羨望 2/3
あの一件があってからというもの、おれの***に対する見方が変わった。良い方に、という意味だ。
同じ思い、同じ秘密を共有していることが、功を奏したのかもしれない。
そしてそれは、おそらく***も一緒だろう。
出会ったばかりの二人のあいだには、張り詰めた糸のようなものを感じたが、その糸はどうやらもう切れたらしい。
おれは、カンが鋭い方だ。どのくらいかと言えばシャチの100倍は鋭い。キャプテンと比べても10倍。
だからこそ、***のキャプテンに対する想いには、すぐに気付けた。
幼なじみ以上の愛情が、***にはある。
しかし、分からないのはキャプテンだ。
キャプテンの***に対する異常なまでの執着心は分かるが、それが何から来るものなのか。未だ図りかねていた。
「自分の”モノ”が、思いどおりにならないと、おもしろくないみたいなんです。」
当事者である***に、それとなく聞いてみたことがある。その答えがこれだった。
まァ、キャプテンの性格なら、その理屈も分からなくはない。分からなくはない、が。
どうも、釈然としない。いくら古い付き合いとはいえ、しょせんは幼なじみ。それ以上でも、以下でもない。
あのキャプテンが、たったそれだけの存在に、あんなに固執するだろうか。
しかし、その答えは思いもよらぬタイミングであきらかとなる。
ー…‥
「***がいない。」
帰ろうと下駄箱に向かっていたところを、キャプテンに呼び止められた。
呼び止められた、と言っても、名前を呼ばれるだとか、「今ちょっといいか」などの前置きはない。開口一番がこれだ。
「…教室じゃないんですか?」
「とっくに行った。心当たりは探した。」
「…探してみます。」
「あァ。見つけたらすぐ知らせろ。」
いつもより尖った空気を纏わせて、キャプテンは再び校内へ戻った。
まったく、***のことになると、すぐこれだ。冷や汗なんて垂らして、らしくない。ああいうキャプテンを見るたびに思う。
うらやましい。あの男に想われている、おまえが。
平和ボケした、まるっこいカオを思い浮かべると、その主を探すべく校内へと身を翻した。
ー…‥
「***。いるか?」
図書室の引き戸をキイキイと鳴らしながら声をかければ、ぐっと口を結んだ。
入ってすぐ、真正面の席。本を枕にするような体勢で、***は眠りこけていた。まったく、図書室と本をなんだと思っている。
他の席を見れば、人っ子ひとりいなかった。図書委員らしき人間も見当たらない。どうやら***は、置いてきぼりにされたらしかった。
近付いていくにつれ、規則正しい息遣いが耳に届く。栗いろの髪がオレンジの光に照らされて透きとおっていた。
「***。起きろ。キャプテンが探してる。」
「う、ん…」
「…………………。」
「…………………。」
まいった。まったく起きる気配がない。頭を叩いてやろうか。いやいや、キャプテンに殺される。乱暴にするのはやめておこう。優しく、優しく。
肩を揺すろうと手を伸ばして、止めた。
***のこめかみあたりに、玉の汗が浮いていた。西日が当たって暑いのだろう。拭ってやろうと、肩に向かっていた手を頬へ滑らせようとした。
その時、
「何してる。」
空気が凍った。寒気が走った。暑い室内なのに、冷や汗が出た。それほどまでに、威圧的な冷たい声だった。
慌てて手を引いた。振り向かなくても、声の主は分かる。振り向きたくない気分だった。だが、そういうわけにはいかない。
壊れたブリキのオモチャのように、ギギギッと首を回転させれば、キャプテンがまっすぐにおれを見ていた。瞳の中の藍が、燃えているようだった。
「あ、その、あの、…***、眠っているみたいで。なかなか起きなくて。それで、あの…」
「…………………。」
やましいことなど何もないのに、なぜか妙にうしろめたい。眼球が目の中で左右に泳ぐ。キャプテンの目が見られなかった。
おれの言い訳めいた言い分に、キャプテンは何も答えなかった。
