続・恋人以上、恋人未満 2/2

 ぎゅるるっ。


 自分の、海王類の唸り声のようなお腹の音で目が覚めた。


 むくりとベッドから身体を起こせば、とっぷりと暮れた夜空が窓から見える。


 サイドテーブルに置いた懐中時計を見れば、針は十時を指していた。泣きながら寝落ちするとぐっすり眠れるのは、一体なぜなのだろう。


「お腹空いた……」


 原因が何かも分からない涙を散々流して、あらかたスッキリしたのだろう。現金にも私はそんな言葉を呟いていた。


 ベッドから出てぼさぼさの髪の毛を少し整えると、私は部屋を出て食堂へ向かった。





「……何、されてるんですか?」


 食堂に入って最初に目に入ったのは、戸棚を漁る船長の姿だった。大きな図体だから、無視するわけにもいかない。


 船長は私の姿を見ると、赤い眉をほんの少しだけ上げた。そして、右手に持っていた酒瓶を見せつけた。


「いやァ、部屋の酒切れちまってよ」

「……」


 船長が右手を上げた拍子に、だらりと垂れた包帯に目がいく。よく動く人だから、包帯の類は一時間と元の形を保てない。


「……包帯」

「あ?」

「外れてますよ」

「……おお。ほんとだな。いつのまに」


 とは言っても、船長には左腕がないので巻き直すことができない。


 いつもなら、小言の一言二言挟みながら巻き直してあげるところだが、昼間のあれも手伝ってどうも気まずい。何より今の私は、素直に手助けしてあげたいという気持ちになれなかった。ほんとに、情けないけれど。


 こんな日は早く眠る。ゆっくり眠って、忘れる。船長に片思いしてから十五年、私が身につけた唯一の高等技術だ。


 キッチンにはまだ、数人のコックや船員がいる。包帯を巻き直すくらい、船医でなくとも出来るだろう。


 やっぱり、もう寝てしまおう――そう思い直して、私は踵を返した。


「じゃあ、おやすみなさ――」

「おいおい、待て待て***」

「はい?」


 呼び止められたので振り向けば、船長が右腕をずいと前に出して言った。


「巻き直してくれたっていいじゃねェか。冷てェな」

「……えっ?」

「ほれ、早く」

「ほ……他にもクルーがいるじゃないですか」

「気付いたのはおまえだろ」

「それは……」

「一番始めに気付いたやつが直してくれるのが自然だと、おれは思うんだがなァ」

「……」


 挑発するようにのったりとあご髭をさするその仕草にむっときて、私はずかずかと船長に歩み寄った。


 船長が手近の椅子を引いてどっかりと腰をかけたので、私もその近くの椅子を引いて座った。


 船長の二の腕から力なく垂れ下がっている包帯を手に取って、無言で巻き直していく。筋肉が厚くて腕が太いので、包帯を一巻きするのも一苦労だ。


「おおー。さすがだな。うまいうまい」

「そんな……大げさな」

「ほんとだよ。おまえが巻いた包帯は、二時間はもつ」

「二時間……」

「……」

「……ありがとうございます」

「……」

「……」

「……」

「ほんと……四皇が看板で怪我なんて」

「なっ。ダサいよなっ」

「……カッコつけるからですよ」

「イイ女の前では、男なら誰だってカッコつけたいと思うだろう」

「……」


 ……あっそ。


 と、喉のすぐそこまで出かかったが、なんだかもう口をきく気にもなれない。それからは包帯を巻くことに専念した。


 すると船長が、すっと息を吸った気配がした。


「だけど……情けない姿を見せたいと思う女は、この世に一人だなァ」


 ぴくり――包帯を巻いていた手が、ほんの一瞬止まる。けれど、それを悟られないように、すぐに再開した。


「……へえ。そうなんですか」

「ああ。情けない姿を見せても、そんな自分すら受け入れてほしいと思う」

「……」

「ダメな部分こそ愛してほしいと――」

「……」

「そう思うわけだ」

「……」

「そんな女は、この広い海のどこを見渡しても、たった一人だなァ」

「……」


 そんなふうに思う人がいたのか。船長にも。そりゃあ、まあ……いるか。あんなにたくさんの女性に出会っていれば。


 こんな話は、初めて聞くかもしれない。そう感じるのと同時に、聞かなければよかったと思う。


 一番聞きたくない。たくさんの女性を抱いたという話なんかより、たった一人の女性に心を奪われているという話は。


 何か答えなければ――小言が入った引き出しを、懸命に引っ張り出して探し回る。


 ようやく見つけたふさわしい一言を、私は口にした。


「まあ、船長の情けない姿なんて」

「……」

「私もありがたいほど見せて頂いてますけど」

「……」

「ね……」


 そこでようやく、私ははたと気が付いた。


 刺さるような視線を感じて、おそるおそる船長を見上げる。


 船長は、あの日と同じ、熱っぽいような目で私を見下ろしていた。


「……」

「……」

「あ……ええ、と」

「……」

「もう少しで、巻き終わりますので――」

「どうして泣いた?」

「……」

「言っただろう。おまえのすべてが知りたいと」

「……」

「それから一つ断っておくが――」

「……」

「あの女とは寝てない」

「……」

「おまえを誘ってからは、他の女とは寝てない」

「……」

「もう、寝る気もない」

「……」

「……」

「そ……う、ですか」

「あァ」

「……」

「……」

「あ、ほ……包帯、少しキツめに結んでおきま――」

「今晩、おれの部屋に来い」


 ついに、手が止まってしまった。自然と、船長の目を見つめる。


 真っ赤な目に見惚れて、逸らせなくなってしまった。


 その隙に、船長は私の耳に唇を寄せた。


「随分、かわいいの買ったじゃねェか」

「……はい?」


 一瞬、なんのことか分からなかった。が、すぐにマカロンカラーの紙袋を思い出す。


 私は、とっさに耳を押さえて身を引いた。


 船長は、いたずらっ子のような笑みを浮かべて言った。


「今日は、グリーンの方着けてこい」


続・恋人以上、恋人未満


みっ、見てたんですか……! サイテー!


だっはっは! そんなに怒るなよ***ー。


なァ、お頭ってさ……。


ああ。***さんに怒られるの、ほんっと好きだよなァ。


[ 10/14 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#甘甘」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -