パンドラの箱 2/2
「ねェ、幼なじみの子っていつまでいるの?」
「……へ?」
ベッドで散々愛し合った後、突然そんなことを聞かれた。
「いつまでって……どうしてだい?」
「そりゃあだって、恋人が他の女と一緒に暮らしてるなんて、おもしろくないもの」
そう言って、いじけたように唇を尖らせる。
なんだこれ、かわいすぎだろ。
「ははっ、心配することなんてなにもねェよ」
「でも……」
「さっきまであんなに愛し合ってたのに……あれでもまだ伝わんねェ?」
「そういうわけじゃ……」
「おれが愛してるのは、君だけだよ」
そう甘く囁いて、サンジは濡れた唇にキスをした。
すると、とろり、大きな瞳を瞑って、サンジに身を委ねる。
……助かった。なんとかうまく切り抜けられたぜ。
これで「今すぐ同居やめて」なんて言われた日にァ、こんなにかわいい恋人を手放さなきゃいけなくなる。たかだか***のためだけにこの子と別れるなんて、もったいなさすぎる。
「アイツはただの幼なじみだよ」
「……ほんと? 浮気しない?」
「浮気? そんなことあるわけねェだろ? おれにはこんなにかわいいプリンセスがいるんだから……」
「ん、サンジ……」
再び唇を重ねると、細い腕が首に絡まってきた。
「……じゃあもう一回証明して?」
「仰せのままに、プリンセス」
深いキスを繰り返しながら、サンジは頭の中でぼんやりと考える。
***とおれが男と女の関係になるなんて、あるわけがねェ。
アイツは……そう、妹みてェなもんだ。手の掛かる妹の面倒をみる兄貴みてェなもんだ、おれは。
ん? アイツが姉か?そういやァ、どっちが誕生日早かったか……。
……まァ、いい。***の誕生日がいつかなんて、今はどうでも――。
……。
……。
***の、誕生日……。
「? どうしたの? サンジ……?」
突然、ぴたっと止まった愛撫に、眉をひそめてサンジを見上げると、その目は大きく見開かれていた。
「そうか……そうだった……だからアイツ、ケーキなんて……」
「ケーキ? いったいなんのはな……きゃっ……!」
ぶつぶつと呟いていたかと思うと、サンジは突然、慌てたようにベッドから転げ出た。
「ちょっ、ちょっとサンジっ?」
「悪ィ! そのっ……急用思い出した!」
「ええっ?」
眉をしかめた恋人をそのままに、サンジはわたわたとスーツを着始める。
くそっ、もう十一時じゃねェか……!
「ほんとごめん! 今度埋め合わせするから!」
「ちょっ、サンジ……!」
その呼びかけにも耳を貸さず、サンジはネクタイとジャケットを鷲掴みすると、全速力でホテルを出た。
*
「***……!」
息を切らしながら辿り着いた自宅は、真っ暗だった。チカチカと、テレビの光だけが控えめにもれている。
「……***?」
そう呼びかけながら、リビングに続く扉を開ける。
一向に応答がないことに、サンジは一抹の不安を憶えた。
なんかあったのか……?
