12 2/2

 すでに酒瓶が七本ほど空いているが、酔いが回ってくる気配はない。


 無人の食堂で一人、シャンクスは酒を煽っていた。


 八本目が空になる。傍らにスタンバイさせていた九本目に手をかけた。


 その時、食堂の扉が、控えめな音を立てて開かれた。


「お頭……」


 現れたのは***だった。風呂上がりのようで、肩から湯気が立ち上っている。シャンクスの姿を見て、心底驚いたように目を丸めていた。


 ***は食堂内を見渡した。いつもならこの時間でも船員が数人残っているのに、誰もいないから不思議に思ったのだろう。


 シャンクスは口を開いた。


「人払いしたんだ」

「え?」

「一人で飲みたくてな」

「……」


 ***は、テーブルの上の空の酒瓶に目をやってから、静かに笑った。


「そうだったんですね」

「あァ」

「……そんな日も、ありますよね」

「……あァ」


 背もたれに全体重を預けて、シャンクスは天井を見上げた。


「そんな日も、あるなァ……」


 目を瞑ると、なぜか故郷の空を思い出した。***の穏やかな表情を見ると、郷愁が胸を巡る時がある。子どもの頃の未熟な自分を思い出して、今も大して変わっちゃいないなと、頬が緩むのだ。


 シャンクスは目を開けると、***を見た。


「付き合え、***」

「……えっ?」

「船長命令だ」


 開けそびれていた酒瓶の栓を抜く。戸棚から、グラスを一つ手に取った。


「あ、ああ。付き合えって、なんだ、そっか。お酒……」

「ん? なんか言ったか?」

「い、いえっ。なんでも……」


 風呂上がりで上気した頬をますます真っ赤にして、***は近付いてきた。目の前に座ると、石鹸の香りが鼻孔をくすぐる。半乾きの髪の束が、首に張り付いていた。


 目が合った***は、照れくさそうにはにかむと、シャンクスが注いだ酒を小さな会釈で受け取った。


 かわいい。そして――愛しい。


 ***に何もなくて……本当に、本当に良かった。この笑顔が壊れるようなことがなくて、本当に――。


「今日は、世話かけたな」


 言いながら、***のグラスにグラスを合わせる。ちんっ、と、控えめな音が鳴った。


 ***が、背筋を伸ばす気配がした。


「世話、ですか……?」

「ラナのことだ」

「……」

「怖い思いをさせて、悪かった」


 グラスの中身を一気に飲み干す。***はまだグラスに口をつけない。


 酒瓶を持つと、***が腰を浮かせたので、シャンクスは「今日はいいんだ」と酌を辞退した。


「ラナには、次の街で船を下りてもらう」


 シャンクスがそう告げると、***は勢いよくカオを上げた。表情には、驚愕と困惑が広がっている。


 ***は、何かを言おうとしていた。自分を落ち着かせるためか、ようやく酒に口をつけた。


「で、すが……」もう一度、酒で口の中を湿らせてから続けた。「今回は、その……未遂、だったわけですし……」


 シャンクスは目を丸めた。


「未遂? ――ああ、いや。違うんだ」

「え?」

「浮気されそうになったから追い出すとか、そういうんじゃない」


 もういいだろう――そう考えて、シャンクスは正直に白状することにした。


「恋仲じゃないんだ。元々」

「……え?」

「おれとラナ。恋人同士というわけじゃない」

「……えっ、ええっ?」

「ラナは、今までも他の男と寝ていたし」

「……」

「おれも……まァ……」

「……」

「それなりに、な……」


 惚れた女にこんなことまで打ち明けてしまうとは、ようやく酔いが回ってきたのかもしれない。


 いや、もしくは――自分で思っている以上に、自分の浅はかさを悔いているのか――。


「人の心を救うってのは……なかなか難しいもんだな……」


 自分の恋心を抑え込むことは出来ても、他人の心まではコントロール出来ない。抱けば抱くほど、ラナは自分に惹かれているようだった。


 ラナが自分に依存しないよう、シャンクスはわざと他の女の香りをさせて船に戻る時があった。ラナは何も言わなかったが、その代わり別の方法でシャンクスの気を引くようになった。結局、どんな試みもすべて無駄だったわけだ。


 一体、どうしてやることが、正解だったのだろうか――。


「どんなに手を尽くしても……伝わらない時は、伝わりません」


 ***の、静かで穏やかな声が食堂に響き渡る。


「ですが、いずれ……時を経て、伝わることもあります」

「……」

「今はダメでも、きっと……」

「……」

「きっと、ラナちゃんなら……」

「……」

「お頭の気持ち、分かってくれるんじゃないでしょうか」


 ***が、俯いていたカオを上げる。


 母のような柔らかな笑みに、シャンクスは息を呑んだ。


「お頭があんなに……大切にしていた人ですから」


 ひっきりなしに酒を持ち上げていた手が止まる。やがて、グラスから自ずと手が離れた。


 自分が、大人に諭される小さな子どものように思えて、シャンクスは途端に恥ずかしくなった。けれど、そんな情けない姿を晒している相手が***であることに、なぜか安心感を覚えた。


「お頭……出来る限りのことは、してみませんか?」


 ***のその言葉に、シャンクスは俯いていたカオを上げた。


「いや、しかし……そうしたいのは山々だが、一度出した下船命令を撤回するつもりは――」

「もちろんです」


 無論、分かっていると言わんばかりに、***は深く頷いた。


「次の島へ辿り着くまで、まだ数日時間があります」

「……」

「ここまできて、諦める必要は……まだないのではないでしょうか?」

「……」


 強い女だ。――おれなんかよりも、ずっと、ずっと。


「***……」


 赤い双眸を、まっすぐに***へ向ける。***は、しゃんと背筋を伸ばした。


「おれと一緒に……ラナを救ってくれるか?」


 そう問うと、***は安堵したように破顔した。そして、


「お頭の思いは、船員である私の思いです。……お手伝いさせてください」


 そう、はっきりと受け応えたのだった。


[ 14/20 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#学園」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -