パンドラの箱 1/2
おれには、どうしようもない幼なじみがいる。
休日は、飯食って漫画本読んで昼寝してお菓子食って。
冬はコタツが定位置な、そんな干からびきった女。
ガキの頃から一緒にいることも原因のひとつだが、こんな女をレディとして見るなんて、さすがのおれにも到底できねェ。
そんなどうしようもねェ女が、転勤で一人暮らしをすることになったらしい。
『ほら、あの子ったらどうしようもないでしょう? なーんにもしないでしょう? 放っといたらご飯なんてコンビニ弁当ばっかり食べそうで……おねがい、サンちゃん! サンちゃんにしかあの子のこと頼めないのよ!』
まくし立てるように***の母ちゃんにそう言われて、おれは渋々首をタテに振った。
おばちゃんの言う通り、あんなどうしようもねェ女の面倒をみられるのは、世界中どこを探してもおれくらいだろう。何より、レディの頼みは断れねェ。
そんなこんなで、おれは***との同居を決めた。
間違っても同棲じゃねェ。あんな干からびた女といまさらどうこうなるなんて、天地が引っくり返ってもありえない。
第一、おれには恋人がいる。大きな声じゃ言えねェが、売り出し中の売れっ子モデルだ。
気の強い性格と、あの綺麗な脚がたまらねェ。
おっと、よだれが。
そんな心優しいおれのプリンセスは、幼なじみとの同居も、渋々ではあったが承諾してくれた。
まァ、相手があんなどうしようもねェ女だって知ったら、そりゃあ許しもするだろう。
それにしても、ヤキモチ妬いて頬を膨らませたあのカオ、かわいかったなァ……。おっと、またよだれが。
最近お互い忙しくて会えてねェからなァ。
会いてェなァ。……あの魅惑のボデ――
ピリリリリッ。
そんないかがわしいことを考えていたら、ポケットに入れていた携帯が着信を告げた。
くそっ、誰だよ人が妄想に耽ってるときに……!
……待てよ。まさかっ……!
「もしもしっ」
『あ、サンジー? おつかれさまー』
「……」
その聞き慣れたのんきな声を聞いて、サンジは終話ボタンを押したい衝動に駆られた。
『あのさー、今日さー……もしもーし、あれ、聞こえてる? サンジきゅん?』
「……キモい」
『ねーねー、今日何時に帰ってくる?』
「あァ? なんで」
『ケーキ食べたい』
「はァ?」
『だーかーら、サンジの作ったケーキが食べたいの』
「……」
なんでまた突然に。
コイツはいつもそう。突拍子がない。
「めんどくせェなァ」
『そんなこと言わないでさー。一生のおねがい!』
「おまえの一生のおねがいはもうこれで五百二十七回目だ」
『え、数えてるの? ……気持ち悪』
「そうか、ケーキはいらねェんだな」
『うそうそうそうそっ! サンジったらそんなこと覚えてるなんてあったまいいー! さっすが! ブッラボー!』
「……ったく」
小さくため息をつきながら、今朝見た冷蔵庫の中身を思い浮かべる。
卵……はあったな。フルーツも何種類かあったし、チョコレートも***のストックが何個か……。生クリームはねェな。仕方ねェ、店から持ってくか。
『ねー、だめ? サンジきゅん』
「その気持ち悪ィ呼び方やめろ。……あと一時間くらいで帰る」
『わーい、やったー! サンジ大好き!』
「微塵も嬉しくねェ」
『じゃあ気を付けて帰ってきてねー!』
「おー、じゃあな」
プツリ。受話器から終話を知らせるささやかなその音を聞くと、サンジは小さく息をついて店じまいを始める。
『毎日毎日午前様じゃ身体壊すよ? 今日くらい早く帰ってきたら?』
今朝、出掛けに***がそんなことを言い出した。
そう言われてみればここ最近あんまり眠ってねェな、なんて考えて、めずらしく***の言うことを素直に聞いてやるかと、早めに『Close』の看板を出したのだが――。
「……こういう魂胆だったか、あのヤロ」
どうりで殊勝なこと言い出したと思ったぜ。
大きくため息をついて、最後のテーブルを拭き終わった時、再び携帯が鳴り出した。
んだよ、ったく……。
「……なんだよ、まだなんかあんのか?」
着信の相手を***だと決めつけてそうぶっきらぼうに言うと、受話器から聞こえてきたのは、柔らかくて愛しい声。
『……サンジ?』
「え、あっ……わっ、悪ィ! まさか君だと思わなくて……!」
愛しい恋人に対して暴言を吐いたことを、サンジは慌てて詫びた。
『……誰だと思ったの?』
「い、いや、大した相手じゃないよ。それより、どうかした?」
『……会いたいの』
「へ?」
ポツリ。小さく呟くように言われたその言葉に、サンジの胸がきゅんと女の子みたいな音を立てる。
『最近全然サンジに会えなかったから……忙しいのは分かってるんだけど……ダメかな?』
「だっ、ダメじゃねェダメじゃねェ! その……おれも会いてェなって思ってたから」
『ほんと? よかったっ。うれしいっ』
……なんなんだこの子は。かわいい、かわいすぎる。
『じゃあ、三十分後にいつものところで』
「あァ、楽しみにしてる」
『ふふっ、私もっ。 また後でねっ』
「あァ、気を付けてな!」
相手が先に切ったのを確認してから、サンジは終話ボタンを押した。
これだよこれ! やっぱりレディはこうじゃなきゃな! 聞いたかよ今のかわいすぎる台詞! 『忙しいのは分かってるんだけど……ダメかな?』っておい!
あァ、カオ見ながら言われたかったなァ。首をくいっと傾げちゃったりしてよ。さぞかしかわいかったんだろうな……。
サンジはその様子を頭の中で思い描いて、鼻の下をだらしなく伸ばした。
そんな女の子みたいな真似、***にはぜってェできねェな。
アイツは性別が女ってだけだか、
「……あ」
やべ……すっかり忘れてた。ケーキどうすっか。
「……ま、いいか」
ケーキは明日作ってやることにしよう。
正直、***にかまってる暇はない。なんてったって愛しい恋人からのお誘いだからな。
スキップ混じりで店の出口に向かうとサンジは携帯を取り出した。
電話……だとぐだぐだ言われそうでめんどくせェな。メールでいいか。
『今日帰れなくなった。ケーキ明日な』
それだけ打って送信すると、サンジは浮かれた足取りで店をあとにした。
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