(主人公が調査兵団に入団したての頃)
(ううー…)
ペトラは古城で一人項垂れていた。
時刻は夕方も後半に差し掛かり…橙の光が差し込む室内で、もうそろそろ夕飯の仕度をしないと…と思ってはいるのだが、中々身体が動いてくれない。
というのも……
(何で誕生日の夕飯をたった一人で寂しく食べなくちゃいけないのよー…)
というのが理由である。
いや、別に盛大に祝ってもらう必要は無いし、おめでとうと言われなくも良い。(そりゃあ言われたら嬉しいけれど)
ただ、自分が生まれた日に気心知れた仲間と共に…いつもの様に卓を囲んでご飯を食べる、それだけで良いのだ。
そう思って、今日までペトラは何とはなしに一人わくわくと自分の誕生日を待っていた。
だが……どうやらそんなささやかな願いも適わないらしい。
今現在、リヴァイを中心とする我等の班はエレンを連れて調査兵団の公舎の方へと出掛けている。
何やら面倒な審査があるらしい。今夜は戻らないだろうとリヴァイは出掛ける時に言っていた。
………そして古城を無人の状態にする訳にもいかないということで、くじ引きでペトラが留守番に決まった訳だが……
(ついてなかったわ……)
思うのはそれだけである。
ペトラは一人広いテーブルに突っ伏して、(もう今日は夕飯は良いか…)と投げやりなことを考え始めていた。
しかし、日中の過酷な訓練及び清掃作業に相まってか胃袋は空腹を訴えてくる。
……………ペトラがようやく重い腰を上げて調理場に向かうこととなったのは、たっぷり項垂れた後、その数十分程が経過した時のことだった。
*
(ん…………)
昨日の残り物である豆のスープを温め直している最中のことであった。
古びた、しかし堅牢な樫の木で出来たこの城の扉をこれもまた古いノッカーで叩かれる音がしたのである。
石造りの冷えた室内にそれはよく響いた。
一瞬、ペトラは仲間たちが帰って来たのかと期待に胸を膨らませるが…よくよく考えたら彼等はノックなどしないことに思い当たる。
落胆を隠す様に溜め息をひとつ吐くが…それと同時に浮かび上がるのは誰が尋ねて来たのだろうという疑問だ。
何者かが訪問してくるということは聞かされていないし…この付近は訪れる人間も調査兵団の関係者以外ほとんどいない。
首を捻りつつもペトラは一度キッチナーから鍋を下ろし、ここを訪れた人物と対面する為に寒い廊下へと足を踏み出していった。
*
(………………………。)
重い扉を開け、対面した人物の顔をようよう拝んだ後………
二人は見つめ合ったまま動かない。いや正確にはペトラは動けなかった。視線も逸らせない。
…………何この子…な、なんか怒ってる………?
どういう訳か扉を開け対峙した瞬間から…初対面であろう眼前の少女はペトラのことをひどく睨みつけているのである。
その眼光は鋭く、ここであったが積年の恨みというような雰囲気だ。
ペトラはどうして良いか分からずに……そして平素より見慣れている顔の怖い我等の班長と同等に険しい…いやそれ以上かもしれないその顔を、ただただ蛇に睨まれた蛙のようにじっとして眺めるしか無かった。
(顔、怖っ…………。)
とにもかくにも多くの人と同じ様に、それがジョゼ・キルシュタインに対してペトラが抱いた第一印象であった。
「あの…………」
どの位時間が経過したかは分からない。
互いに何も言葉を発せずにいた為に重く立ちこめていた沈黙が、ようやく凶相の少女の一声で破られる。
…………意外なことに、顔の印象とは違って声はか細くて静かな雰囲気をまとっていた。
「お食事の準備中だったようで……その、突然お邪魔して大変申し訳ありません。」
そして発せられる言葉は眼光とは対照的に全く持って攻撃性は無い。むしろこちらを気遣うようなことを言う。
彼女の発言を受けて、ペトラはようやく自分がエプロンを外し忘れてしまっていたことに気が付いた。
…………途端に恥ずかしくなり、「わ、私の方こそごめんなさい…、こんな格好で…」と言いながらそれを脱ごうとする。
しかし少女は手を挙げて軽くそれを制する。……そのままで大丈夫です、と付け加えて。
「………エレンに会いに来たのですが。会え…ますか」
そして少々不安そうに発せられた言葉に、ペトラはああ…と何かを納得する。
彼女の制服の胸元には自分たちと同じく自由の翼が羽を休める様に留まっていた。
しかしその顔に見覚えが無いということは、今回新しく入団した104期生ということであり…
(エレンの友達……?)
