ルージュの伝言---Thach--- 2/3

「ババンッババンバンバン、ハビバノンノ!ババンッババンバ、ハービバビバ!」


一人温泉に浸かりながら、お決まりの唄を全力で口ずさんだ。


露天風呂の付いてる個室だから、誰に白い目で見られるわけでもない。


「はー…癒されるー。」


オールドミスから有給をぶん取って、遥か遠いこの地に辿り着いてから早数日。


私は自由気ままな一人旅を楽しんでいた。


いつか来る結婚生活を夢見てコツコツ貯めていたお金に初めて手をつけて訪れたのは、二人で行こうと約束していた高級旅館。


一人で来てやったぜ、へへん!である。


露天風呂から、室内のテーブルに置いてある携帯電話に目を向けた。


今も、ひっきりなしに着信を告げるランプが点滅している。


「……………いい加減あきらめたらいいのに…」


サッチからの怒濤の連絡攻撃が始まったのは、あの日の翌朝から。


電話、電話、メール、留守電、電話、メール、電話、電話、電話、留守電、留守電、メール、メール、電話…


ほんの数時間で、履歴はもののみごとにサッチで埋め尽くされた。


もちろん、電話には出ないし、留守電も聞いてない。


メールだって、一通も開いてない。


だって、声を聞いたら、メールを読んだら、


恋しくなって、なんかもういいかな、なんて、


簡単に許してしまいそうで、怖かった。


こうしてチラチラと着信を気にしてる時点で、なんだかちょっと敗けている気がする。


それもなんだか癪だから、せめて意地でも私の声なんか聞かせてやるもんか!なんて思っていた。


「……………お散歩でも行こっかな。」


夕暮れ時のここの庭園は、さぞかし美しいだろう。


そう思い、私はお風呂から出ると浴衣に着替えて外へと赴いた。


―…‥


旅館の庭園を抜けると、そこには海が待っていた。


サッチが、この旅館に行きたいと言っていた理由のひとつがこれだ。


いつかの、他愛のない会話を思い出す。
















『おれァさ、海が好きでよ!豪華客船のコックなんていいよなァ!』

『ははっ、豪華客船なんてサッチには似合わないよ。海賊船とかにしたら?』

『おおっ!それいいな!そんときゃオヤジが船長でー、おれはコックやってー、マルコとエース…あ!あとイゾウもいてー、』

『ははっ、楽しそう!じゃあ私はさしずめそんなサッチをけなげに待つ町娘かな。』

『何言ってんだよ、おまえも乗るんだよ。』

『ええっ?私も海賊になるの?』

『あったりまえだろー。おれがおまえと離れられるわけねェだろうが!』

『………………いや、そんな威張って言われても…』

『ひひっ、照れてやんのー!』

『っ、うっ、うるさい!リーゼントのくせに!』

『かーわいいなァ、***。……………おまえはずっとおれと一緒な?』

『…………………うん。』















バカバカしすぎるサッチとの日常を思い出すと、瞳からはぱたぱたと涙が溢れ落ちた。


「……………バカだな、もう…」


バカだ、私は。


私の心の中は、こんなにサッチで溢れてるのに。


そんなことにも気付かずに、意地になって、


結局、一番大切なものを見失ってしまっていた。


わかってる。


サッチもきっと、寂しかったんだ。


悪いのは、サッチだけじゃない。


ポケットから、携帯電話を取り出した。


溜まりに溜まった留守電の、一番最初を表示する。


久しぶりにサッチの声が聞けるんだと思ったら、少し手が震えた。


再生を押すと、荒々しい呼吸音と一緒に、愛しい声。


『***?どうした?なにかあったのか?おれ今家に帰ってよ、洗面所行ったら、……………あー、とにかくすぐ連絡くれ。』


落ち着いてるように聞こえるけど、相当動揺してるのが窺えた。


息遣いが荒すぎる。


ちょっとうれしくなって、私は続けざまに留守電を再生した。


『どうして連絡くれねェんだ?それに、この鏡に書いてあるこれ、……………なんだよこれ、なにがあったんだよ、……………指輪だって、……………とにかく、早く連絡くれ。』

