羨望 1/3
その男と初めて出会ったのは、中学の時だった。
当時つるんでいた気性の荒いヤツが、その男に喧嘩を売った。
しかし、相手が悪かった。
男は、冷えた瞳の奥に、暑苦しいくらいの野心と魂を持っていた。
その奇妙な魅力に、おれは心の芯まで取り憑かれた。
気味の悪い話だが、その目を初めて見た時から、おれはこの男の一生を支えていこうと、そう心に誓ったんだ。
「え?幼なじみ?」
出会って幾日か経ったある日。キャプテンの口から思いもよらぬことを聞いた。
少なからず、おれは動揺した。キャプテンに、幼少の頃から付き合っているヤツがいるとは。しかも、女。
「あァ。1-Bにいる。」
「はァ。で、その女が何か?」
「見張ってろ。」
「は?」
「だから、」
キャプテンは胸ポケットからタバコを取り出すと、1本引き上げた。刺青だらけの武骨な手が美しい。いや、おれに同性愛の気などないのだが。
「見張ってろと言ったんだ。」
「見張る、とは、なんのために?」
「決まってんだろ。ウジ虫が寄り付かねェようにだ。」
「…あの、」
「なんだ。」
「…幼なじみ、ですよね?」
真意を探るようにそう尋ねれば、キャプテンは至極不審そうなカオをした。
「?だから、そう言ってるだろ。」
「あ、は、はい。すみません。」
「寄ってきた虫は、構わねェ。消せ。」
「…わかりました。」
颯爽と去っていく長身の男を、放心したまま目で追った。どういうことだ。ただの幼なじみではないのか。
何はともあれ、まず相手を知らなければ話にならない。おれは、キャプテンの言っていたクラスの教室へ足を向けた。
ー…‥
なんだ。あれは。
その女を初めて見た時の感想が、これだ。
ただの幼なじみとはいえ、あのキャプテンがおれに頼んでまで守りたい女だ。それなりの女だと思うのが当たり前というもの。
その女は、ごくごくフツーの女だった。悪い意味で。
悪い意味で、というのは、キャプテンのとなりにいるにはフツーすぎるということだ。あの女とつるんでいるニコ・ロビンのほうが、よっぽどふさわしい。
頭がいたくなった。あれを守れと?だがしかし、キャプテンの言いつけだ。守らぬわけにはいかない。
「あァ、そこのアンタ。悪いが、あそこにいる女を呼んできてくれないか。」
「あそこって、…***ちゃん?」
「あァ。たしかそんな名だ。」
「***ちゃーん!お友だち呼んでるよ!」
やめてくれ。友だちなんかじゃない。
しばらくすると、その女はおずおずとおれの前に現れた。どうやら、見知らぬ男が自分を訪ねてきたことに合点がいかないらしい。
「あ、あの、私に用って、」
「キャプテンの幼なじみか?」
「キャ、キャプテン?あ、も、もしかして、ローのことですか?」
一縷の望みも断たれた。どうやら、人違いではないらしい。軽く目眩がした。
しかし、まァ、近くで見れば愛嬌がなくはないような気がしないでもない。頑張れ、おれ。
「…ローと、そう呼んでいるのか。」
「えっ、あ、はい。トラファルガー・ローなんで。」
そんなことは知っている。バカにしてるのか。くそ、うらやましい。おれだってローとか呼んでみたい。
「あ、あの、もしかして、ローに何かあったんですかっ?」
「は?」
「あのっ、喧嘩して、怪我とか…!」
サッとカオを蒼ざめて、女はおれの制服にしがみついた。気分が悪くなって、その手を引っ掴んで押し退けた。
「そんなんじゃない。キャプテンが、おまえにアイサツしてこいと、そう言ったから来たんだ。」
「ア、アイサツ?」
「あァ。おれはペンギン。何か面倒ごと、特に男がらみで何かあれば、おれに言ってくれ。」
まァ、この見てくれじゃあ、おれの出番はなさそうだが。という言葉はノドの奥に止めておく。
「な、何もないかとは思いますが。」
「だろうな。」
「はい?」
「いや。ないといいなということだ。」
「あ、そ、そうですね。…あの、」
「なんだ。」
「いや、あの、…すみません。」
「?なにがだ。」
「あ、だから、その、」
