いつか見る空 | ナノ
ベルトルトは……チーンと小気味良い音を立てて鼻をかんだ後、紙から顔を上げた。

それと同時に現れた高い鼻の頭は少々赤くなってしまっている。


(………………。)


周囲を見回し、彼は屑篭を探した。(ああ。)見つけたので、手の内にあるゴミを軽くそちらに放る。


「うへえ」


未だ寝ぼけ眼らしい屑篭兼友人が間抜けな声を上げた。くしゃくしゃと丸められた紙クズは見事にその頭にクリーンヒットしたらしい。


「………………。」


今、自身にぶつかっては床に転がったそれをじっと見下ろし……それから困惑気味且つ呆れ気味の表情で彼の方を眺めるジョゼ。

ベルトルトは小指で耳をほじりながら「オハヨー」と気の無い挨拶をした。


「…………………………、…………。おはよう。」


色々と言いたいらしいことを飲み込んで、彼女は挨拶を返す。

対してベルトルトは、友人の反応があまり面白くなかったことにやや不満な気持ちになった。そのまま威圧的とも言える視線をそれに向け続ければ、ジョゼは僅かな逡巡の後、「な……なあに?」と尋ねてくる。


「それ、捨てといてね」


そう答えて、欠伸をひとつ。否、答えになっていない。


「いやあ……ゴミはちゃんと自分で屑篭に入れない駄目だよ。」

「ゴメンゴメン。なんだか寝起きでまだぼんやりしててさ…やたらデカい屑篭だなあとは思ってはいたんだけど。
間違え間違え」

「…………。眼科行ったほうが良いんじゃないかな。」

「ジョゼの癖に口答えするなよ」

「………えー……。」

「なんかだるいなー……。ジョゼ、僕の分のご飯持ってきて」

「まあ……、良いけれど。」

「一番パンが柔らかそうなやつね。僕繊細だからあんまり固いやつは口に合わないの」

「君はどっかの国の王子様なの」

「ひれ伏しろ愚民」

「ぐみっ!?」


ベルトルトは無表情のまま高笑いするという器用な芸当をこなしてみせる。

それを溜め息と共に見守るジョゼは……「今朝も絶好調だね…」と幾分げっそりとしながら呟いた。


「そういうジョゼは今日もすこぶる顔が怖いね。おお恐ろしや恐ろしや、鎮まりたまえ」

「君のお陰で大分気持ちは鎮まってるよ……」

「そりゃあ良かったね。」

「ああ……うん。良かった良かった。」


段々と面倒くさくなってきたジョゼは彼の発言を流しては「じゃあ朝食を取りにいってくるよ…」と立ち去ろうとするが、腕をがっしりと掴まれてしまったので前進は適わなかった。


「適当に返事するなよ。傷付く。」

「……きっと私のほうがずっと傷付いてるよ。もう慣れたっちゃ慣れたけど」

「この心の傷をどうしてくれるんですか」

「ううーん……。どうしようねえ……。」


いつの間にか両の腕をがっちりと捕まえられていたので、中々にジョゼが現在ベルトルトから逃走を計ることは難しくなっていた。

今日はまた一段と厄介なことになってんな……、と、巻き込まれないよう遠く離れた場所でライナーが二人の様子を観察しつつ独り言ちた。


ベルトルトはジョゼの顔を覗き込み、難詰するような視線を向け続けている。

…………彼女は非常に困っていた。犬も歩けば棒の当たるとは言うが、朝からとんだ災難である。


「………べっくしょい!!」


暫時見つめ合った後、中々に大きなクシャミがベルトルトの口から唐突になされた。

……………。当然、ジョゼはそれをまともに浴びせられることになる。彼女はなんだかもう色々今朝はひどい、と諦めの境地に達していた。


「…………?朝から随分と湿ってんなお前……」

「好きで湿ってるわけじゃないよ……」


そこへジャンが現れる。不可解な状況を不思議そうに眺めてはひとまず妹に朝の挨拶をした。ジョゼは軽くお辞儀してそれに応える。

そんな彼女の襟首が後ろからふいに引っ張られる。急な事だったのでその口からは「うわあ」とまたしても間抜けな声が漏れた。


「何があったかは知らないけれど、ほら」


マルコである。ベルトルトに両腕をがっちりと捕まえられてる状況から脱することが出来たジョゼはほっとしながら、彼の掌からハンカチを受け取った。


「大丈夫か?」

色々なところに降り掛かってしまっているベルトルトの唾液を拭いているジョゼにマルコが声をかける。


「うーん、ちょっと風邪ひいちゃったのかも。」

それにはジョゼではなくベルトルトが鼻をすすりながら返事をした。「お前には聞いてない」とマルコは不機嫌そうにぴしゃりと言う。


「まあ……風邪は伝染したら治るってよく言うからね。ほらジョゼ、こっちおいで」

「前置きが不穏すぎるよ」


ベルトルトは長い両腕を広げて、胸の内にジョゼを迎え入れる準備をしながら笑顔で声をかけた。

ハンカチで粗方の飛沫を拭き取ってはいたが、彼女は未だしっとりとしてしまっている。


「………………。」


しかしそんな気の無い反応の後……少し、思い直したようにジョゼはベルトルトの方に近付いた。

突然のことに彼は少し後ずさる。……どうやら、自身からは好んでちょっかいを出すにも関わらず、向こうからのアクションに対する免疫は割と希薄らしい。


「……………。ちょっとどころじゃ……無いんじゃないかな。」


腕を伸ばしては軽くベルトルトの額に触れたジョゼがぽつりと零す。

彼女の指が想像以上に冷たいことに些か感心しながら、ベルトルトはされるがままになっていた。


いや、ジョゼの指が冷たいんじゃない……これは、僕が…………


急に、ストンと思考が頭から足下の方にまで落っこちてくる感覚に見舞われる。

これには彼自身が一番びっくりとした……しかし、周囲も負けず劣らずに驚いているらしい。辺りがやにわに騒然とした。


非常に焦った声がベルトルトの耳元でする。身体の内側からは物凄い熱が吹き出しているのに、表皮はひんやりと冷たい……正確には、皮膚が……全身が触れているものが冷たい。

不思議と安心した。


また、焦燥した言葉がすぐ近くでする。もうベルトルトにはそれの意味がよく分からなかった。

けれど自身を包んでいた冷たい気配が離れていってしまうらしいことは理解する。……それはいやだ、とただ単純に思った。ので、捕まえて抱きとめたままにした。


足下にまで落っこちていた思考が、乾いた土に吸われる雨水のようにすう、と無くなっていく。

そんな感覚のうちでベルトルトは、冷ややかなその熱にゆっくりと抱き返されるのを確かに実感した。


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