やがて、ゆっくりとこちらへ歩み寄ると、おれの目の前で立ち止まった。身体の穴という穴から脂汗が噴き出す。鼓動はリズムが狂って暴れていた。
「ペンギン、」
「はっ、はい!」
キャプテンの刺青だらけの手が伸びてきた。意思とは関係なく、身体が大きく身震いする。”殺される”。大げさじゃなく、本気でそう思った。
カオあたりに伸びてきたキャプテンの手は、するり、と右によけて、そのままおれの肩に乗った。
「手間かけたな。」
そうとだけ言うと、キャプテンはおれの横を抜けて***のそばに立った。パチコンッとこの空気に似つかわしくない音がすると、***が「んごっ、」と声を出した。どうやら頭を叩かれたらしい。
「あいたたっ、いったァ!なっ、なっ、なに今のっ、…あ、あれっ?ロー?」
「てめェ、今何時だと思ってる。」
「えっ、…あっ!えっ!うそっ!」
「このおれを待たせるとは、いい度胸してんじゃねェか。あァ?」
「ひっ、ごっ、ごめっ、ごめんなさっ、」
「さて、今回はどんな罰にするか。」
「まっ、またデコピン10回はやめて…!」
「そうだな。20回にしよう。」
いつものじゃれ合いを、ぼう然と見ていた。抜け殻のように、ただ目を向けているだけで、心はどこか別のところにあった。
「あっ、あれっ?ペンギンさん!どうしたんですか、ペンギンさんまで。」
おれの存在に気付いた***の呼びかけで、ようやく正気を取り戻した。固まっていたカオの筋肉を頑張って動かすと、なんとか口元に笑みを作れた。
「あ、あァ。おまえが行方不明だと、キャプテンに聞いてな。」
「えっ、じゃ、じゃあ、ローと一緒に探してくれたんですかっ?」
「ペンギンの手まで煩わせやがって。やっぱり30回に増やすか。」
「ひっ…!」
「あははっ、いや、おれはそんな。」
笑い方がどうも曖昧な気がする。それをキャプテンに気付かれていないか。キャプテンの心中ばかりが気になって、会話の内容はまったく頭に入らなかった。
「あっ、そうだ。ペンギンさんも一緒に行きませんか?」
「え?」
「これからローと、カフェラテのおいしい喫茶店に行くんです。ペンギンさんもよかったら、一緒に行きませんか?」
「あァ、…そうだな、」
考えるフリをしたが、答えは決まっていた。この緊張感をこれ以上味わう気は微塵もなかった。身がもたない。
「悪いが、野暮用があるんだ。」
「あ、そうなんですか。じゃあ、また今度。」
「あァ。そうだな。」
「行くぞ。***。」
言うと、キャプテンは歩き出した。***が慌ててバッグに教科書とノートを放る。すべてを詰めこむと、***はおれに向けて微笑んだ。
「じゃあ、ペンギンさん。ありがとうございました。さようなら。」
「あァ。じゃあな。」
ドタバタとキャプテンを追う***を目で追って、それが見えなくなってから大きく息を吐いた。情けなく力が抜けていって、***が座っていた椅子にへたりこんだ。
妹を思う兄。ちがう。娘を思う父。ちがう。
幼なじみを思う、幼なじみ。
ちがう。まったくちがう。
あれは、
恋人を想う、男。
あの目は、
恋人を奪おうとする、敵に向けた目だ。
気付かないフリじゃない。目をそらしているわけでもない。
キャプテンは、分かっていない。
それが、恋心から来る”嫉妬”という感情だということを、知らないんだ。
すべてが一本につながった。込み上げてくる喜びが、抑えられなかった。おれは、笑っていた。
あの男の、大きな秘密に気付いてしまった。
だれも知らない。シャチも、***も。キャプテン本人ですらも。だれも知る由もない。
そんな、大きな大きな秘密を。
机の上に、ペンが1本転がっていた。***が忘れていったのだろう。それを手に取ると、
「***。やっぱりおれは、おまえがうらやましいよ。」
そう呟いて、図書室を出た。
ー…‥
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