告白 1/2
青い空。白い砂浜。エメラルドグリーンの海。
そして、
「おおい、何やってんだ? 早くこっち来いよ!」
お日様よりもキラキラ輝く、
あなたの、眩しいえが――
「いやあん! 待ってくださいよ社長ー!」
「社長ー! 私も今行きますう!」
「あっ、ズルい! 社長私も私もー!」
小鳥のような声をあげながら、水着を着た天使たち、もとい、女性社員たちは大行列をなして私の横をすごいスピードで走っていった。
眩しい。ビキニが眩しい。
砂浜でビキニ美女たちとビーチバレーに勤しむ子どもみたいな幼なじみを見て、あきれ顔で笑った。ダメだありゃ。完璧自分が一番楽しんでる。
立ち上がってパーカーについた砂を払うと、海岸沿いを歩き出した。
『え? 社員旅行?』
お風呂上がりの濡れた頭を拭きながら受話器越しにそう訊ねれば、シャンクスは『そう、社員旅行』と答えた。
話しながら書類でも片付けているのだろう。シャンクスの声に重なって紙の束を整えるような音が聞こえてきた。
『今年は南の島ひとつ貸し切ってよ。社員全員で行くんだよ』
『しっ、島ひとつ貸し切るのっ?』
『あァ。人数が多いからな』
『いや、人数が多いとかそういう問題?』
『だからよ、おまえも来いよ! 楽しいぞ!』
そう。シャンクスの本題はそこだった。突然『旅行行かねェか』なんて言われたもんだから、うっかり浮かれるところだった。なるほど、社員旅行ね。
『いや、私はいいよ』
『ええっ? なっ、なんでだよ? 行かねェのかっ? 海だぞ、海!』
『いや、フツーに考えておかしいでしょ。私が行くの。社員でもないのに』
牛乳をコップに注ぎながら、もっともな主張をした。南の島の雲はこの牛乳より白いのだろうか。いいな。
『全社員集まるなんて、そうそうある機会じゃねェんだよ。いいチャンスだろ』
『いいチャンス? なんの?』
コップに口を付けながらそう聞けば、シャンクスは思いもよらぬことを口にした。
『婚約者の紹介だよ』
『……へ?』
『だから、婚約者の紹介。つまり、おまえを全社員に紹介するってことだ』
念を押すように、シャンクスは丁寧に噛み砕いてそう付け足した。口の端から牛乳がだらしなく垂れこぼれた。
『え、ええっ? いっ、いいよいいよ! わざわざそんなことしなくてっ』
『そう言うと思ったけどな。そういうわけにはいかねェんだよ』
『え? な、なんで?』
『それはな、おまえがおれの奥さんになるからだ』
『? ど、どういうこと?』
まるで謎かけのようなシャンクスの言葉に、首を右側へ傾げた。
『これでも、一企業の社長だからな。みんなの生活を預かっている以上、大きく環境に変動があるなら、それを報告しておく義務がある』
『ああ……』
なるほど、確かに。そう言われてみればそうかもしれない。
なおさら、シャンクスは会社の社長としても一個人としてもメディアの注目を常に惹きつけているような人だ。その細かな対応に追われるのは、きっと主には社員の人たちなのだろう。
シャンクスが結婚することで、会社のイメージみたいなものも大きく一新するだろうし――
え、あの大きな会社のイメージが一新? 私との結婚で?