テレビの中では、ド派手なアクションが繰り広げられている。***が好きだと言っていたハリウッド映画だ。
……もしかして。
その考えに行き着いたサンジは、テレビの前に置かれたソファの正面に回った。
そこには、小さく寝息を立てながら眠る***の姿。
強張っていた身体の力が抜けて、ほっと一つ、息をついた。
びっくりさせやがって……。
崩れ落ちるようにソファのそばにしゃがみ込むと、サンジは改めて室内を見回した。
テーブルの上には、コンビニで買ったと思われる弁当の残りと、お菓子の食べかけ。
そして、生クリームのぱさついた安っぽいケーキが、ぽつんと寂しげに置かれている。
「……言やァいいだろうが、バカ」
そうすりゃ、こんな日に一人で過ごさせることなんてなかったのによ。
「……さて、やるか」
サンジはそう呟くと、エプロンを身に着けてキッチンに向かった。
*
「……おい」
「……」
「おい」
「ん、う……」
「さっさと起きろ、バカ」
サンジがぺしっとおでこを叩いてそう声をかけると、***が眉をしかめながらゆっくりと目を開いた。
「……サンジ?」
「やっと起きたか」
「あれ、どうして」
「説明すんのめんどくせェから、さっさと起きろ」
「だって、今日帰らないって言ってなかっ」
のそのそと身体を起こした***は、テーブルに目をやると言葉を失った。
先程まで、無機質なものたちで埋め尽くされていたそこには、眩いばかりの料理の数々。
そして、その中心に――。
「……ケーキ」
「……」
「……サンジ、覚えててくれたの?」
『Happy Birthday』のプレートを見つめたまま、***はサンジにそう問いかけた。
「んなわけねェだろ。たまたま思い出したんだよ」
「……」
「ったく、そうならそうと前もって言やァいいだろうが。遠回しにアピールしやがって……」
「……」
「おかげでこっちはバタバタと」
「サンジ」
「あァ?」
その呼びかけにつられて***を見下ろすと、寝ぐせ全開でうれしそうに笑う、***のカオ。
「ありがとう」
「……」
「すっごくうれしい」
「……あっそ」
ふいっと、サンジは慌てて***から目を逸らした。
首とカオが、異様に熱い。
「……おら、さっさと食え。誕生日終わっちまうぞ」
「あっ、ほんとだ! サンジ、ろうそくろうそく!」
「あァ? それもやんのか?」
「だって誕生日だもん!」
「へいへい」
サンジは胸ポケットからジッポを取り出すと、***が用意していたろうそくに火を灯していく。
「ハッピバースデートゥミー」
「自分で歌うのかよ」
「ハッピバースデーディーア***ちゃーん」
「……もうツッコむのめんどくせェ」
あきれた表情のサンジを尻目に、***は最後まで歌いあげると、ろうそくに向かって息を吹きかけた。
「イエーイ!」
「おまえよく夜中にそのテンションでいられるな」
「いっぱい寝たからね!」
「ククッ、そうかよ」
子どもみたいに笑った***に、サンジはなんだかおかしくなって、思わず笑ってしまった。
「サンジ、ケーキ食べる」
「もう十二時だから、一口にしろよ」
「えー、やだ」
「……太ってもしらねェからな」
「ご飯も食べるから箸持ってきてー」
「よく見ろ、そこにあんだろ」
「あ、ほんとだ。いっただっきまーす!」
丁寧に手を合わせて元気よくそう言った***に、サンジはケーキを切り分けながら頬を緩めた。
ほんとに変わらねェな、コイツは。ガキの頃のまんまだ。
このままずっと、変わらねェでいてくれりゃいいんだけどな。
田舎にいてくれた方が安心だったのによ。こんな華やかな街に来ちまって……。
おれが見張っといてやらねェと、心配でたまんねェ。
……なんて、死んでもコイツには言わねェけど。
「そういえばサンジ、デート中だったんじゃないの? 大丈夫なの?」
ハムスターのように頬を膨らませた***が、サンジに向かってそう問いかけた。
そのカオを見て、麦わら帽子の友人を思い出す。
心の中で苦笑いしながら、サンジは携帯を取り出した。
「そうだな。一応フォローのメールでもしとくか……ん?」
携帯を見ると、愛しい恋人から一通のメール。
「さっすがおれのプリンセス! あんな別れ方しちまったのに、ちゃんとメールをくれるなんて!」
