この、愛に包まれた檻の中で。2/2 -「実家に帰らせて頂きます。」続編-

働き始めて10日が経った、そんなある日のこと。


「……………い、……………おい、」

「ん…」

「***、大丈夫か?」

「う、ん…」


その聞きなれた心地のいい声に促されて、私はそっと目を開けた。


室内のあまりの眩しさに目を細めながら、ようやく声の主を視界に映す。


「シャンクス…!」

「おう、ただいま。」

「い、いつのまに帰ってきたの?」

「今だよ。ちっとも出迎えに来ねェし、真っ暗だったから心配したぞ。」


ホッと安堵の息を漏らしながら、シャンクスは困ったように笑って言った。


「ごめんね…!今すぐご飯、」

「いいから今日はもう寝ろよ。おれは適当に済ますから。」


柔らかく私の頭をなでながら、シャンクスはそう言って立ち上がる。


「だ、大丈夫!すぐできるから!」

「…………………。」

「お風呂もね、朝のうちに洗っておいたの。すぐ沸かすから!」


わたわたと立ち上がって、寝惚け眼のままキッチンに立つ。


『家のことはちゃんとやる』と約束した以上、本業を怠るわけにはいかない。


「…………………忙しいのか?」

「え?あ、ううん。今日はね、新しい業務を教えてもらって脳みそフル回転させたから、ちょっとボーッとしちゃって…」


あはは、と乾いた笑いを浮かべながらそう言うと、シャンクスは心配そうに眉をひそめて言った。


「そうか。……………大変なら辞めたっていいんだぞ?なんならおれのツテでその友だちのところに人をやってもいい。」

「えっ、だっ、大丈夫大丈夫!」

「しかしなァ…」


難しいカオをしているシャンクスに、私は慌てて付け足した。


「ほら、せっかく教えてくれてる人にも悪いし…!」

「まァ、それはそうだが…」

「今日はたまたま少し頑張りすぎただけだから、ほんと大丈夫!」


わざとらしいくらいに元気よく声を張ってみても、シャンクスの眉間のしわは深くなっていくばかり。


……………どうしよう。


辞めろって言われたら、お財布プレゼントできなくなっちゃう。


「ご飯もちゃんと、ほら!朝のうちに下ごしらえしてあるの!」

「…………………。」

「短期だからずっと働くわけじゃないし、あと少しだから…」

「…………………。」

「その、……………家のこともきちんとするから、最後まで働かせて?」

「…………………。」

「ね?」


必死になってそう訴えながらシャンクスの瞳を覗くと、シャンクスはなぜか罰が悪そうに目をそらした。


「いや、それは、まァ、…いいんだけどよ。」

「え?」

「……………いや、なんでもない。そこまで言うなら頑張れ。」

「?」


そう言って私の頭をポンポンと叩くと、シャンクスは力なく笑って着替え始めた。


ど、どうしたんだろ…


最近のシャンクス、なんだか日に日にやつれていってる気が…


もしかして、忙しいのかな?


ああ、うたた寝なんてして余計な心配かけて…


私のバカ。


……………おかずもう一品増やそう。


私は頬をペチンと叩いて、再びまな板と向き合った。


―…‥


シャンクスの誕生日まであと3日と迫った朝のこと。


「あ、おはよう。シャンクス。」

「……………おまえ、何してんだ?」


寝惚け眼だったシャンクスが、スーツを着た私を見て目を丸くした。


「今日は休みだったろ?」

「あ、うん。そうだったんだけどね、昨日シフト代わってほしいって頼まれて…」

「…………………。」

「遠距離恋愛してる恋人が、突然こっちに出張になったんだって。」

「…………………。」

「若い子なんだけどね。なんだかかわいいよね。」


クスクスと笑いながらメイクをしているミラー越しにシャンクスを見ると、憮然としたシャンクスのカオが映った。


「?…シャンクス?どうかした?」

「ん?いや、べつに?」

「そう?」


特に気にも留めずにメイク道具をポーチにしまうと、バッグを持ってリビングのドアの取っ手に手を掛けた。


「じゃあシャンクス、久々のお休みゆっくりしてね。行ってきます。」


ソファに座った大きな身体に向かってそう言うと、私は玄関へと歩き出す。


すると、後方から追ってくる黒い影。


振り向くと、なぜかシャンクスが私のあとを着いてきていた。


見送ってくれるのかな?


