太陽は、二度沈む---01.01.2013--- -1
キィ…
荒い木目板でできている重みのある扉を開くと、潮風と、日だまりの匂いがした。
あの人が帰らなくなって幾日か経つというのに、思いの外、匂いって長く居座るもんなんだなぁと、ふと考える。
『懐かしい』なんて思うほど、私とあの人の距離は近くなかった。
ただ、ちょっとすれ違ったり、たまに話を掛けられた時に、ふんわり香ってきた匂いがこんな感じだったかな、なんて思うだけのこと。
そっとその扉を閉めて、ゆっくりとその室内を歩いていく。
目的のそれを見つけると、私はそれに向かってそっと手を伸ばした。
『机の中を整理してきてほしい。』
そうマルコさんに言われたのが、つい数時間前のこと。
私なんかがそんな大切な役割を担っていいのかと、マルコさんに問えば、ただ一言、『おまえがいいんだ』と言われた。
よくよく考えたら、整理なんて細々したものは男性には不向きだし、ナースさんたちは今も船員たちの手当で忙しい。
そうした経緯で、畏れ多いながらも、その頼みを引き受けた。
ガタガタ。
すべりが決していいとは言えないそれを開けると、たくさんのモノがとても乱雑に置かれている。
思わず、笑ってしまった。
きっと、『整理整頓』なんてするような人じゃないだろうな、と思っていたから、みごと予想は的中していたわけだ。
ごちゃごちゃとしたその中身たちを、ひとつひとつ、丁寧に机の上に並べていく。
ペン、紙、本、インク、紐、日付の古い新聞…
それらには、すべて、
確かにあの人がここにいたんだという、『温度』がある。
ペンなんて使いかけのものが6本もあって、紙はすべてぐちゃぐちゃ。
インクは溢れた跡が何か所もあるし、紐はもう使えないんじゃないかというくらいにこんがらがってる。
その割には、本はとっても綺麗にしまってあって(多分読んでない)、新聞誌面についてる赤丸のところには『尻のデカい女世界決定戦!!』の記事。
どれをとっても、ああ、「らしい」な、と思ってしまった。
そう、
確かにあの人は、ここにいた。
ここで寝て、ここで話をして、ここで考えて、ここで笑って、
……………ここで、生きていた。
生きていた、のに。
コト、
引き出しの中にあった最後のモノを机の上に乗せると、私は小さく息をついた。
「……………もう使ってくれないんだってさ。」
所有者を失ったそれらに、私はポツリ、そう告げた。
帰ってこないらしいよ、もうここには。
信じられないよね。
だって、ついこのあいだまで、いたのにさ。
ご飯食べて、寝て、歯磨いて、また寝て、マルコさんに怒られて、走り回って、つまみ食いして、ナースさんにちょっかい出して、また怒られて…
……………信じられないよ。
だって、今にも、
『おー、戻ったぞー!飯くれ飯!』
いつもみたいに、そう言いながら、
帰ってくるような気がするのに。
「だからかなー。」
だからなのかな。
私が、泣けないのは。
話したことがあまりないとは言っても、知らない人じゃない。
むしろ、憧れていたのに。
手の届かない存在ではあったけど、でも、
私は、あの人がそこにいるだけで、しあわせだった。
遠くからカオを見られただけで胸がいっぱいになったし、
声なんて掛けられたら、もうスキップ混じりでどんなキツイ雑用もこなすことができた。
あの人の存在そのものが、私の生きる意味になってた。
ただ、その存在だけで。
他にはなにも、いらなかった。
そんな人が、
……………もう、帰らなくなってしまったというのに。
その瞬間を見たわけじゃないし、お墓だって、人数が多いからあまり近くには行けなかった。
確かに、実感はない。
ないけど、それにしたって、船員たちが毎夜毎夜泣いているのを見ても、あの人のいない甲板を歩いても、
何をしていても、一滴も、流すことができないのだ。
「私って意外と薄情なのかな…」
大きく溜め息をつきながら、引き出しを元の位置に戻そうとした時だった。
ゴツン、
何かが奥の方で引っかかって、真ん中辺りでつっかえてしまった。
……………なんだろう、まだ何か入ってたのかな…
再びそれを引き出すと、手を目一杯伸ばして奥を探った。
すると、中から出てきたのは…[ 1/2 ][*prev] [next#]
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