42-3

「イっ、イゾウさん……!」

「なんだ、***か。どうした、そんな色気のねェ声出して」


 飄々と言い放ちながら切れ長の目をまるくする。イゾウさんは、月明かりを頼りに腕に包帯を巻いている最中のようだ。


 月明かりだけで十分明るい。そのまま電気は点けず、私はイゾウさんの方へ歩み寄って行った。


「怪我でもされたんですか?」

「ん? あァ、これか?」

「はい」


 包帯からはみ出た大きな切り傷に目がいく。


 イゾウさんは、しゃらりと黒髪を揺らして首を横へ振った。


「古傷だ。皮膚が薄くなってて破れやすいから、たまに血が滲むんだ」

「そうなんですか……あ、ま、巻きましょうか?」

「んにゃ、大丈夫だ。もう終わる」


 その言葉通り、はみ出ていた傷は包帯で綺麗に包まれていた。包帯の端を真っ赤な唇で食むと、指で上手に割いてそれを器用に結んでいった。


「一丁あがり」

「お上手ですね……」

「おめえさんは?」

「はい?」

「何しに来たんだ? こんな夜更けに医務室なんかに――あァ」


 イゾウさんが私の耳元に唇を寄せる。柔らかなおしろいの香りが、ふわりと漂ってきた。


「おれがここにいると分かってて、襲いに来たのかい」

「……は」

「いいぜ。エースには内緒で、朝まで“仲良く”しようや」


 しなやかな細い腕が強引に腰を引き寄せる。


 私は慌てて腕をぴんと張ると、イゾウさんの胸を押し戻した。


「ちっ……! 違いますよ! 手当てっ、手当てしに来たんです!」

「手当てェ?」


 針のように整えられた眉を顰めてから、イゾウさんは私の腕に目をやった。すると、イゾウさんは表情をがらりと変えて、こりゃいけねェ、と呟いた。


「来い。手当てしてやる」

「え?」

「女はかすり傷ひとつ残すもんじゃねェ」


 イゾウさんだって怪我の手当てをしたばかりだ。申し訳ないと思い丁重にお断りしようとしたけれど、イゾウさんはてきぱきと消毒液や絆創膏を準備し始めていて、私は素直に甘えることにした。


「見せてみろ」

「は、はい……」

「おーおー。こりゃまた立派な傷こさえたなァ。エースが見たら腰抜かすぜ」


 本当に大したことのない傷なので、イゾウさんは安心したように軽口を叩いた。


 消毒液を染み込ませた脱脂綿に血が滲んでいく。私もイゾウさんも、黙り込んでその様子をじっと見ていた。


 あの場には、イゾウさんもいた。エースの悲痛な胸の叫びを、イゾウさんはどう感じ取ったのだろう。そのことについて話したいような、話したくないような――やきもきとした感情に振り回されていたら、イゾウさんが赤い唇を割った。


「……山賊の」

「はっ、はい?」

「ガキがいただろ。父親に売られたあのガキ」

「あ……は、はい……」 

「あのガキな。今オヤジの部屋にいるよ」


 思いがけぬ報告に、歓喜の表情だけをイゾウさんへ向ける。


 イゾウさんは、柔らかく目を細めて続けた。


「でっけェ手になでられて、安心したように眠ってる」

「そうだったんですか……! よかったあ……」


 肩の力がゆるゆると抜ける。あの時は自分のことで精一杯で、あの子を気にかける余裕がなかった。船に戻ってきてからようやく、そういえばあの子はどうなったんだろうと思い出す始末。誰かに訊きたかったけれど、なんだかそんな空気でもなくて、ひとりもやもやとしてしまっていたのだ。


「山賊に捨てられる子どもってのは、結構いるんだ。もちろん海賊も然りな」

「そう、なんですね……」

「所詮、賊だからな。みんながみんな、オヤジみてェなヤツじゃねェ」

「……」

「オヤジは、そういう子どもたちを根こそぎ拾って、家族にしちまうのさ」

「そうなんですね……」

「それでいつのまにかこんな大所帯よ。ったく……食いぶちが減ってたまったもんじゃねェ」


 緩んだ口元が、全然『たまったもんじゃねェ』の表情じゃなくて、私は思わず笑ってしまった。


「ディモは、強くなんかねェのさ」


 脱脂綿をぽいとゴミ箱に放りながら、イゾウさんは言った。


「二番隊隊長の座なんて、今のアイツの実力じゃあ、夢のまた夢だ」

「……」

「オヤジもエースもみんなも、それを分かってる。おそらく、ディモ本人もな」

「……それでも、二番隊隊長になりたい、っていうことですか?」


 イゾウさんはゆるりと首を振って否定した。


「口実が欲しいのさ。モビーに来る、嘘の口実が」

「……嘘の口実?」


 イゾウさんが眉頭をくいと上げて頷く。


「ディモがモビーに来る本当の目的は、治療だ」

「治療……」

「古傷が痛むのさ。体じゃなくて……ここの」


 イゾウさんの人差し指が私に向けられる。繊細な指先で、私のみぞおちをとんと突いた。


「オヤジに抱きしめられたりマルコに怒られたり、エースと小競り合いしてると、自然と癒えてくるんだろうよ」

「……」

「ああ、あと、おれにこき使われてる時もな」


 戯けたように口の端を上げて、イゾウさんはククッと喉を鳴らした。


「散々甘えて、暴れまわって……満足すると自分の船に戻っていく」

「……」

「そしてまた、心に闇が巣食い始めると、おれたちに会いに来る」

「……」

「その繰り返しさ。……おらよ、一丁あがり」


 ぽん、と、包帯の上から私の腕を叩く。いつのまに包帯を巻いていたのだろうと驚きながら、私は、ありがとうございます、と言った。


「強がりだからなァ。ディモもエースも」

「……そうですね」

「アイツ――エースは」


 イゾウさんは言葉を切ると、窓から見える月を見上げた。そして、ぽそり、独り言のように呟いた。


「エースは、誰に心の闇を取り払ってもらってるんだろうな……」

「……」


 イゾウさんと同じように、私も月を見上げた。


 月の縁が、ぼんやりと白く滲んでいる。そのうちに、じわじわと夜に溶けて、なくなってしまいそうだ。


 エースは今、どんなことを思って、この夜を過ごしているのだろう。


 別人のようだったエースの横顔を思い出して、私の胸はまたずくりと疼いた。


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