ふうと目を覚ますと、やけに静かだった。
風の音もしない。…………焚火の橙とは違う、澄んで透明な光を感じて、もう朝なんだと気が付いた。
ゆっくりと、瞼を開く。
そして目の前、飛び込んで来た風景に仰天して息を呑んだ。
(…………………ジョゼ。)
――――――近い。近いのだ。
恐らく、あれから下らない話ばかりしていた僕らは、焚火の番のことなんてすっかり忘れて二人して眠りこんでしまったらしい。
昨日と変わらず、ひとつの毛布を分かち合って。
ちらと焚火の方に目をやると……弱々しくはあるがまだ炎は宿っていた。
どうやらおかげ様で凍死は免れていたようである。
……………そして僕は、また眼前のジョゼの方に視線を戻す。
今現在固く瞼が閉ざされ…眉根がぎゅっと寄せられて眠っている姿はなんというか結構険しくて、やっぱり怖い顔をしているなあ…だなんて改めて思い知らされる。
でも、顔にかかる髪はさらさらとして艶があるし、それが昨日の夜の雪みたいに真っ白な頬の色を一層引き立てていた。
……細面ながらジャンに似て整っている顔の中心に通る鼻もまた、すっきりと高くて綺麗だと思う。
そして……口尻はきっと締められているけれど、その唇は水を含んだ朱色をしていて……何故か、季節外れにも春の空気を思わせた。
(紅いなあ。)
それでいて、柔らかそうだ。
同じ人間なのに、男の僕とはまるで違うもので形作られているかのようだ。
そして顔が同じと言えども、ジャンともやはり違って見える。……当たり前のことなのかもしれないけれど。
そろりと指を伸ばし、なぞるようにして触れてみた。
(うわ……。)
想像以上にそれはふっくらとしていて、しなやかだった。
………起きてしまうかな、という少しの危惧はあったけれど…どうやらその心配は無いみたいだ。
彼女の寝起きの悪さは折り紙つきだから…………。
そしてその時に、ふとあるよこしまな考えが胸の内でゆったりと起き上がってくる。
(いや………。流石にそれは駄目だろ……。)
理性は勿論のことその行為を咎めようとするが、僕の我が儘な子供な部分はどうにも昨日からとても素直に、そして欲望に正直に体を支配しようとする。
(………ほんの少し。本当にちょっと……触れるだけなら……。)
そして難なくその欲に負けて、先程まで頑張ってくれていた理性の声はすっかりと静かになってしまった。
あと数センチ、いや数ミリか。
ゆっくりゆっくりと、僕とジョゼの間の元より少ない距離は無くなっていく。
そして、触る瞬間のことだった。
ぱちり。
そういう音が聞こえそうな程、しかしそろりとした動きでジョゼの長い睫毛の間から暗緑色の瞳が現れた。
……………しばしそのまま見つめ合う。
「…………………。マルコ、おはよう。」
なんだか近くてびっくりしたよ……と彼女がぼんやりと呟くと同時に、欲に支配されきっていた体に理性が息を吹き返すように舞い戻ってきた。
そしてそれは同時に羞恥となって全身を駆け巡っていく。
「………………あ。いけない……。火、消えちゃう。」
ジョゼは幸いにも僕のそんな気持ちには気が付いていないみたいだった。
のそりと毛布の中から起き上がっては、すっかり弱々しくなってしまっていた焚火の方へ赴いて新しく火を熾している。
――――――先程までぴったりとくっついていたジョゼがいなくなってしまったので、途端に冬の朝の鋭い冷たさが深々と感ぜられるようになってくる。
「あ……………。」
少し遠くから、ジョゼの声がする。恐らく入口近くだ。
………僕は未だに気まずさと恥ずかしさの激しい渦中にいたが、どうにかそれを振り払っては…「どうした。」と尋ねながら、洞窟の外に顔を覗かせているジョゼの傍までやって来た。
「ああ………。」
そして、僕もまた彼女と同じような声をあげた。
驚きと、それから少しの感嘆の声。
