ぱきりと一際大きく薪がはぜる。
夜陰に、ひとつ洞窟を抜けるような乾いた大きな音だった。
「マルコは……。」
ジョゼは、僕の手の甲に掌を置いたまま口を開いた。
「マルコは、初恋をもう…経験したの。」
思いがけない彼女からの質問に、言葉が詰まる。
それから、やっとの思いで一言…「うん…、一応は……ね。」と零した。
ジョゼはそっと目を伏せて……少しだけ口を閉ざす。
「そっかあ……。マルコもちゃんと誰かを好きになってきたんだね。」
再び口を開いては改めて感じ入るようにいわれると、何だか随分と恥ずかしい。
おまけにそれが想いを寄せる当の本人からならば尚更だ。
「兄さんとかを見ていて思うけれど、恋をする…所謂誰かを好きになることっていうのは凄いよね。」
ジョゼはそう言って僕の肩に頭をもたせてくる。……少し、眠くなってきたのだろうか。
頭髪からは清潔が香りがした。……僕が今、巻いているマフラーと同じ種類のものだ。
「ちょっとしたことですごく嬉しそうになったり……。かと思えば見ているこっちまで心配になるほど辛そうにしたり……。
でも、やっぱりみんな幸せそう。」
白い兎が飛ぶように雪を蓑にして、吹雪を散らして翔けていくのが見えた。
足跡はすぐに後からの降雪で見えなくなってしまったけれども。
「………私もいつか特別な誰かの為に…沢山笑ったり、泣いちゃったりするのかなあ……。」
ジョゼの言葉は、質問というよりは独り言に近かった。
これといった答えが欲しいというわけではないのだろう。
だから僕は、「そうかもしれないね……。」と相槌を打つに留まった。
「……でも、ジョゼにそういう風に想われる人は幸せだと……
そう、思うよ。」
本当に、心から。
僕のその言葉に応えるように彼女がこちらを見る。じっと見つめる。
つくづく綺麗な瞳をしているなあ、と思いながら……それを見つめ返した。
「…………ありがとう。」
ジョゼは穏やかに笑う。
それから、「マルコに想われる人も、すごく幸せだと思うよ…。」と零した。
「そうだね……。そうしたいと……そうありたいと、願うよ。」
そう言えば、ジョゼはこっくりと頷き、「なるよ、きっとなる。」と小さな声で、けれど力強く言ってくれる。
「うん…そうするよ。絶対にそうする。」
僕の手の甲にのっていたジョゼの掌を握り直しながら、僕も力強く、一音一音をとても大切にしながら…誓いを立てるようにした。
「良いね。マルコのお嫁さんになる人はきっと幸せだ。」
………どうやらやはり、全くと言って良い程に僕の想いは伝わっていない。
けれど、今はこれで良いと……自然にそう思えた。
まだ、心の中にはやきもちがごちゃごちゃとわだかまっているけれど。
気持ちを伝えられない自分の勇気の無さがほとほと嫌になるけれど。
それでも今、ジョゼの一番に近くにいるのは……僕だ。
そしてこれからもそれは変わらない、変わらせやしないと思ってはならないのだった。
「ねえジョゼ。…………僕たちの期の中で、誰が一番に結婚すると思う?」
………何だか焚火の温い明かりがようやく体の中に行き渡ったみたいだ。
少し元気を取り戻した声で、何てことない会話を持ちかけてみる。
ジョゼは少し考えたあとに……「マルコがこんな話題をふってくるなんて、意外だね。」と応えた。
それからもう一度首を捻り、「やっぱりフランツとハンナ……。それでなかったらアルミンとかが堅実に素敵なお嫁さんを見つけそう……。」と言った。
なるほどアルミンか、と僕は頷く。
確かに彼は、彼と同じく賢く聡明な女性と結婚しそうだ。
「僕はライナーとかも早くに結婚しそうだなあ…なんて思うんだよ。」
そう言えば、ジョゼがほう、と白い息を吐いて「確かに……。子供が出来たらすごく、可愛がりそうだね。」と言う。
「…………でも、ライナーが結婚しちゃったらベルトルトが寂しがるね。
二人はすごく仲良しだから………。」
「あいつは性格に若干難があるからな……。結婚は大分遅くになる気がするよ。」
二人して長身の友人のことを思い浮かべながら、苦笑する。
「ああ、あと忘れちゃいけないのはエレンとミカサだな……。
エレンにその気は無くてもミカサが自分以外の女性との結婚は認めなさそうだし……。」
ミカサのエレンに対する過保護とも執着ともつかない接し方について考えながら、僕はもう一度苦笑した。
一方ジョゼは顎に手を当てて少しだけ眉をしかめてから……「……うーん。私は兄さんの味方だから……それに関してのコメントは控えておくよ。」と零す。
「そっか……。そうだね。」
うん、と頷いてはそっと微笑んだ。
ジョゼとこういう、いわゆる恋話とやらに近い会話をするのは初めてだったので……何だか新鮮で、楽しかった。
いや、基本的に彼女と話せれば僕はいつだって楽しいのだけれど。
…………でも、かと思えばくよくよとしてひどく辛くなるときもあるし、一緒にいて苦しくなることはしょっちゅうだ。
けれどジョゼが言う通りに、やっぱり幸せなんだと思う。それ以上に。
色々なことをぐるぐると考えて、あれこれと悩んでみたけれど……分かったことはそれくらいだった。
そしてやっぱり、僕はジョゼのことがとても好きだということ………。
それだけもう一度理解することが出来れば、きっと充分なのだろう。
僕たちはひとつの毛布を分かち合っては、夜を通してぽつぽつと話を続けた。
ジョゼの声はやっぱり優しくて、冬の澄んだ空気に鳴るようにして静かに響いている。
そしてそれはいつまでも僕の耳の裏に留まっては、気持ちを優しくしてくれていた。
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