『……………別れるってことか?だから連絡寄越さねェのか?……………とにかく、一回会って話しようぜ。……………連絡くれ。』

『いい加減にしろよ。このまま終わりなんて納得いかねェからな。おれは別れるつもりねェから。』

『***?もしかしてなんかあったのか?事故とかじゃねェよな?無事だよな?だれも居場所知らねェって言うし……………連絡くれよ、頼むから…』

『***ー、……………おれなんかしたかァ…?とにかく無事を確かめさせてくれ…おれ心配で、頭どうにかなりそうだ…』

『***……………会いてェよ……………声が聞きてェ……………どこにいるんだよ…』


「……………ははっ…」


私は、最低だ。


サッチの声が弱っていくのを聞いて、喜んでる。


サッチの頭の中が私でいっぱいだと思うと、うれしくてたまらない。


こんな私を愛してくれるサッチが、


愛しくて愛しくて、しょうがない。


小さく嗚咽を漏らしながら泣いていると、再び携帯電話が震えた。


ディスプレイには『サッチ』の文字。


「…………………。」


私は深呼吸をして息を整えると、


通話ボタンを押した。


『!!……………***…!!』

「…………………。」

『***?***だろ?聞こえるか?』

「…………………無事です。」

『…………………***…』


泣きだしそうな声で私の名前を口にすると、サッチは大きく、長く息を吐いた。


『よかっ、たー……………おれ、てっきりおまえに何かあったんだと……………よかった、マジで…』

「…………………。」

『***、どうしたんだよ…いったいなにが、……………あァ、いやいい、とにかく今すぐ迎えに行くから…今どこに、』

「サッチの知らないところ。」

『え?』

「サッチの知らないところで、サッチの知らない人といる。」


私のその言葉に、サッチが息を呑んだ。


『え、し、知らないところってなんだ?遠いのか?知らない人って、……………まさか男じゃねェよな?』

「…………………。」

『…………………答えろよ、***。』

「…………………。」

『言っとくけどな、おれは別れたつもりねェから。』

「…………………。」

『どこにいるんだよ。早く言え。おれを怒らせるな。なにするかわかんねェぞ。』

「……………サッチもいたよ。」

『あァ?』


苛立ちをそのままにすっとんきょうな声を上げたサッチに、私はこう続けた。


「サッチも、……………私の知らない女の人といたよ。」

『……………なんのことだよ…』

「5日前。見たの。」

『……………………。』

「偶然あのホテルの前通ったんだ。」

『……………………。』

「……………サッチに会いたくて、サッチの家に向かってる途中。」


少しの沈黙の後、サッチは重苦しい溜め息を吐く。


『……………そうか…だからか…だからこんな…』

「…………………。」

『違うんだ***、おれさ、おれよ、あの、……………あ、いや、……………悪かった。』

「…………………。」

『おれあの日、すっげェ酔っ払ってて、目ェ覚めたらとなりに女が、』

「別にいい。聞きたくない。」

『……………そうだよな…悪ィ…』


さっきの逆ギレはどこへやら、サッチは小さな声でポツリと呟くようにそう詫びた。


「……………もういいでしょ?理由もわかったんだし、」

『まっ…!!待ってくれ…!!切るな…!!切らねェでくれ…!!』


慌てたようにそう叫ぶと、サッチは矢継ぎ早に続けた。


『とにかく、一回会ってくれ…!!土下座でもなんでも、許してくれるならなんでもする…!!だからよ、』

「会いたかった。」

『え?』


小さな私の声を取り零さないようにと、サッチは耳をすませている。


「会いたかったの、サッチ。」

『……………………。』

「あの日、どうしても。」

『……………………。』

「サッチに、っ、笑って抱きしめてほしかった…」

『……………***…』


ぼたぼた、涙が止めどなく落っこちていく。


大好きなの。


大好きだから、許せない。


「今じゃない、あの時だったんだよ、サッチ…」

『なァ、待ってくれよ、』

「少しでも気持ちがずれたら、っ、もうダメなんだよ…」

『***、おれの話聞いてくれよ、』

「ごめん、っ、……………ごめん、サッチ…」

『***…』


私を呼ぶサッチの声は、震えていた。


『頼むよォ…待ってくれよォ…おれっ、……………おまえがいなきゃ生きてけねェよォ…』

「っ、情けないことっ、言わないで、」

『なんでもするからよォ…許してくれってェ…』


すがるような弱々しい声が、大きく心を揺さぶる。


だって、イヤなんだよ。


私のサッチなのに、


私だって、サッチに会いたかったのに。


「ごめん、サッチ……………さよなら…」

『!!……………***…!!』


泣き叫ぶようなサッチの声を最後に、私は終話ボタンを押した。


そのまま電源をオフにすると、身体中から力が抜ける。


「っ、サッチー…」


涙で滲んだ海が、とてもキラキラしていて、


なんだか余計に泣けてきてしまった。


―…‥


[ 8/11 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -