42-1

 もうすぐ島に着くらしいと噂に聞いたのは、私とラクヨウさん(とエースとディモ)が、マルコ隊長にこってりと絞られた翌日のことだった。


 モビーはほんの数日前に上陸したばかりだったので、本来であれば上陸の予定にはならなかった。けれど、ディモの歓迎会でお酒が大半なくなったこと、そして、前回はディモがゆっくりと買い物をする時間がなかっただろうということで、上陸する運びとなったらしい。おそらく前者の理由は、ディモが遠慮をしないようにというオヤジさんの配慮だろう。


 オヤジさんの上陸命令を聞いたマルコ隊長は「まったくオヤジも甘いねい」などとぼやきながら、口元を緩めていた。私も心の中で「まったくマルコ隊長も甘いねい」と密かに彼の口真似をした。


 船内が上陸に向けて騒がしくなる。私も準備をしていると、マルコ隊長が声をかけてきた。


「***。悪いが島に着いたら、ディモと一緒に行動してくんねェか」


 マルコ隊長が言い終わるより早く、彼の背中に隠れていたディモが慌てたように前に出た。


「マルコ……! いいよ、そんな。***は、ほらっ、エースと回りたいだろうし……」


 エースに向かっていく時のいつもの威勢はどこへやら。私の方をちらちらと見ながら、ディモは小さな声でそう訴えた。


「あ……私はいいですよ! ディモがよければ」

「えっ」

「ほら、***がこう言ってんだから素直に甘えろよい。おまえ、***と一緒に買い物したいって言ってたじゃねェか」


 マルコ隊長がそう言うと、ディモはカオを真っ赤にしてマルコ隊長に噛み付いた。


「どうして本人の前で言うんだよっ。ほんっと、デリバリーのない男だなっ」

「……デリカシーな」


 二人のやり取りに声を上げて笑う。ディモは、恥ずかしそうに身を縮めて言った。


「あ……でも……いいの? エースと一緒に行かなくて」

「あっ、うん。エースとはこの前一緒に回ったばっかりだし。私も、その、ディモと一緒に行きたい、かな」


 一緒に買い物に行きたい、なんて、言われ慣れていないから、照れくさくて私までしどろもどろになってしまう。もじもじしている私たちを見て、マルコ隊長があきれ笑いをしながら「じゃあ気をつけてな」と言い残して去っていった。


「……」

「……」

「あ……じゃ、じゃあ、用意しよっか」

「あっ、うん。そうだね。ありがとう……」


 もじもじした空気のまま、私たちは上陸に向けて準備を再開した。





「あれっ? ***どこ行くんだよっ?」


 島に上陸すると、エースが私めがけて駆けてきた。私の隣にいるディモと私を交互に見て、目を白黒させている。


「あ、エース。今日はディモと買い物に行ってくるね」

「なっ、なんでっ! おれはっ?」

「えっ? エースは、ええっと……他の誰かと一緒に――」

「だめだっ! おれも***と一緒に行く!」


 エースが、私の左腕をぎゅっと掴む。


 その反対側から、今度はディモが私の腕を掴んだ。


「はっ、離せよエース! ***は先に私と約束したんだから! エースは邪魔っ」

「何言ってんだ! おまえが邪魔だっ」

「なんだよやるのかっ」

「望むところだっ」

「あの……三人で行く?」


 私の折衷案は届かず、二人は臨戦態勢に入った。


 その背後からマルコ隊長の拳骨が忍び寄っていて、私はそっと二人に向けて合掌した。





「まったく……! すぐ殴るんだからなっ。マルコはっ」


 小さな頭にこさえたタンコブをさすりながら、ディモは頬を膨らませている。


 私は小さく笑った。


「怒られることするからだよー。エースもディモも」

「だっ……! だって……エースが突っかかってくるんだもん……」

「ほんと、仲良いね」

「……! なっ、仲なんて良くないっ」


 小動物が威嚇するみたいに、ディモは目をつり上げた。全然怖くなくて、やっぱり私は笑ってしまった。


「そういえば、ディモ。今日は何買いたいの?」

「えっ、あっ……ええっと……」


 ディモはショートパンツのポケットを探ると、中から紙切れを取り出した。


「け、化粧品、なんだけど」

「化粧品?」

「うん。ええっと……”ふぁんでーしょん”と“ちーく”と」

「……」

「あとは……“ますから”? ますからってどこに塗るやつだっけ……」

「……ディモ、お化粧したいの?」


 いつものディモは明らかにすっぴんだ。ファンデーションなんて必要のないきめ細やかな肌に、ピンク色の健康的な頬。まつ毛だって、ばさばさってほどではないけれど、ディモの幼い顔付きにぴったりの程よい毛量が備わっている。どのパーツをとってもお化粧が必要なようには思えなくて、私はそう訊いた。


