続・恋人以上、恋人未満 2/2
ぎゅるるっ。
自分の、海王類の唸り声のようなお腹の音で目が覚めた。
むくりとベッドから身体を起こせば、とっぷりと暮れた夜空が窓から見える。
サイドテーブルに置いた懐中時計を見れば、針は十時を指していた。泣きながら寝落ちするとぐっすり眠れるのは、一体なぜなのだろう。
「お腹空いた……」
原因が何かも分からない涙を散々流して、あらかたスッキリしたのだろう。現金にも私はそんな言葉を呟いていた。
ベッドから出てぼさぼさの髪の毛を少し整えると、私は部屋を出て食堂へ向かった。
*
「……何、されてるんですか?」
食堂に入って最初に目に入ったのは、戸棚を漁る船長の姿だった。大きな図体だから、無視するわけにもいかない。
船長は私の姿を見ると、赤い眉をほんの少しだけ上げた。そして、右手に持っていた酒瓶を見せつけた。
「いやァ、部屋の酒切れちまってよ」
「……」
船長が右手を上げた拍子に、だらりと垂れた包帯に目がいく。よく動く人だから、包帯の類は一時間と元の形を保てない。
「……包帯」
「あ?」
「外れてますよ」
「……おお。ほんとだな。いつのまに」
とは言っても、船長には左腕がないので巻き直すことができない。
いつもなら、小言の一言二言挟みながら巻き直してあげるところだが、昼間のあれも手伝ってどうも気まずい。何より今の私は、素直に手助けしてあげたいという気持ちになれなかった。ほんとに、情けないけれど。
こんな日は早く眠る。ゆっくり眠って、忘れる。船長に片思いしてから十五年、私が身につけた唯一の高等技術だ。
キッチンにはまだ、数人のコックや船員がいる。包帯を巻き直すくらい、船医でなくとも出来るだろう。
やっぱり、もう寝てしまおう――そう思い直して、私は踵を返した。
「じゃあ、おやすみなさ――」
「おいおい、待て待て***」
「はい?」
呼び止められたので振り向けば、船長が右腕をずいと前に出して言った。
「巻き直してくれたっていいじゃねェか。冷てェな」
「……えっ?」
「ほれ、早く」
「ほ……他にもクルーがいるじゃないですか」
「気付いたのはおまえだろ」
「それは……」
「一番始めに気付いたやつが直してくれるのが自然だと、おれは思うんだがなァ」
「……」
挑発するようにのったりとあご髭をさするその仕草にむっときて、私はずかずかと船長に歩み寄った。
船長が手近の椅子を引いてどっかりと腰をかけたので、私もその近くの椅子を引いて座った。
船長の二の腕から力なく垂れ下がっている包帯を手に取って、無言で巻き直していく。筋肉が厚くて腕が太いので、包帯を一巻きするのも一苦労だ。
「おおー。さすがだな。うまいうまい」
「そんな……大げさな」
「ほんとだよ。おまえが巻いた包帯は、二時間はもつ」
「二時間……」
「……」
「……ありがとうございます」
「……」
「……」
「……」
「ほんと……四皇が看板で怪我なんて」
「なっ。ダサいよなっ」
「……カッコつけるからですよ」
「イイ女の前では、男なら誰だってカッコつけたいと思うだろう」
「……」
……あっそ。
と、喉のすぐそこまで出かかったが、なんだかもう口をきく気にもなれない。それからは包帯を巻くことに専念した。
すると船長が、すっと息を吸った気配がした。
「だけど……情けない姿を見せたいと思う女は、この世に一人だなァ」
ぴくり――包帯を巻いていた手が、ほんの一瞬止まる。けれど、それを悟られないように、すぐに再開した。
「……へえ。そうなんですか」
「ああ。情けない姿を見せても、そんな自分すら受け入れてほしいと思う」
「……」
「ダメな部分こそ愛してほしいと――」
「……」
「そう思うわけだ」
「……」
「そんな女は、この広い海のどこを見渡しても、たった一人だなァ」
「……」
そんなふうに思う人がいたのか。船長にも。そりゃあ、まあ……いるか。あんなにたくさんの女性に出会っていれば。
こんな話は、初めて聞くかもしれない。そう感じるのと同時に、聞かなければよかったと思う。
一番聞きたくない。たくさんの女性を抱いたという話なんかより、たった一人の女性に心を奪われているという話は。
何か答えなければ――小言が入った引き出しを、懸命に引っ張り出して探し回る。
ようやく見つけたふさわしい一言を、私は口にした。
「まあ、船長の情けない姿なんて」
「……」
「私もありがたいほど見せて頂いてますけど」
「……」
「ね……」
そこでようやく、私ははたと気が付いた。
刺さるような視線を感じて、おそるおそる船長を見上げる。
船長は、あの日と同じ、熱っぽいような目で私を見下ろしていた。
「……」
「……」
「あ……ええ、と」
「……」
「もう少しで、巻き終わりますので――」
「どうして泣いた?」
「……」
「言っただろう。おまえのすべてが知りたいと」
「……」
「それから一つ断っておくが――」
「……」
「あの女とは寝てない」
「……」
「おまえを誘ってからは、他の女とは寝てない」
「……」
「もう、寝る気もない」
「……」
「……」
「そ……う、ですか」
「あァ」
「……」
「……」
「あ、ほ……包帯、少しキツめに結んでおきま――」
「今晩、おれの部屋に来い」
ついに、手が止まってしまった。自然と、船長の目を見つめる。
真っ赤な目に見惚れて、逸らせなくなってしまった。
その隙に、船長は私の耳に唇を寄せた。
「随分、かわいいの買ったじゃねェか」
「……はい?」
一瞬、なんのことか分からなかった。が、すぐにマカロンカラーの紙袋を思い出す。
私は、とっさに耳を押さえて身を引いた。
船長は、いたずらっ子のような笑みを浮かべて言った。
「今日は、グリーンの方着けてこい」
続・恋人以上、恋人未満
みっ、見てたんですか……! サイテー!
だっはっは! そんなに怒るなよ***ー。
なァ、お頭ってさ……。
ああ。***さんに怒られるの、ほんっと好きだよなァ。[ 10/14 ][*prev] [next#]
[mokuji]
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