※若干これの続きくさい



 その砦は、いつも固く閉ざされている。しかしながら、内に潜む柔らかさがあまりにも露呈しているため、こじ開けることはしなくとも、「開けてくれませんか」とノックするくらいのことはしてみたくなるのだ。だから僕はいつも、小さく丸めた手の中指あたりで、その戸を小さく叩いてみる。トントン、トントン、と。彼女はノックの音を聞きながら、ひどく困ったような顔をする。開けるべきではないのだろうが、開けなければかわいそうだといった具合に。

 彼女のそういう優しさを知っていて、けれどつけ込みきれないのは、自分のこの迷い癖と優柔不断さのせいだ。そのため、僕はいつもドアが開く寸前に「やっぱりいいです」と撤回して、踵を返す。彼女がドアを一寸ばかりそっと開けて、立ち去る僕の背中を覗き見ていることを知っていながら、彼女がほっと胸を撫で下ろしていることにも気付いているから、やっぱりドアが開くのを待ってはいられないのだ。そのわりに、時間が経てばまた性懲りもなくそのドアを叩いてしまうあたり、学習能力が低いと言わざるを得ない。

 そんな壁越しのような関係を続けたまま、僕はいまだに一度も彼女の心に手を入れたことはなかった。


       ・


「まったく、不破先輩の考えることはよくわかりましぇん」

 腕の中の小さな女の子は、おとなしく僕の膝の上に乗ったまま、呆れたように言った。その頭に頬を預けた僕は、彼女の台詞をどこか遠いところで聞いていた。彼女が喋るたびに届く振動が、脳の働きを鈍らせる。衣越しに伝わる体温は温かく、その外見や中身から想像するとおりの子ども体温だった。彼女は他のくのたまたちよりだいぶ小柄であるから、それもあいまってまるで子どもを抱きしめているような気分になる(まあ、僕からしてみればまだ子どもといえる年齢なのだけれど)。


 裏裏山の頂上付近、疲れた旅人が一休みでもしそうな開けた原っぱ。学園から離れたこの場所で、僕とおシゲちゃんは時折こうして落ち合っていた。おシゲちゃんは「こんな遠い所まで来たくない」と口を尖らせていたが、僕がおぶっていくからと言って強引に納得させた。だから、僕らがここに来る時は、いつも僕が彼女をおんぶして山を登った。

 こんな離れた場所を選んだのは、学園の近くで会って、それを誰かに見られてはいけないという僕なりの配慮だったわけだが、よくよく考えれば、彼女は別に会いたくて僕と会っているわけではない。学園の先輩である不破 雷蔵にどうしてもと頼まれたから、しかたなくついてきているのだ。嫌々会わされているうえに、こんな寂しい山中を交流場所に指定されれば、確かに愚痴のひとつも零したくなるだろう。いくら気を遣われたところで、余計なお世話というものだ。彼女の言い分は正しい。

 そんな正論に眉を顰めながら、僕はおシゲちゃんの肩に顔を埋めた。彼女は小さく身じろぎしたが、すでに慣れたものなので、一瞬だけ入った力を溜め息と共に抜いた。脱力した体と逆に、もう一方の体は力を込めた。愛でるように、頭からかじりつくように。ぎゅっと、自分の肉体に一体化させんばかりに押し付けて、すっぽりと包む。柔らかくてあたたかくて、そして甘ったるい。母親の腕に抱かれていた頃のことを思い出した。自分は、もう母に抱きついて甘えられる年齢ではない。だから、そのかわりに年下の女の子を抱き締めて甘えている。なんて矛盾した、都合のいい堕落だろう。他に縋る場所がなくなったから、僕は彼女に縋っているのだ。彼女は、ただ断れなかったという理由だけで、こうして抱き枕のような扱いに耐えている。それがだらだらと続いてしまって、一層彼女は言い出す機会をなくしていた。「もう終わりにしませんか」と。

 なんだかんだで臆病者な僕は、彼女が一言その言葉をよこしさえすれば、この奇怪な関係を終わらせるつもりでいる。しかし、彼女もたいがい優柔不断なのか、それとも優しさなのか。いまだ僕に「終わりにしましょう」の言葉をよこしてはこない。けれど、たったこれだけのことで僕はかなり救われていた。この時間は、睡眠や食事と同じくらい、僕にとっては不可欠だった。彼女の存在がなければ、自分はうまく息ができないんじゃないかと、最近わりと本気で思っている。


 辺りは人っ子一人おらず、静かな風がさわさわと肌を撫でた。ほんの少しだけ肌寒いが、ぴったりとくっついた体のおかげで、とろりとした眠気を誘うほどに心地よい。穏やかな午後の日だまりのなか、後輩の少女を抱きくるめて口元を緩めている自分は、はたから見れば変態か幼女愛好趣味か。どちらにせよ、知らない者が見れば目を見張りそうな光景である。まあ、第三者の目があれば、僕は彼女にこんなことをしたりはしないのだが。せいぜい「やあ」と軽い挨拶をして、一言二言言葉を交わして去っていく。そんな程度だ。だから、不破 雷蔵と大川 シゲが内密に密会する仲だなどと知っているのは、僕と彼女を除いて他に存在しなかった。