である可能性が高い。
………しかしあの難しい性格のエレンに友人とは…噂で聞いた幼馴染の二人以外にもいたのだろうか。
「エレンなら公舎の方に数時間程前に向かったけれど…」
そう言えば、彼女は「え」と一音発する。
「………………………。」
そうしてその怖い顔を一層しかめて黙り込んでしまう。
………自分よりも随分と高い身長も相まって凄い迫力である。
ペトラは眼前の少女が無害であると徐々に気が付きながらも、背中に冷や汗が伝うのを留めることができずにいた。
「しまった……。…………入れ違った。」
そしてぶつぶつと呟く。それから尚も何かを考えるように口元に手を当てた。
「分かりました。じゃあ…今から急いで帰ればきっと会えると思うので……失礼します。」
ようやく顔を上げてペトラに向き直った彼女はそう言って一礼した後、敬礼の姿勢を取る。
「あ……ちょっと待って。」
しかしペトラはそれを引き止めるように声を発した。
「確か彼等は今晩ずっと審査で……それで明日の朝、すぐに向こうから経つ予定なの。だから会うのは難しいと思うけれど……
それにエレンは複雑な立場だわ。もし運良くタイミングが合っても、直接話せるかどうか……」
ペトラの言葉を、少女はじっとして聞いていた。
それからゆっくりと瞬きをした後、目を伏せる。物静かな仕草だった。
「そうですか……。………。それは、そうですよね。」
落胆しているのだろうか。
いや……少し違うかもしれない。………これは、心配している………?
「何かあるなら、私が言付かっておくわよ。」
切り替える様に優しく呼びかけると、またしても彼女は少しの間何事かを考えた後に…ペトラに麻布の包みを差し出した。
「これをエレンに渡しておいてくれませんか。」
ペトラは受け取りながら、「念のため中身を改めて良いかしら」と尋ねる。
彼女はこくりと頷いた。
麻布の端を摘んで中身を覗くと、真っ赤に熟れ切った大きめの柿がみっつ姿を覗かせていた。
もうすっかり暗い景色の中で、それはぼうと光っているように落ち着いた紅緋色を辺りに放っている。
「…………本当は、調査兵団の偉い方々にも面識のあるミカサやアルミンに託そうかとも思ったんですけれど…」
ミカサはエレンに会う口実を作ってあげればきっと喜ぶし…と彼女は小さく零した。
「でも、その柿は……エレンと二人のときに偶然見つけた場所で成っていて……
彼はその場所を内緒にしたい……皆に教えたらすぐ柿の木が丸裸になっちゃうからって……
だからその実は私とエレンだけの秘密で、ええと、だから……あれ、」
どうやら彼女は長く話すことに慣れていないらしい。
言いたいことはなんとなく分かるのだが、段々と言葉が迷子になっていってしまっている。
………一旦少女は口を噤んだ。
それから、まあ……そんな感じなんです。と言う。
ペトラもそんな感じなのね、と応えながら柿の実を布に包み直した。
それに私もエレンに会いたかったから……と小さく足された呟きを聞いてそっと目を伏せながら。
何だか……エレンにも普通の友達との会話や生活が且つてはあったんだということが知れて、ペトラの心は穏やかだった。
しかしそれは同時に少しの痛みにもなる。
いつの日かの自分と同じ様に、ただ純粋に正義に集う調査兵団へと憧れて頑張っていた少年の身に…何故このように辛いことばかり起こるのだろうか。
そしてそれは自分にこの赤い実を託した少女にも言えることである。
エレンの友人であるというのはトロスト区の惨状を経験したという証明だ。
……………調査兵団の兵士となるのであればいつかは必ず経験する事物とはいえ、早過ぎる。
そして彼女が纏う雰囲気や瞳の色からよく分かった。
大切な人を亡くしていることを。
「ねえ…………。」
少女が大事にして持って来た包みを、ペトラもまた大事に抱き直しながら話かける。
「夕ご飯……、食べた?」
その問い掛けに、彼女は不思議そうに首を傾げるが…少しして、いいえ、と答えた。
「一緒に食べていかない?」
自分でも驚く程自然にその持ちかけはされる。
誘われた方もどうやら面食らっているようで目を瞬かせていた。
「ちょうどスープがあとひとり分余っていたの。」
命令でも強制でも無いけれど……と言って微笑むペトラを、彼女はじっと眺める。
そしてそれに応えるように頷いて、ほんの少しだけ笑った……ような気がした。
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