「化粧がしたいっていうか……」メモ紙と私のカオを交互に見る。「その……大人っぽくなりたくて」

「大人っぽく?」

「う、うん。ほらっ、モビーのナースたちって、みんな大人っぽいでしょ? なんていうか、こう……お色気ムンムンっていうかっ」

「お、お色気ムンムン……」

「だから、その……」


 ディモは唇を尖らせた。


「エっ……エースがいつも、ナースたちにデレデレしてるからさっ」

「……」

「だから私も、もっと大人っぽくなって、エースを、その……ひっ、ひざまずかせたいってわけ!」

「……つまりディモは、エースにデレデレしてほしいと」

「なっ……!」

「そう思ってるんだね」

「ちっ、違う! ひざまずかせたいって言ってるだろっ」

「なるほどなるほど」

「***っ」


 すぐにカオを真っ赤にするディモがかわいくて、ついつい意地悪を言ってしまう。つい先日、船内ですれ違ったイゾウさんが「アイツはいじめがいがあるんだよ」と耳打ちした理由が、不本意ながら少し分かってしまった。


 しかし、そうか……大人っぽくなりたい、か――私は頭を悩ませた。


 理由は十中八九、エースのためだろう。エースを振り向かせたいという恋心からくる望み。


 けれどおそらく、今のディモにお化粧は似合わない。きっと、子どもが背伸びをして無理やりお化粧をした時のような違和感が出てしまう。そしてきっと、そんなディモを見たエースは、げらげらと笑いながら彼女をからかうだろう。いつもは突っかかっていくディモも、エース本人にそんな反応をされたら、きっと二度とお化粧をしたいと思えなくなる。もともとかわいい顔付きだから、もう少し年齢を重ねればきっと似合うようになるはずだ。ただ、残念ながらそれは今ではない。かと言って、ディモの今の気持ちをむげにしてしまうのも気が引ける――。


「***?」

「……へ?」

「もしかして、お、怒った?」

「えっ。な、なんで?」

「だって、なんか……眉間に皺が寄ってるから」

「え? ああ! 違う違う。ディモに似合うお化粧ってどんなかなーって考えてただけ!」


 そう答えると、ディモはほっとしたように表情を和らげた。


「とりあえず、お化粧品屋さんに行ってみよっか! そこでいろいろ試してみよう」

「……! うっ、うんっ」


 星のように目をきらめかせたディモを連れて、目についたかわいらしいショップに足を踏み入れた。





「かわいいリップ買えてよかったね、ディモ」


 ディモの右手からぶら下がっている小さな紙袋を見ながら、私は言った。


 ディモも、嬉しそうにそれを持ち上げて笑った。


「うんっ。ありがとう、***!」

「どういたしまして」

「それにしても……自分があんなに化粧が似合わないなんて思わなかった……」


 数時間前の鏡に映った自分のカオを思い出したのか、ディモはがっくりと肩を落とした。


 ショップに着いていろいろと見ていたら、店員さん(私の世界でいうところのBAさん)が話しかけにきてくれた。私はディモに、フルメイクをしてもらってはどうかと提案した。


 きっと、自分で実際に見てみた方がいい。お金も余分にあるわけではないし、何よりエースにげらげらと笑われるディモを見たくなかった。


 すると案の定、フルメイクが終わって意気揚々と鏡を見たディモは絶句した。そして、耳まで真っ赤にしたカオで「落としてください」とお願いをしたのだった。


「似合ってなくはなかったよ。多分、普段見慣れないから違和感がしたんだと思う。一気に足すんじゃなくて、今回のリップみたいに少しずつ足していけば、きっと自然と似合ってくるんじゃないかな?」


 結構いいアドバイスが出来たんじゃないかと自負しかけたが、ディモがふいに表情を暗くしたので、私は首を傾げた。


「ディモ? どうかした?」

「***は……優しいね」

「えっ?」


 ディモの横顔を覗き込む。ディモは、ほんの少し寂しげな表情で笑っていた。


「エースが慕うのも……よく分かるよ」

「そ、そうかな?」

「……」

「ま、まァ、慕うっていうか、恩を感じてくれてるっていうか」

「……」

「それ以上でも以下でもないんだけどね」

「……そっか」


 ディモは力なく笑った。


 何か誤解をしているかもしれない。そう感じて、私が口を開きかけた時だった。


「どこ行くんだい? お嬢さんたち」


 目の前に、十数人の人影がずらりと並んだ。


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