「こんなことして何が楽しいんだか」

 なんの返答もよこさない僕に、おシゲちゃんは独り言じみた、しかし不満げな声音で呟いた。僕は「うん」と小さく返事をしただけで、気の利いたことを一つも返さなかった。けれど、僕が彼女といる時にろくな返事をしないのはいつものことで、彼女もそれを熟知していた。そのため、それ以上は何も言わなかった。陶酔して、充電することに必死な僕の口は、ちっともうまく回らなかった。

 楽しいとか楽しくないとか、そういうことではないのだ。言い方は悪いが、彼女との時間は僕にとっては布団のようなものだった。自らを受け入れ、包み、暖め、休ませてくれる、安らぎの場所。愛しさにも似た安心感。楽しいわけではないが、布団に入るのは誰だって好きだろう。それと同じである。


「あと5分したら離してくだしゃいね」

 しんべヱしゃまと約束がありましゅから、とおシゲちゃんは平常どおりの声で言った。わかった、と僕も言った。

 もう時間が来てしまったのか。名残惜しく思い、抱き締める力をまた少しだけ強めた。どれだけ力を入れたら彼女が痛がるかは、だいぶ前に覚えている。そのギリギリまで力を入れ、最後の抱擁に意識を集中させた。


 ――彼女がもう少し大きくなった時に、胴に回したこの手を上か下にずらすことができれば、彼女は自分にその身をあけ渡すのだろうか。艶めいた声を漏らして、涙に濡れた目で僕を見るのだろうか。……いや、いくら彼女が優しくとも、それは無理だろう。緩く抱き締めた手を拒まなくとも、それが獣の爪を出した途端、彼女は悦びとはかけ離れた涙を流して、僕を拒絶するに違いない。だとすると、僕はそれを無理矢理押さえつけ、自由を奪って蹂躙するしかないわけだが、そこまですることはないように思う。僕は彼女のその柔らかにくるまれて、いつまでも優しさに浸かったまま甘やかされたいだけで、彼女を泣かせたいわけではない。愛だとか恋だとかの感情はそこにはなくて、言うなれば母親に甘えたい子どものような心理だ。

 彼女を自分のものにしなければいけない、というのは、僕のそのオアシスを守るための最終手段として上がってくるのであって、目的ではない。彼女が自分の傍にいて、こうしてもたれかかることを許してくれるのなら、体の関係などいらないし、愛の言葉も必要ない。だが、結婚されることなどはよしとしない。独占したいからという理由ではなく、誰か一人のものになってしまえば、彼女は僕に時間を割くことができなくなるからだ。相手の目も気にしなければいけないし、第一貞淑でない。そのくらいのことは、僕だってさすがに理解していた。

 今現在の彼女の相思相愛の相手は、まだ子どもだから、自分と彼女がこんな不可思議な関係を築いていることを知らない。知ったとしても、意味がわからないと首を傾げるか、人助けなら仕方ないと笑うだけだろう。そこに付随する意味を読み解ける歳になった時が怖いのだ。僕が今までどんな心積もりでおシゲちゃんに接していたかを知った時、彼は僕を殴り殺してしまうかもしれない。その点に関しては彼女にも言えることで、たぶん彼女は僕が小動物を愛でるような気持ちで自分に接していると思っているから、こんな薄汚れた算段を知ってしまえば、そのあどけない顔を嫌悪、または恐怖に歪めて、僕を避けるのだろう。近寄らないでと、口汚く罵るのだろう。想像しただけで、胸が押し潰されそうだ。

 そういう全部を知られたくないから、僕は結局この位置を変えられない。白く清らかな首筋にすり寄ることはできても、唇で吸い付いて跡を付けたり、歯を立てて噛み付くことはできやしないのだ。


 トントン、と腕を叩かれる感触がして、僕はハッと目を開けた。おシゲちゃんの「離してください」の合図。自分を忘れて、日常へと帰っていく合図。

 もどかしさと、置いてけぼりを食うような寂しさを押し殺しながら、僕はゆっくりと腕をほどいた。ぴょんっと、飛ぶように彼女は僕の膝から降りる。それを見ると、無意識に眉間に力が入った。きっと、もう少し時間が経てば、彼女はこうして僕の膝には乗らなくなるのだろう。ぴょんっと飛び降りたまま、走っていって、その背中はいつしか見えなくなる。そうして一生戻ってこない。

 現実から目を逸らすのは、あまり好きではなかった。だけど、あらゆることに思い悩んでしまうのは僕の性であったから、こんなわかりきったことでもまだ悶々してばかりいる。他人のものを横取りするのは、弱い僕にはできそうになかった。


 おシゲちゃんがくるりと振り返った。ふくよかな白い手を差し出して、

「帰りましょう?」

 僕に言う。

 知らないふりをして、無視をして、放っておけば、押し切れない僕との関係を切ることもできるのに。そうすれば僕も、最終的に甘い寄りどころから抜け出すことができるのに。

 己の弱さを相手のせいにしても何も始まらない。なのに、ずるい自分は、この終わりの見えたままごとを彼女のせいにしようとした。三つも年上なのに、なかなかどうして僕は子どもっぽかった。目の前の、実年齢より幾分幼く見える少女よりずっと。


 おシゲちゃんの手をそっと握りながら、僕は「ごめんね」と呟いた。おシゲちゃんは、ちょっとだけ表情を曇らせた後、「不破先輩はお子様でしゅね」と笑った。その笑い方があんまりにも諭すように大人びていたから、僕は“女の精神年齢は男より三歳上である”という話を思い出して、うっかり「助けてください」と言いそうになってしまった。




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