『おおい、聞いてるか? ***?』
『えっ、あ、う、うん。聞いてる聞いてる』
『まァ、そう堅苦しく考えるな! ついでだ、ついで。南の島を楽しむついでに、ってくらいでな!』
いやいや。とてもじゃないけどそんなお寿司のガリみたいな考え方私にはできない。
『わ……わかった。で、いつからなの?』
『あさってだ!』
『近っ! 日にち近っ! ちょっ、言うタイミングっ』
『じゃあなー! よろしく頼むぞー!』
「よく休み取れたな、私……」
それからの慌ただしさはもう思い出したくない。というか思い出せない。旅行を楽しみに待つ余韻とかまったくなかった。
ほんと、脳天気なんだからさ。
南の島のお日様みたいな幼なじみを思い浮かべれば、やれやれとハート型のため息がでる。
シャンクスと、南の島。その最強タッグに、細かいことはもうどうでもよくなった。
だけど、
『婚約者の紹介。つまり、おまえを全社員に紹介するってことだ』
あの言葉が頭の中でリフレインすると、肩の上にずんっと見えない何かがのしかかる。南の島の空気をもってしても、この何かは拭い去れない。
どんなカオしたらいいんだ。挨拶なんてなに話そう。社員さんたちからブーイングとか来たらどうしよう。そうなったらシャンクスはどうするんだろう。それがきっかけで社員さんがストライキとかしたらどうしよう。そして会社が回らなくなって、シャンクスの会社が倒産なんてことになったら。あああああ。
あらぬ方向に妄想が突き進んで行って、一人砂浜に膝をついた。
シャンクスとの結婚を、甘くみていたかもしれない。
私にとっては『好きな人との結婚』でも、シャンクスと、シャンクスの会社の人たちにとっては違う。
だけど、それがわかったところでどうしたら良いかなんてわからなくて。
もっとシャンクスに、シャンクスの会社にふさわしい女性にならなければと思うけど、何をどこからどうしたらいいか、まるで見当もつかない。
ちょっとダイエットしてみるだとかメイクを変えてみるとか社会情勢を学んでみるとか、そんな付け焼き刃みたいなことでなんとかなるレベルじゃない。
もう総とっかえくらいで変わらなきゃ。スーパーサイヤ人からスーパーサイヤ人2程度の変化じゃダメだ。ヤムチャからフリーザくらいにはならなきゃ。
そのためには、何をどこからどうしたらいいか。ああ、精神と時の部屋がほしい。
すると、遠くから数人の女性の声が聞こえてきた。どうやら、こっちに向かってくるようだ。
ここは今シャンクスの会社が貸し切っている。他の旅行者なわけもなく、とっさに近くの大きな岩に身を潜めた。しまった。なぜ。
次第に声が大きくなってきて、会話の内容が耳に届いた。
「こんな素敵な島で旅行なんて、ほんと夢みたい!」
「ほんとよねー! しかもっ! 社長たちと一緒!」
「ああん、もうこのまま帰りたくなーい!」
「この会社に就職できて、ほんとよかったー!」
どうやら人数は4、5人のようだ。まるで何かの犯人にでもなったかのように身を硬くした。ど、どうしよう。
「ねェねェ、どうする?」
「何が?」
「もしも、もしもよ? 社長と何かあったら!」
「何かって……ナニ?」
「そう! ナニ!」
「バッカねェ! あるわけないでしょう?」
「そうよそうよ。私たちなんて、相手にされるわけないじゃない」
「あーら、わかんないわよ! あのフランス人モデルとも別れたらしいし!」
「ねェ、あれ社長から振ったってほんと?」
「ああ、そんな噂あったわねェ」
「アレを振るくらいの男なのよ? よっぽど頭おかしくならないかぎり、アレ以下の女は選ばないわよォ!」
この子たちは息継ぎをいったいいつしているのだろうか。若さというものに気圧されながらも、さすがにそろそろこの状況はまずいと思い、音を立てないように四つん這いのまま移動し始めた時だった。
「ねェねェ、女っていえばさ……あの人だれ?」
その言葉に、ビキリと身体が固まる。み、見つかった?
「あァ! 今回一緒に来てたあの女の人?」
「私も思ってたー! あの人うちの社員じゃないよね?」
どうやら見つかったわけではなかったらしい。安堵のため息をつきながらも、会話の内容にまたもや動けなくなってしまった。私のことだ。多分。
「ルゥさんとあの人が話してるのちょっと聞こえたんだけど、なんか幼なじみ? らしいよ」
「幼なじみっ? えっ、社長の?」
「そうそう」
「ええっ! 社長の幼なじみとか、チョーうらやましい!」
「でもさァ、わざわざ幼なじみを社員旅行に呼んだりする?社員でもないのにさァ」
「……それも」
「そうよねェ……」
先程までの会話のキャッチボールはどこへやら、女の子たちは押し黙ってしまったようだ。え、どうしたの? なに?