おれの威圧的な空気に気圧されたのか、女はもごもごと口を噤んだ。どうでもいいが、話し方がイライラする。どうしてそういちいち口ごもる。
「ロ、ローに頼まれたんですよね?その、私を見張ってろ、とか。」
「…いや。」
「やっぱり、そうなんですね。ほんとにあの、…すみません。」
女は、罰が悪そうに小さく頭を下げた。なるほど。どうやら、お目付役はおれが初めてではないらしい。
「…べつに、アンタに謝られる義理はない。キャプテンの言いつけなら、従うだけだ。」
「あ、は、はい。ありがとう、ございます。」
「じゃあ。」
極力会話をしたくなくて、おれは用件だけ伝えると、女の元を去った。
女が心底うらやましく思えて、そのことにひどく苛立った。早くおれも、そこまで這い上がりたい。あの男のそんな存在になりたい。
もっとも、おれはキャプテンに守られるだけ、なんて真っ平ごめんだが。
「…あのっ!」
立ち去ろうとしている背中に、追い打ちのように女の声がのしかかる。身体全身が苛立ちで身震いした。
「なんだ!」
「ローと仲良くしてくれて、ありがとう。」
「…は?」
振り向けば、女は笑っていた。うれしそうに、へらへらと。
「ローの大切な人は、私にとっても大切な人なので、」
「…………………。」
「ペンギンさん、も、何かあったら、いつでも頼ってくださいね。」
「…………………。」
なんと答えていいか分からずに、おれは押し黙った。
アンタに頼る気など、毛頭ない。しかし、まァ、そんなに悪いヤツじゃないかもしれない。そう思った。なぜか。
”ローの大切な人は、私も大切”
その想いが、自分とまったく一緒だったから。
「…女に頼るようなことはないと思うが、とりあえず分かったと言っておく。」
「ははっ、はい。じゃあ、あの、よろしくお願いします。」
「それでは」と言って、やっと女はおれの元から去っていった。
ー…‥
「幼なじみだからって、いい気になってんじゃないわよ。」
初対面から数日経った時だった。もはやおれの日課になりつつある”あの女の偵察”にと、昼休みにクラスを訪ねれば、あの女はいなかった。
よく一緒にいる暗黒そうな女に尋ねようと探してはみたが、暗黒女は本日休みらしい。
仕方なくあきらめて戻ろうとしたところ、「あの」とクラスの女に声を掛けられた。話を聞けば、どうやら「***ちゃんは上級生数人に呼び出された」らしい。
呼び出すといえば、まァ、大体裏庭あたりだろう。と、根拠もなくそう考えて裏庭へ向かった。
裏庭に近付くにつれて、数人の話し声が聞こえてきた。ようやく会話が聞き取れたところで、冒頭に戻り今に至る。
「なんでアンタみたいな地味な女が、トラファルガーくんにつきまとってんのよ。」
「そうよ。少しはわきまえなさいよ。」
「女のストーカーなんて、なんて気味悪い。」
「あのね、私たちは何もあなたのことを責めてるんじゃないの。ただ少し、出すぎたマネしてるかなって、注意に来ただけ。」
ぽんぽんぽんぽん。よくもまァそんなに人を責め立てるセリフが出てくるもんだ。その頭の回転の早さを、もう少し有意義に活用してほしい。
そして、おまえたちは大きなカンチガイをしている。ストーカーは***の方じゃない。キャプテンの方だ。
まァ、そんなことを言ったところで、だれも信じたりはしないだろう。事実、目の当たりにしているおれですら、まだ信じられない。というか、あそこに出て行くのが面倒くさい。
しばらく様子を窺うことにした。あの女がこの状況をどうするのか。それにも少し興味がある。
「ねェ、ちょっと。さっきから黙りこくって、なんなのよ。」
「人の話、ちゃんと聞いて、」
「ごめんなさい。」
何を思ったか、***は頭を下げて謝った。謝ったのだ。女たちとおれの「は?」が、うまい具合にカブった。謝る必要が、どこにある。
すると、***は頭を上げて、へらへらと笑いながら言った。
「あの、私、ローとはその、幼なじみなんですけど、昔っから血の気が多くて、その、怪我ばっかりしちゃうんで、心配で、世話焼いちゃって、」
「…………………。」
