072.コンプレックス(3)
神さまは床の惨状を一瞥した。
「……ぼくはこんなに鏡を持っていただろうか」
「持ってないと思いますよ」
「ということは、お前が持ち込んだのか?」
「このところ鏡の取引はありませんねえ」
「つまりは、彼女が持ち込んだということか」
「す……すみません!」
マキは体を直角に折り曲げて謝る。
「この鏡は私が持ってきたものです。割ったのも……」
「ああ、いいよいいよ。先まで言わなくてもこれを見れば。ねえ神さま」
「ぼくが思うに、このような状態を整頓するのが掃除というものだと思うんだが」
「そうですねえ」
「では、掃除をしよう」
「え、やるんですか?」
「一人でやるより二人の方が早くはないか?」
「……その頭数に神さまは入ってませんね」
「よくわかったな」
神さまは感心したように運び屋を見る。運び屋はやれやれと頭を振り、自分のトラックへ箒とちりとりを取りに行った。屋敷すら見つからないような場所で、掃除道具が簡単に見つかるわけがない。
「あの、一人で大丈夫です。お手を煩わせるわけにはいきません」
「いや、ぼくはやらない。それに早く済ませないと暗くなる。ここを綺麗にしないと、お前も話し辛いだろう」
運び屋が戻ってきたところで掃除が始まった。神さまは本当に何もせず、ぼんやりと小屋の外で木を眺めたり鳥を眺めたりしていた。
マキが割った鏡の数は相当なもので、運び屋と二人がかりで掃除して、ようやく綺麗になった床を拝んだ頃には夕暮れが出番を終えようとしている時刻だった。
「割れた鏡は僕が引き取ります。ここにあっても困るでしょう」
「それが賢明だな。ちなみに無事な鏡もあっても困るんだが」
「一緒に引き取ってもいいですけど、マキちゃんどうする?」
「あの、私が持ってていいですか?」
「うむ、そうしてもらえると助かる。……そこで聞きたいんだが、どうして鏡を割ったんだ?」
「ストレス解消?ここに忍び込んでまでやることじゃないよねえ」
「……わかってたんですか?」
「僕はここの常連だから。神さまはそういうこと気にしないけど」
マキは苦笑した。
「本当にごめんなさい。──私、鏡が嫌いなんです。鏡に映る自分がコンプレックスなんです。この鏡は全部盗んだものです」
「どうして自分がコンプレックスなんだい?」
「あの日まではそうじゃありませんでした。でもあの日以来、嫌いになりました。鏡に映る自分が、亡くした人たちに見えてくるから。だけどそうして泣くことも、生き残った私がやるのはずるい気がしたんです」
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