勝手に結ばれたリボンとか約束とか
みょうじなまえは常に二つ返事だ。けれども驚くほどの即答は思い切りのよさゆえでも豪快さゆえのものでもない。
「このあと食事でもどうだ?」
「は、はい、是非」
みょうじを僕の車の助手席に座らせたところで、提案を持ちかける。
カレンダーのアプリを開くこともなく、腕時計で時刻を確かめることもなく、いつもの二つ返事で答えたみょうじとの会話はとんとん拍子に進んでいく。
「何か食べたいものはある?」
「降谷さんのお好きなもので」
「好き嫌いは?」
「ないです」
職務中のやり取りではないのだから、ここまで簡潔ではなくても――華やぎのある雑談があってもいいのではないかと僅かばかり思う。
みょうじの親切心と遠慮深さに素直に甘えて、僕が贔屓にしている和食の店へ連れていく形でもよかったが、以前、彼女がイタリアン派だということは人伝に聞き及んでいた。確か近くに店があったよな、と顎に指を添え、経路を脳に描きながら車を出す。
部下の気遣いに気遣いで返す道理はないのかもしれない。
僕がみょうじの好みに寄り添おうとするのは、ただただみょうじの気を惹きたいからに他ならない。
食事を終えて再度僕らは車に乗り込む。先回りで助手席のドアを開け、みょうじを僕の隣に導きつつ、「送るよ」とにこやかに更なる一押しをして、退路を絶った。
相手が奥ゆかしく遠慮深いというのなら先制して仕掛けてしまえばいい。その際は『送って行こうか』と誘うのではなく、先のように『送るよ』と相手の選択権を予め奪っておくことも不可欠だ。
彼女が社内に脚を引っ込めたのを見届けると、バンッとドアを閉める。
そして自分も運転席に乗り込んだ。少々留守にしていただけだというのに、すっかり冷えてしまった車内に身震いしつつ、エンジンをかけて空調を入れる。
ちら、と傍らを一瞥すると、みょうじは凍えたのであろう両手を擦り合わせて、摩擦と吐息で懸命に暖を取ろうとしていた。
「暖まるまでしばらくかかるから、悪いけど我慢してくれ」
「ありがとうございます。寒いですね」
車を出して少々道を走っているうちに車内の温度も整えられてきた。
ストレートに差し掛かかるとそれを機と見て、僕はみょうじを尻目に捉える。俯きがちな横顔は浮かない様子だ。
「……口に合わなかったかな」
「えっ!? そんなことないです! 美味しかったです! とっても。すごく」
「ずっと俯いていたし落ち着かない様子だっただろ。水を飲む回数もやたらと多かった」
「緊張してただけです、すみません。失言しちゃったらどうしよう、って……思って……」
まごまごと言い淀むみょうじは己の指先同士を絡めている。表情こそ笑ってはいるがどこか苦々しい。
「それだけか?」
「えっ」
「まだ何かあるんじゃないか。僕に言ってないこと」
無論発言の全てが嘘だとは思わない。みょうじが落ち着きなさげで所在なさげなのも、肩が力んでいるのも、やたらと水分の摂取量が多かったのも、強い緊張を感じていたためだろう。
とはいえそれが全てではないと――。
「は、ハーゲンダッツ食べたい、って思ってました……」
……ハーゲンダッツ。唖然。拍子抜けとも言う。ともあれ僕は目を点にするほかなかった。
――それで暗い顔を? まぁ、ここで俺に言うことではないだろうな。
くつくつと喉の奥で笑いながらハンドルを改めて握る僕の隣では、羞恥に頬を染めたみょうじが震えながら顔を背ける。窓の外を眺める仕草を装って恥じらっているみょうじに、「笑ってすまなかったよ」と僕は笑みの滲む無反省な声で謝った。
「コンビニ、寄るか」
「えっ!? えっ!? いや、」
「食べたいんだろ?」
わたわたしてると慌て出すみょうじに止めを指すが如く微笑みかける。
はい……、と消え入りそうな声量の肯定が聞こえた。
それから帰り際に二人でコンビニに立ち寄った。
彼女がストロベリーフレーバーのアイスを選ぶと、それを奪って会計を済ませた。自分用に缶コーヒーも一緒に買った。おとなしく奢られてくれないみょうじを車までの短い時間で言いくるめる。
スプーンはつけてもらったがレジ袋は断った。助手席で裸のアイスのカップと僕のコーヒーを膝に乗せているみょうじ。
「食わないのか?」
「車の中なのにいいんですか?」
「あぁ、構わない」
醜くて青臭い時間稼ぎだ。食べ終えるまで君に座っていてもらうための――否、縛り付けておくための。
コーヒーくれ、とこちらに手渡すように促す。口腔に流し込んだコーヒーが舌の上を滑っていくと、安っぽい苦さが味蕾に染み渡る。
そういえば部下より安いもの飲んでるな。
「みょうじ」
振り向いた彼女と視線が絡むと間髪入れずに言葉を繋ぐ。
「好きだよ。君が。僕と付き合ってほしい」
「はい」
みょうじは今夜も即答だった。
2021/01/24