雪が辺り一面を真っ白に埋め、朝の冷気と共に新鮮に輝いている。
顔を出したばかりの太陽の光を反射して、それは眩しいくらいだった。
どこかの枝からはトトトと雪がくずおれるひっそりとした音もする。
空は晴れ渡り、青色と白のふたつの色がどこまでも続いていく様は圧巻だった。
「綺麗だね………。」
ジョゼの呟きに僕もまた安らかな気持ちで、「そうだね」と返す。
…………視線を感じたのでその方を見ると、何故かジョゼは少々心配そうな表情をしていた。
そして少しの間視線を合わせたあと、ほっとしたようにする。
「良かった……。昨晩、マルコが何だか落ち込んでいるみたいだったから……。
でも今朝は元気そうで…うん。良かった。」
と言っては、淡く笑う。
……………僕は、自分の幼稚なやきもちで彼女にいらない心労をかけてしまったことをちょっと反省すると同時に、こうやって思いやってもらえることがとても嬉しくなった。
だからその気持ちを表すようにそっと、出来るだけ優しく……また髪を撫でてやる。
ジョゼは照れながらも幸せそうにしてくれていた。だから僕はもっと幸せだったと思う。
「…………ああ。これ、返すよ。」
そして、思い出しては首に巻かれていた深い青色のマフラーを解いて彼女が昨晩してくれたのと同じように巻いてやろうとした。
「え……。いや、いいよ。まだ寒いから……マルコが巻いていて。」
そう呟くジョゼに構わずに、「駄目。……これはジョゼのなんだから……。それにこれの所為でお前が風邪引いたらどうするんだ。」と言って少しきついくらいに彼女の首にマフラーを回していく。
…………やっぱり、首筋もすごく白かった。
それが深青で隠れてしまうのがちょっとだけ惜しいくらい、繊細で綺麗な色だと思う。
「じゃあ……。マルコも、マフラー買いなよ。」
じゃないとこれからの季節、寒いよ…。と言いながらジョゼは渋々とマフラーを受け入れて緩さを調整していた。
「………うーん。買うお金があんまり無いからね。
ジョゼが作ってくれるのが一番手間もお金もかからなくて良いんだけれど。」
半分冗談、半分期待を込めて言うと、彼女は二つ返事で「いいよ。」と応える。
…………あまりに快い承諾に、僕は少々面食らってしまった。
「マルコにはいつもお世話になり放しだし……。
それに私が作ったものを君が身につけてくれたら、嬉しい…かも。」
ジョゼはそう言ったあと、何だか恥ずかしそうにしながらマフラーで口元を隠した。
そこから覗く頬が少しだけ赤くなってしまっているのは、何も寒さの所為だけでは無いだろう。
それを思えば、色々な気持ちで胸がいっぱいになった。
「……じゃあ、よろしくね。楽しみにしているよ。」
「分かった。凄く良いの、頑張って作るよ………。」
短い会話を交わしてから、僕らはもう一度外の景色を眺めた。
くまなく晴れ上がった紺青の空はどこまでも続いているかのように思えて、眺めていると胸の内が洗われる。
そして大地に広がる真っ白い雪もまた……昨日飽きる程その中を歩んだのにも関わらず、特別に綺麗なものに思えてならなかった。
それから僕らは弱い焚火でまたコーヒーを湧かし、簡単な朝食を摂った後に……沢山のことを語り合って、考えた洞窟を後にする。
早朝の雪は凍っていて滑りやすくなっており、ジョゼは足を取られて何度も転びそうになってしまっていた。
だからその掌を取り、繋いで、二人で慎重に進むことにする。
焦らなくて良い。一歩ずつ着実に。
でもずっと一緒に、お互いを大切に思いやりながら歩いていければ…それで良いのだと…そんなことを、思う。
理莉様のリクエストより
雪山訓練で吹雪にあう、洞窟で夜を過ごすことになる。で書かせて頂きました。
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