官は切り捨てていくんですよ」

「お前……」

 いったいどれくらい、という言葉を喉の奥で止めた。彼は承知しているはずである。

 それだけの年数も、それだけの年数が経っても帰ってこない家族のことも。

「こうしているとね、あのアーチをくぐって彼等が帰ってくるような気がするんです。ぼくはそれを一番に喜んで迎えなければならない。新しいギターをねだったのはぼくですから」

「ギターが好きなのか」

「ここの息子さんが好きで、それに影響を受けました。まだきらきら星しか弾けないんですけど」

「……そうか」

 あいづちを打つしか出来なかった。彼は嬉しそうだ。家族のことを話す時にだけ、失われた生気が戻っているように見える。

「お巡りさんは、どうしてぼくを撃とうと思ったんですか」

 心地よかった風が冷たい。彼の顔を見ると斜陽に染まっていた。日暮れが近いのだろう。

「これでも元刑事なんだ。その時の習慣だな。怪しい奴を目の前にしたら、まず拳銃」

「刑事さんなんですか?初めて見ました」

 クロムは自分が珍獣にでもなったかのような気分を覚えた。彼の目はそれほどに真っ直ぐクロムを見据え、曇りがない。だからなのか、もう既にクロムを止めるものは無く、自分のことを話し出していた。

「元だよ。被疑者を追っている時に、誤って死なせてしまった」

 目の前を走っていく灰色のスーツ。それを追いかける自分の足音。確信があった。奴を捕まえられる。

 そして誰かが叫んだ。危ない。

 急ブレーキの音、ドンという鈍い衝突音、ゴムの焼け焦げる匂い、微かな血の香り。背や脇から流れ落ちる汗。目が飛び出すかと思うくらいにその場を凝視した。

 そしてまた誰かが叫んだ。こいつが追いかけていたんだ。

 息を整える自分が、虚しい動作を繰り返しているように思えた。

「謹慎処分のあとの降格。減給。俺は故意にそうしたわけじゃなかったが、被疑者の親族は徹底的に俺を糾弾した。執拗な追跡に被疑者の精神状態は限界にあった、その為正常な判断が出来なかったものと思われる。そこまで追い詰めたのは誰か。──俺だよ」

 クロムは自嘲気味に笑う。過去を話したことはただの一度もなかった。今の同僚にさえ。

「そうして俺はお巡りさんになった。通報をしらみつぶしに調べていく、人の好い」

「奥さんは何て?」

「ああ……そうだな、あいつは何だかホッとしてたみたいだ。人を死なせた夫を持ったってのに……よくわからん」

「……ぼくも多分ホッとすると思いますよ」

 静かに彼は言う。

「お巡りさんが、死なないで戻ってきてくれたことに。……不謹慎でしょうか」

 心臓をつかまれるような言葉だった。

 死なないで。早く帰ってきて下さいね。

 刑事だった頃、妻は毎日そう言っていた。俺はそんなことも忘れてしまっていたのか。降格されて巡査となった今、妻は毎日出がけに言う。

 ただ、早く帰ってきて下さいね、と。

 彼はくすりと笑った。

「もう夕飯の支度をする時間みたいですね。お巡りさんも早く帰った方が良いですよ。奥さんがあなたを待っているだろうから」

 しばしの回想から引き戻され、クロムはしげしげとそのクローンを見やった。伸び放題の髪の毛に髭。どこぞの浮浪者と見紛う姿だが、やはり美しい表情をしている。彼を自宅に招き生活するのも悪くない気もしたが、それでは彼の待つ新しいギターは永遠に来ないだろう。

 彼はここで家族を待ち、その手で新しいギターを受け取るという夢で今ここにいるのだから。

「……通報者には上手いこと言ってやるよ」

「すみません」

「それからたまに見に来てやる。うちのかみさん、いつも料理を作りすぎるんだ」

「ありがとうございます」

 後ろ髪を引かれる思いでアーチをくぐり、パトカーに戻る。もう一度家を見やり、無線をとった。

「こちらクロム。身元照会頼む。アーチャ−通り五番地」

『了解。……アーチャ−通り五番地は戸籍主リック・ブライマーが妻と子供二人と居住していますが、二年前に交通事故で全員死亡。検死報告書もあります』

「家の所有権は」

『リック・ブライマーのままです。何か?』

「いや、いい。近所を巡回したが異常はない。通常巡回に戻る」

 了解、と無線のむこうで応えて切れる。クロムは再度家を眺め、近所の人間が気付かない理由に行き着いた。樫の木とジャスミンの生垣がちょうど彼の姿を見えなくしていた。

 ビールっ腹を無理矢理押し込めシートベルトをしめる。少し苦しい思いをしながら、クロムはゆっくりとパトカーを夕暮れの町に走らせた。



終り


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