……………シャンクスに見送られるなんて、なんか新鮮。


ピョンとはねた寝ぐせと、ほっぺたについた枕の跡がかわいくて、思わず笑ってしまう。


「じゃあシャンクス、行ってきま、」

「何時に帰ってくる?」

「え?」


キョトンとした私に、シャンクスはポリポリと頭を掻きながら、歯切れ悪く続けた。


「あー…風呂焚いておくから。」

「あ、そっか。ありがとう。多分6時くらいかな。」

「……………そうか。あと9時間後だな。」

「く、9時間後?あ、そ、そうだね。」

「…………………。」


そのままなぜか黙りこくってしまったシャンクスに首を傾げながらも、私は再び「行ってきます」と口にすると、自宅をあとにした。


―…‥


3月9日。


この日、私は朝から一人バタバタとしていた。


朝、出勤する「フリ」をして、スーツを着たままシャンクスをお見送り。


即座に普段着に着替えて近くのスーパーを何軒もはしご。


帰ってきてすぐに昼食を通り越して夕飯の準備に取り掛かる。


シャンクスにはバイトは19日までと伝えているけど、本当は昨日で終わっていた。


シャンクスの誕生日前日まで、なんて言ったら今回の計画がバレてしまうから、なんとか考え抜いた苦肉の策だった。


テーブルの上には、シャンクスの好きなメニューとお酒。甘さ控えめの小さなバースデーケーキ。


そしてなにより…


戸棚の引き出しにしまってある『それ』を見て、思わずカオがニマニマとしてしまう。


……………買えて良かった。


シャンクス、喜んでくれるといいな。


飾り付けまでしちゃったりして、私はまるで小学生にでも戻ったかのようにワクワクしていた。


……………早く帰ってこないかなー。


そうこうしているうちに、シャンクスの帰宅時間までわずか30分となった。


―…‥


ガチャリ。


カギを回す音と玄関のドアを開ける音が立て続けに聞こえてきて、私の鼓動は最高潮に高まる。


『***?』


リビングのドア越しにそう呼び掛ける声が聞こえてきて、私は息を潜めた。


足音がパタパタと鳴った後、リビングのドアがカチャリと開かれる。


「あァ、……………そういや今日遅いんだったな…」


真っ暗な室内で、そんな呟きが寂しげに聞こえてきた。


私の、『今日は残業になりそう』という、うその報告を思い出したらしい。


すると、聞こえてきたのは大きな溜め息と、なぜか舌打ち。


……………あ、あれ?


もしかして機嫌悪い…?


不安を憶えながらも、もう後には引けない私は、パチリという音と共に室内が明るくなったのを見計らって、手にしていたクラッカーを鳴らした。


「シャンクス、誕生日おめでとう!」


パンッと小気味いい音が鳴ると、シャンクスは思いきり目を丸くして「うおっ!」と小さく叫んだ。


「……………***…?」

「お、おかえりなさい。ごめんね、びっくりした?」


シャンクスの様子を窺いながらそう言うと、シャンクスはクラッカーのゴミくずを頭に乗っけながら室内を見回した。


「……………これ……………おまえ、覚えてたのか?」

「あたりまえでしょ?ダンナ様の誕生日なんだから。さ、座って座って。」


未だ呆然としているシャンクスの手を引いていつもの席に促せば、シャンクスは力なくトスンと椅子に座る。


「だっておまえ、今朝もなんも言わねェし……………あれ、今日残業じゃなかったのか?」

「あ、それね。ごめん、びっくりさせたくてうそついちゃったの。」

「うそ?」

「う、うん。アルバイトもほんとは昨日で終わってたんだ。」

「……………え?」


シャンクスの頭についたクラッカーのゴミくずを取りながらそう打ち明けると、シャンクスが私を見上げた。


……………どうしよ、怒られるかな。


「あ、あの、うそついてごめんね。その、びっくりさせたくて、」

「じゃあもう行かないのか?」

「え?」

「これからはずっと家にいるんだな?」

「え、あ、う、うん。…!わっ、」


そう言って頷いたのと同時に、グイッと強い力で身体を引き寄せられた。


シャンクスのカオが、私のみぞおちに埋まる。


な、なにこれ、かわいい、


……………じゃなくて、


「シャ、シャンクス?」

「…………………。」

「どうし、」

「自分がこんなに小さい男だとは思わなかった。」

「え?」


ポツリ、小さな声で呟かれたそれは、耳をすまさないと聞こえないほど弱々しい。


「働きに出るくらい、もっと広い心で許せると思ってた。」

「……………あ、も、もしかして、家のことちゃんとできてなかった?」


私は、いつだったかのうたた寝を思い出して、シュンと身体を縮める。


「いや、そんなんじゃない。そうじゃなくて。」


でも、シャンクスから返ってきたのはなぜか否定の言葉で。


私は思わず首を傾げた。


「他になんか不便なことあった?」

「…………………。」

「?…シャンクス?」

「…………………。」


その呼び掛けに、私の腰に回されたシャンクスの手に力がこもる。


「…………………おれ以外のヤツに、おまえを見られたくない。」

「……………は?」

「外に出たら、他の男もおまえを見るだろ。」

「…………………。」

「おれよりも職場の男と一緒にいる時間の方が長ェし、」

「…………………。」

「だから、無理やり休み取って1日独り占めしようとしたのに……………なんだよ遠距離恋愛って。知るかバカ。」

「…………………。」

「こっちはおまえがぐっすり眠ってるから手ェ出せねェのによ…」

「…………………。」

「…………………。」


気まずくなったのか、シャンクスはそれっきり押し黙ってしまった。


…………………どうしよう。


うれしすぎる。


抑えようと思っても、カオのにやけが止まらない。


シャンクスが、そんなふうに思ってたなんて。


余裕で、大人で、落ち着いてて、いつも綺麗な人と一緒にいるし、


私ばっかりドキドキして、私ばっかりヤキモチ妬いてるんだと思ってた。


「…………………なんだよ。」

「え?」

「呆れたのか。」

「あ、呆れたってなんで?」


そう問い掛けると、シャンクスはようやく私のみぞおちからカオを離した。


「…………………おれの器があまりにも小さくて。」


まるで子どもみたいに唇を尖らせて拗ねたようなカオをするもんだから。


私はついに、声を上げて笑ってしまった。


ねェ、シャンクス。


シャンクスのために、


少しでもシャンクスに近付きたくて、


だから頑張ったんだよって言ったら、少しは機嫌直してくれるかな?


…………………働く女性に憧れる気持ちはあるけど、


それでも、やっぱり私は、


この、愛に包まれたの中で。


な、なに笑ってんだよ。おれは真剣に、


シャンクス、今日一緒にお風呂入ろっか。


…………………………おう。


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