「男性として、っていうか、もう、あの、お兄ちゃんみたいな感じっていうか、あっ、そ、それに、わ、私みたいな地味な女が、相手にされると思いますかっ?」
「…………………。」
「ローならきっと、皆さんみたいなキレイな女性を好きになると思うし、だから、あの、私のことはその、ローのキーホルダーくらいに思って頂けるとありがたいんですけど…」
「…………………。」
***を取り囲んでいた女たちが、カオを見合わせてから、ひそひそと笑い始めた。不憫と思ったのか同情しているのかは知らないが、あざけりが入り混じった笑い方だった。
「まァ、身の程わきまえてくれればいいのよ。」
「そうそう。でも、トラファルガーくんに必要以上にベタベタしないでよね。」
「気に入らなかったら、また呼び出すから。」
「あははっ、はい。わかりました。」
そうして、女たちは***に目立った害を加えることなく去っていた。そいつらの下品な笑い声が聞こえなくなったところで、おれはようやく***のところへ現れた。
「あれっ、ペンギンさん。どうしたんですか?こんなところで。」
「…おまえが呼び出されたと聞いてな。」
「…あァ。そっか。ははっ、見てましたか?」
***は気まずそうに眉を下げて笑った。そのカオに、おれはますます嫌悪した。
「何を謝る必要があった。あんなの、ただのやっかみだぞ。」
「ははっ、まァ、そうですよね。」
「あんな、へりくだるような真似して。そんなことしてまで助かって、情けなくないのか?」
「…………………。」
「アンタみたいな女が、キャプテンのそばにいることが、おれは、」
そこまで言って、口を噤んだ。まずい。言いすぎたかもしれない。
しかしそれは、***をキズつけているかもしれないという焦りではない。キャプテンにチクられたらどうしよう。キャプテンに嫌われる。
「小学生の時、」
「…は?」
保身のための言い訳を必死に考えていると、***がそんなことを切り出した。
「初めて、こういうことがあった時、」
「…………………。」
「私、突きとばされて、膝すりむいちゃって、」
「…………………。」
「今考えたら、言い訳なんていくらでもあったんですけど、ローに理由聞かれたら、なんかうまくごまかせなくて、」
「…………………。」
「ロー、すごく怒って、その女の子たちのこと、怪我させちゃったんです。」
「…………………。」
「そしたら、その女の子たちのお兄ちゃんとかが仕かえしに来て、ローたくさん怪我しちゃって、…あっ、ロー小学生の頃はケンカちょっと弱かったんですよ。あははっ、」
「…………………。」
「アザとか、すりキズだらけで、すごくイタそうだったけど、それよりも、私は、」
***は辛そうに眉を寄せて、言った。
「自分のせいで私が怪我したって知った時のローのカオが、今にも泣き出しそうで、」
「…………………。」
「心のキズの方が、よっぽど苦しそうだったから。」
「…………………。」
「だから、あの時心に誓ったんです。どんなことしても、もうあんな思いさせないようにしようって。」
「…………………。」
「ははっ、たしかにちょっと、情けない方法なんですけど、いろいろ試してみた結果、あれが一番話まとまりやすいんです。」
「…………………。」
「だから、」
「悪かった。」
「え?」
とっさに詫びの言葉が口を突いて出た。保身のためではない。表面しか見ていなかった自分を、心から恥じた。
「あ、あの、ペンギンさんが謝ることは、」
「いや、いいんだ。黙って受け取っておいてくれ。」
「は、はァ…」
「無論、今の話は墓まで持っていく。安心してくれ。おれは口が固い方だ。」
そう言い切れば、***はしばらくあっけに取られてから、シャボン玉が弾けるように笑った。それを見て、胸が聞いたことない音で鳴った。
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[mokuji]
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