「へー、それはそれは」
「おまえとは女としての器がちがうんだよ、器が! なになに……『あなたにはもう付き合いきれません。さようなら。』……って、えええええっ」
「……あらー」
サンジは、携帯片手に膝から崩れ落ちた。
「そ、そんな……おれのプリンセス……」
「戻りなよサンジ、今からでも間に合うよ」
「……」
「追いかけてきてほしいんだよ、きっと」
「……はァ」
小さくため息をつくと、サンジはそのまま携帯をポケットにしまった。
「あれ、行かないの?」
「おれとプリンセスの赤い糸はもう、ほどけて風にさらわれちまったんだ……」
「うわ、さむ」
「……うるせェ」
「もしかして、私に気遣ってんの?」
「……」
「私なら大丈夫だよ。ケーキさえ作ってくれればサンジはもう用なしだから」
「……蹴り倒すぞ」
紫煙を大きく吐き出すと、サンジは遠い目をしながら言った。
「男が女に縋るなんて、みっともねェ真似できるか」
「……」
「おれにできることは、あの子の幸せを心から願ってあげることだけだ」
「ふーん……」
釈然としない表情のまま、***は再び料理をぱくぱくと口に運び始めた。
「大人ですねー、サンジくんは」
「はァ? なんだよ、いきなり……」
「私の友だちなんてもっとこう、しつこいくらいに粘ってたから。みんなそういうモンなんだと思ってた」
「そんなことしても、相手困らせるだけだろ」
「そりゃそうだけど……時にはなりふり構わず相手を追いかける情熱も必要なんじゃない?」
「……」
恋愛偏差値ゼロのヤツが、何を偉そうに……。
なりふりかまわず、ねェ。
その言葉で、サンジはつい先程の自分を思い出した。
ネクタイもジャケットも身に着けず、シャツをだらしなくはだけながら、華やかな街を全力で走った。美しいレディたちが忍び笑いするのもおかまいなしで、汗まみれになって。
一秒でも早く帰ってやって、***に寂しい思いさせねェようにって。
***のことだけを思って……。
……。
……。
……あれ?
「なんかごめんね、私のせいで」
「……」
「? サンジ?」
「え、あ、あァ……別におまえのせいじゃねェだろ」
「だって、私がいなかったら、こんなことにはさ」
「誕生日に辛気くせェこと考えるんじゃねェよ。あの子が言い出さなくてもどっちみちおれは」
「え?」
……そういやァ、もしあの子に「幼なじみとの同居をやめて」って言われてたら、おれはあの子と別れることばかり考えてた。考えてみりゃ、***を追い出せば済む話だったのに。
その選択肢はまったく頭になくて――。
……。
……。
……あれ? ちょっと待てよ。
……い、いやいやいやいやっ。まさかそんな。
そんなわけ……。
ほうけたカオで自分を見上げる***を見つめる。
ぼっさぼさの髪に、ケチャップのついた口元。
……ない。コイツはない。絶対ない。一ミリもタイプじゃない。
これは、その、あれだ。幼なじみだからだ。
***の母ちゃんにも頼まれた手前、誕生日を一人で過ごさせるのも気が引けるし、追い出すわけにもいかねェからってだけで……。
ほんと、それだけで――。
「サンジ?どうしたの? カオ蒼いよ?」
「……いや、なんでもねェ」
「?」
怪訝に眉を寄せて首を傾げた***をそのままに、サンジは小さくため息をついた。
何を血迷ってんだ、おれは。んなこと、あるわけがねェだろ?
だって、***とおれは、ただの――。
「でも」
「あ?」
サンジの作ったケーキに、フォークをゆっくり沈めながら、***はへらっと笑った。
「誕生日、サンジと一緒にいられてよかった」
「……」
「ありがとね、サンジ」
「……あァ」
……このままでいい。
***とは、ずっとこのまま、
"別れ"のない関係で。
「……そういや、肝心なこと言うの忘れてた」
「へ?」
***の口元に付いた生クリームを拭いながら、サンジは困ったように小さく笑った。
「誕生日おめでとう、***」
パンドラの箱
ねェサンジ、ゾロくん紹介して。
……ぜってェやだ。(誰がマリモなんかにやるか……って、あれ?)[ 3/12 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]