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夜になると、ディモを歓迎して、宴が始まった。
とはいっても、宴が始まるのはいつものことなので、風景としてはいつもの風景だ。
私は、初めての上陸で疲れたことを理由に、そおっと宴から退散した。
エースは終始、ディモの隣にいたので、気付かれずに済んだ。
軽くシャワーを浴びると、自室へ戻って、早々にベッドへ寝転がった。
ぼんやりと、汚れた天井を見上げる。船が、ぎい、ぎい、と、テンポよく揺れていて、まるでゆりかごのようだ。
いろいろあったな、今日は……。
仰向けになりながら、そっと目を瞑った。
『あの二人はさ、境遇が似てるんだよ。生きてきた境遇が』
耳の奥に、サッチさんの言葉が蘇る。
生きてきた、境遇――。
それは、私には絶対に解ってあげられないことだ。
いつかの、エースの横顔を思い出す。
あれは確か、"あっち"の世界で――エースが、お父さんの話をしていた時のことだ。
『もし、***の友だちの父親が――大犯罪者だったら、どうする?』
『***は、その友だちを、どう思う?』
あの時のエースは、どこか怯えた目をしていた。"どう思う"、と問いながらも、"受け入れてほしい"と――震えた声が、そう懇願しているように聞こえた。
――エースは、エースだよ。
私はそう答えたし、もちろん、今でもそう思っているけど……
私のような、何も解らない人間に言われるのと、苦しみを分かち合っている人間に言われるのとでは、きっと重みも違う。
私には、エースの背負っている苦しみとか……きっと、解ってあげられない。
私には、きっと――あの日のエースは、救えなかったんだ。
胸が、苦しくなった。
一緒にいられなくなることよりも、ずっと、ずっと。
私――エースに、何ができるんだろう。
一緒にいられる、限られた時間の中で――私は一体、エースに何を残せるんだろうか。
そんなことを考えて、ぐっと歯を食いしばった時だった。
電気は消していないはずなのに、まぶたの裏が、ふっと暗くなる。
不思議に思って、私は目を開けた。
「――! ぎゃっ」
ベッドの上で、思わず跳ね上がった。
エースが、至近距離で、私のカオを覗いていたからだ。
「エっ、エース!」
「わ、悪ィ。びっくりしたか?」
「ノっ、ノックくらいしてよっ」
「いや、したんだけどよ」
「……へ?」
「電気点いてるっぽいのに、返事ねェから……」
私が異常に驚いたからか、エースは申し訳なさそうに肩をしょげさせた。
「そ、そうだったんだ。ごめんね。ちょっと、あの……考え事してたから、聞こえてなかったかも……」
エースが、あまりにも怒られた子どもみたいな表情をするので、私の方が申し訳なくなって、そう弁解した。
すると、エースは首を少し右に傾けて、怪訝そうに眉をひそめて言った。
「考え事? なんかあったのか?」
「えっ? あ、ああ……いや」
「なんか、船戻ってきてから、元気ねェもんな」
そう言いながら、エースはベッドの縁に腰をかけた。
スプリングが、ぎしっ、と音を立てて、不謹慎にもドキッとする。
「げ、元気はあるよ! 考え事っていうのは、その……ほらっ、初めてあんな綺麗な街に行ったし、楽しかったなあって!」
苦し紛れにそう言えば、エースは素直に信じたようで、ほっと息をついて笑った。
「あァ。おれも楽しかった」
「うん。ねっ」
「ったく……ディモのヤツが邪魔しなきゃなァ。もっといられたんだけど」
エースが、苦々しそうなカオをして、そう言う。
私は、あきれ笑いをした。
「何言ってるの。あんなに楽しそうに戦ってたくせに」
「ははっ、そうか?」
「そうだよ」
「悪ィ」
いたずらっ子のように笑うエースに、なんだかほだされてしまう。
あんまり、考えすぎるの、やめよう。境遇の違いなんて、もうどうにもならないんだし。
そんなことで悩んで、エースに心配かけたくない。
そう思い直したところで、私は、ぱっとカオを上げた。
エースが、カオを近付けてきている。
私は、とっさに身を引いた。
「……」
「……」
「今、逃げただろ」
「……うん」
「なんでだよ」
「ちょっと、あの……もう、ここらではっきりさせたいんだけど」
「何を」
エースの凛々しい黒眉が、ぎゅっと中央に寄る。
私は、それに怯みながらも、おどおどと訴えた。
「簡単に、その……キスとかするの。よくないと思う」
「……」
「エースにとって、私は"恩人"なんだよね?」
「……」
「恩人に、そういうことするのは」
「簡単にじゃねェ」
私の言葉を遮って、エースがそう言った。
「……え?」
「べつに、簡単にじゃねェよ。ちゃんと、考えた」
「か、考えたって……何を?」
「……手ェ出していいか」
「手……! ……そ、それで?」
罰が悪そうに、目をきょろきょろとさせてから、エースは言った。
「ダメだなって、思った」
「……言ってることと、やってること」
「違うよな」
「うん」
「……分かってる」
「……」
「分かってる……けど」
エースの潤んだ目が、まっすぐに私を見つめる。
息が、止まった。
「――触りたい」
吐息混じりにそう囁かれて、心臓が、痛いくらいに速くなった。
エースが、手を伸ばしながら、私へしなだれかかってくる。
「エっ、エース……! ちょっ」
そのまま、エースに押し倒されて、私はエースの身体と一緒に、ベッドへ沈んだ。
――と、同時に聞こえてくる、いびき混じりの寝息。
私は、おそるおそる、エースのカオを覗いた。
エースは、口をむにゃむにゃと動かしながら、目をぎっちりと閉じていた。
「……寝るんかいっ」
エースの筋肉の重みをひしひしと感じながら、私は一人、そう突っ込んだのであった。[ 40/56 ][*prev] [next#]
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