「もしかして……社長の婚約者、とか?」
そのうちのだれかが、ぽそりとそんなことを口にする。ぎくっと、私の鼓動が軋んだ。
「え、ええ? まっさかァ!」
「だって、だってよ? わざわざ社員旅行に着いてくるなんて、おかしくない?」
「そ、それにしたって、婚約者っていうのは行きすぎじゃない? 新しい恋人とか」
「社長が今まで恋人を会社の行事に連れてきたこと、あった?」
「そ、それは」
「たしかに、今日はめずらしく全社員そろってるし、ありえないことじゃないかも……」
まさに、言葉を失うという状況のお手本のようだった。女の子たちにつられて、私も小さく息を飲んだ。
「……でもさ、なんか、こう言っちゃなんだけど」
1人の女の子がやっと口を開いたようだ。その歯切れの悪さに、こめかみから冷や汗が垂れる。
「あの人が社長の婚約者だったら、なんか、ちょっと、だなァ」
「ああ、うん。なんかそれちょっとわかる」
「うんうん。だよね。正直社長にはもっと、こう」
「そう。そうなのよ。もっと、ね?」
「いや、あの人もイイ人そうだったけどさ」
「そうそう! あの人が悪いとかじゃなくてね」
そう口々に言い訳をするように、彼女たちは私をやんわり否定した。
本心は、十分すぎるくらいに伝わった。
社長の隣には、もっと特別な女性がいてほしい。
シャンクスに近付きたいなどと冗談では口にしても、本当のところはきっとそうは思っていなくて。
彼女たちにとってシャンクスはきっと、ずっと雲の上の存在でいてほしいのだろう。
その望みにふさわしいのは、平凡な幼なじみではなくて、やっぱりフランス人女優なのだ。
「あっ、大変! そろそろホテル戻って出し物の用意しなきゃ!」
「ねェ、今年はなにやるの?」
「それはねェ、見てからのお楽しみ!」
「またかわい子ぶったダンスとかやめてよね」
「なによ、かわい子ぶったって! 失礼しちゃうわ!」
「あははっ、言えてるー!」
白浜を駆けていく足音たちと海の声を聞きながら、しばらくのあいだ、そこから動けないでいた。
*
「あああっ! いたっ! やっと見つけた! ベンさーん!」
Smokingと書かれた札がかかった小さなスペースに、ベンさんはいた。
ちょうどお一人様だったようで、ありがたいタイミングに胸をなでおろした。
「なんだ。***か。どうした、そんなに慌てて」
ベンさんは煙草片手に柔らかな笑顔で迎えてくれた。ああ、素敵。じゃなくて。
「あ、あのですね、ちょっと、その……お願いがありまして」
「お願い? おまえがおれに?」
「ほ、ほんとはシャンクスを探してたんですけど、どこ探しても見当たらなくて……」
「だろうな。この島に着いてからあの人は5分と持たずに所々に移動している」
「やっぱり」
「で? 頼みとは?」
ベンさんはタバコを揉み消してからポケットに両手を突っ込んで壁に寄りかかった。話を聞こうか、ということらしい。カッコイイ。じゃなくて。
辺りを見回して、私たち以外誰もいないことをたしかめてから、声を潜めて切り出した。
「あ、あの……実は、その」
「なんだ。婚約者の紹介に怖気づいたか」
「……!」
俯き加減だった頭を弾かれたように上げた。何もかもを見透かしたように、ベンさんは笑っていた。
「あ、あの、怖気づいた、というかですね」
「……」
「まァ、その。怖気づいたみたいなもんなんですけど」
「……」
「ま……まだ早いかな、と思いまして」
「早い、とは?」
「ええっと、つまり、その」
切れ長の目に気圧されて口ごもっていたら、ベンさんは、ふうっ、と息を吐いた。
「早いだろうな」
「……え?」
「おれも、そう思っている」
思わぬ言葉に動揺した。そんな私の心中を感じ取ったのか、ベンさんは「そういう意味じゃない」と言って笑った。
「今のあの人とアンタには、まだ早いということだ」
「……よ、よくわかりません」
「わからねェならいい」
「……」
「とにかく、わかった。中止の旨はおれから社長に伝えておく」
そう言いながら、ベンさんはポケットから煙草を取り出した。暗に、「もう行け」と言われているようだった。
小さく一礼をして去ろうとしたら、
「おまえ、考えすぎじゃないか?」
と、ベンさんは言った。
「え? な、何をですか?」
そう問えば、ベンさんは何かを言おうと口を動かしたが、思い直したようで「いや、いい」とだけ言って煙草を咥えた。
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