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「そうか……」


 そう呟いたきり、シャンクスは深くうなだれた。そして、太く長い息を吐き出すと、ゆらりと頭を上げた。


「もう一度訊くが――***に、怪我はないんだな?」

「あァ――」一つ頷いてから、ベンは付け加えた。「かすり傷一つも」


 自分を納得させるように、シャンクスは小刻みに頷いた。しかし、眉間の皺は深くなる一方だ。


 潮時じゃねェのか――苦悩のにじむ船長の横顔を見ながら、ベンは低い声で言った。


「今回は、頭のいいヤツらだったからいい」

「……」

「刺青一つで、命の危機を察知できるヤツらだったから」

「……」

「しかし、そういうヤツらばかりとも限らん」

「……」

「もし、そんなヤツらが相手だったら」

「……」

「***は――」

「やめてくれ」懇願にも近い声色が出る。「想像もしたくない」


 ベンは紫煙を吐き出した。そして、「そんなの、おれも一緒だ」と呟いた。


 報告は、船が出港して程なく、シャンクスの耳に入ることとなった。ベンは、何から何まで包み隠さず、正確に報告をしてきた。経緯を見ていない部分はほぼ想像だと言っていたが、おそらくその想像とやらは間違ってはいないのだろう。


 ***に、ラナへの不信感を抱かせてしまった――それが、一番の問題だった。


 そのことに頭を抱えるのは、ラナのためではない。***のためだ。


 ***は勘のいい女だ。それに、優しい。一度不信感を抱けば、ラナの行動を逐一気にするようになるだろう。そして、いつか気付く――ラナの心の闇に。


 それに気付いた***が何を思うか――シャンクスには手に取るようにわかる。きっと、ラナを命がけで止めようとするだろう。そして、それはきっと、ラナのためではない。頭である、自分の心を守るためだ。


 そのためなら***は、どんな犠牲も厭わなくなる。今回のことがいい例だ。***には、ラナを救いたいという気持ち以前に、頭である自分を救いたいという気持ちがあるに違いない。


 船員は皆、自分に命を捧げる覚悟でいる。シャンクスにとって、***のその覚悟が、一番怖かった。


 潮時、か――。


「ベン……すまんが、ラナを呼んできてくれるか」


 シャンクスがそう頼むと、ベンは紫煙を吐き出してから船長室を出た。


 シャンクスは、瞑っていた赤い目を、ゆっくりと開けた。





「……え?」


 その言葉を告げると、ラナは奇妙な笑顔のまま、びたりと表情を固めた。


 ラナから一瞬も目を逸らすことなく、シャンクスはもう一度口にした。


「次の街で……船を下りてくれ。ラナ」


 ラナは、表情を変えないまま、しばらくぼうぜんとしていた。やがて、首がゆっくりと左右に振られる。その動きが次第に激しくなっていって、表情はいびつに歪んでいった。


 ラナが、シャンクスの服にしがみついた。


「いや……! そんなの、絶対にいや!」

「ラナ――」

「どうしてっ? 私、何かシャンクスの気に障るようなことしたっ?」

「……」

「だったら直す……! 私が何かしたなら、謝るから……!」

「……」

「っ、お願いっ……!」


 色素の薄い大きな瞳に、無色透明の膜が張る。


 色白な頬の上を、水晶のような涙が何粒も滑り落ちていった。


「シャンクスまで……っ、私を見捨てないで……!」


 細い肩が、頼りなげに揺れる。やがてラナは、全体重をシャンクスに預けた。


 こんなにも、この子の身体は軽かっただろうか――無意識に抱き寄せようとした右腕を、シャンクスは慌てて降ろした。


 潮時なんだ――頭の中で、自分にそう何度も言い聞かせる。


 鈍った決心に平手打ちをしたのは、まぶたの裏に浮かんだ***の笑顔だった。


 シャンクスは、ラナの身体を突き放した。


「っ、シャンクス……?」

「いつまでも甘えるな」


 低い声を出せば、ラナはサッとカオを蒼くした。


「約束をそう何度も破る人間を、いつまでもこの船に置いてはおけない」

「っ、もうしないっ……! シャンクスを裏切るようなことはっ、もうっ――」

「おまえ……おれを、誰だと思ってる」


 冷たくラナを見下ろしながら、シャンクスは続けた。


「海賊船の、頭だぞ」

「――!」

「いつまでも、なめてんじゃねェ」

「シャ、シャンクス……」

「分かったら、荷物をまとめておけ」


 そう言い放つと、シャンクスは震えるラナを置き去りにして、船長室を出た。




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