続・恋人以上、恋人未満 1/2
最近の下着はかわいい。ピンクと一口に言っても、ローズピンク、ラズベリーピンク、シュガーピンク……はたまた青みピンクなんてものまである。
青や緑も同様で、模様もブラジャーの紐の細部までこだわりを見せている。サイズが合っていれば、なんて気持ちで選んでいたから、今まで気付かなかったんだろうか――。
「気になりますか?」
「……はいっ? あ、ああ……」
フルーツゼリーのような下着に釘付けになっていたら、いつのまにか隣に店員さんが立っていた。
「かわいいですよね、このデザイン」
「は、はい。そうですね……」
「パッドが柔らかくて、着け心地も好いんですよ」
「つ、着け心地……」
「サイズは最近測りました?」
「あ、ああ。そうか。サイズ……」
「よろしければ、お測りしましょうか?」
「あ……じゃあ……」
案内されるがまま、私は吸い込まれるように試着室へ移動した。
*
「ありがとうございましたー!」
達成感に満ち溢れた笑顔の店員さんに見送られて、私は下着屋さんをあとにした。紙袋の中には、コーラルピンクとミントグリーンの下着のセットが二着。デザインは同じものである。
「まあ、ほんとにかわいかったし。サイズもぴったりだったし。それなりに似合ってたし……」
ぶつぶつと言い訳めいたことを呟きながら、西の空を見上げる。夕焼けが半分、海に溶け始めている頃だった。
そろそろ戻らなきゃ――私は停泊させてあるレッドフォース号へ向かった。
『おまえ――おれと寝てみないか?』
自由気ままな我が赤髪海賊団の船長にそんなことを言われたのが、約三ヶ月前。
あの発言の約十日後。船長は街で出会ったというある女性を乗船させた。
勝ち気な瞳に似合いの、明るくサバサバとした性格――言わずもがな、絶世の美女である。詳しいことは知らないが、彼女は何やらこの先の島に用があるらしい。
船長と彼女の距離は日に日に近付き、ついに数日前、その距離はゼロになっていた。
私が十五年一緒にいても踏み込めなかった船長の懐に、彼女は二ヶ月で入り込んだことになる。
おまえ、おれと寝てみないか――きっと魔がさしただけだろうとは思っていたけれど。本当の本当に、魔がさしただけだったとは。それからの船長は、べっとりと彼女につきっきりである。
「なんで買っちゃったんだろ……」
ふと我に返って、そう呟く。今だけじゃない。船長にすれ違っても声をかけられない日は「何を期待してるんだろう」。寝不足気味の明け方には「なんで待っちゃってるんだろう」、と。
完全に振り回されている。気まぐれな人の、気まぐれな一言に。十五年間鉄壁のごとく守ってきた距離感が、あんなたった一言で守れなくなってきた。
なんであんなことを言ったのか。人の気持ちも知らないで。だから、船員以上でも以下でもない関係のままでよかったのに。
今の私の心とは正反対の色をしたマカロンカラーの紙袋を見下ろして、深いため息をついた。
*
レッドフォース号では、宴をしない日を数えた方が早いくらい、毎晩のように宴が開催される。船長が無類の酒好きだからだろう。
十五年間、毎晩繰り広げていれば、船長の酒瓶の中身がどのくらいのタイミングで底をつくか――把握するのは緩んだ紐を解くより容易い。
……そろそろかな。
クルー達の酔いの回り具合と、夜空の色を確認してから、私は酒瓶を片手に船長を探した。
けれど、めぼしい場所を見渡してみても、船長を見つけられない。不思議に思いながらも、宴中にはほとんど来ることのない船尾の方まで探し歩いた。
すると――。
「大丈夫だ。おれがきっと、なんとかしてやる」
まるで、泣いている子供をあやしているような、柔らかな声――船長の声だ。
息を殺して、声のした方をそろりと覗く。
星屑が散らばった夜空のキャンバスに、二つの長身のシルエット。絹のような黒髪と燃えるような赤髪が、夜の潮風に弄ばれていた。
「でも……シャンクスさん……っ、私っ……」
「大丈夫だ。何も心配することはない」
そう言い切った船長が、彼女の小さな頭をそっと抱き寄せる。
「今日は、何も考えずに……おれの胸に抱かれて眠れ」
そのまま彼女は何も答えず、ただただ泣きじゃくって船長に身を預けた。
彼女のすすり泣く声を背に受けながら、私はその場をあとにした。
*
「大丈夫ですか……! お頭……!」
翌日の昼頃。船長が、右腕から血を流して帰ってきた。傍らには、黒髪を揺らしながら船長を支える彼女の姿。
副船長や他の船員同様、私は船長に駆け寄った。本人はいたってケロッとしているが、船長の血を久しぶりに見たので、私は内心、かなり動揺した。
「ったく……何があった」
こんな時でも副船長は冷静で、怪我の状態が取るに足らない程度だとすぐに見抜いていた。けれど、心配性なのも相変わらずで、彼はすぐさま船医に治療の指示を出した。
「街を歩いていたら、私がいつもの発作で倒れてしまって……」彼女の声は次第に震え始めた。「そこに、風に煽られた大きな看板が――」
「なァに。大したことはねェよ」
「っ、でも……」
勝ち気な黒い瞳に、宝石のような雫がたまっていく。サバサバしたように見えて、意外と繊細な性格なのかもしれない。
「そんなもんも避けられねェとは、情けねェな」
副船長が、ため息を吐き出しながら言う。
「だっはっはっ! まったくだな!」
「四皇の看板を下ろしたらどうだ」
「看板だけにか? うまい!」
「……あほう」
心底あきれきったようなカオをした副船長が、ふいと私の方を見た。
「***、叱りつけてやれ」
「……はいっ?」
突然、お鉢が回ってきて、私は思わず素っ頓狂な声をあげた。
「アンタに叱られないと、どうも懲りないらしい」
「い、いや、そんな……」
「おいおい、やめてくれよ。ベン。***を焚きつけるのは」
船長が、困ったように笑いながら言った。
「***の説教を食らったら、数ヶ月は無茶できなくなる」
「え? ***さんって、怒ったりするんですか?」
船長や副船長の軽口に安堵したのか、すっかり泣き止んだ彼女が驚いたように私を見た。
「あァ。おれがヘマすると、いつもベンより先に怒るんだぜ」船長の頬が、へらりと緩んだ。「『大丈夫ですか』より先に、『何やってるんですか』が口から飛び出すからな」
「『何やってるんですか』にふさわしい行為を、頭がするからだろう」
葉巻をくわえながら、副船長がふっと笑ってそう言った。
「だっはっは! ***の小言は、他の誰の説教よりも効くからな!」
「ふふっ、やだ」
船長の傷は本当に大したことがなくて、船内は笑いに包まれていた。船医も、すでに治療を終えている。
けれどなぜか、私は笑えなかった。自分でも、なぜか分からない。「『何やってるんですか』にふさわしい行為を、船長がするからじゃないですか」――いつもの私ならきっと、副船長より先にそう言ったはずなのに。
「……私だって――」
私だって、
本当は、素直に心配したいよ。
『大丈夫ですか』って身体を支えたいし、
……『大丈夫だ』って、宝物みたいに抱きしめてほしい。
私だって……。
つん、と、鼻の奥が痛いと感じた時は、もう遅かった。
じわっと視界がにじんだ瞬間に、ぽろっと暖かい液体が頬を伝う。それからはもう、目の器官が壊れたみたいに、ぼろぼろと床に落ちていった。
私は泣いていた。自分でも今気が付いた。
船内がしんと静まり返る。傍らにいた副船長の口元が緩んで、葉巻が下に傾いた。ルゥさんは、口からようやく肉を離した。周囲にいる船員たちも、おろっとしながら顔を見合わせている。
船長の大きな身体は、ぴくりとも動かなかった。一箇所だけ――赤い瞳を収納しているまぶただけが、大きく見開かれていた。
そのすべてを置き去りにしてくるりと身を翻すと、私は甲板を立ち去った。
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[mokuji]
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