いつか見る空 | ナノ
焚火の上に作った石場の上では、古びた琺瑯のやかんが溶かした雪をシュンシュンと沸かしている。


元は真っ白だったのだろうが使い込むうちに薄汚れて、ところどころの釉薬が剥げて下層の鉄が覗いてしまっていた。



「………マルコ。私はね、コーヒーは結構上手に淹れることができるんだよ。」


そう言いながら、ジョゼはやかんと同じく琺瑯引きのカップを用意している。

縁の青さが焚火の炎と対照的に暗くて、冷い。



僕は黙ってその様子を見守っていた。



やがて白い湯気が渦を巻いて立ち昇ってくるのと一緒に、深みのある独特の匂いが漂ってくる。


濃厚だが、優しい。身体に沁みてくるような香りだった。


カップにコーヒーを差して、ジョゼは何も言わずに僕にそれを差し出す。


真っ黒な色をしているので、この洞窟の暗闇を凝縮した液体のようにも思えた。



僕は、それを受け取る。



カップ越しに熱い液体がすっかり冷えてしまっていた掌を温めてくれた。




「マルコは、コーヒーは好き…?」



ジョゼが尋ねながら隣に腰を下ろしてきた。

その掌の中にも僕と同じように真っ黒な液体で満たされ、僅かにへこんでしまっているカップがある。


そして自分が淹れたものを飲んでは小さく「あつ……」と言う。

相変わらず猫舌らしい。



……………僕も、飲む。


色と同じように、この暗闇に似た濃厚な苦さである。

でも、不思議と落ち着く味わいだった。


瞼を下ろしてそれをしばし味わったあと、「………うん、好きだよ。大好き。」と応える。



そうすればジョゼは嬉しそうに淡く微笑んで、「良かった。………嬉しいよ。」と幸せそうにした。



それから僕らは、不味くも美味しくもない固形食料を…僕はみっつのブロックを、ジョゼはふたつのブロックをそれぞれ黙って食べた。


コーヒーを飲み過ぎるのはあまり良くないので数杯に留めたが、湯だけは沢山摂る。



洞窟の外では相変わらず雪が吹きすさぶ音がしていた。


さっと横切るあとを、ごうと鳴る。


……次第に風は強くなるらしい。


だが、何という寂寞というか……密やかな音しかしない。


白い魔が忍んで来るような…雪の霊が透見するような、そんな気すらしてくる。


そしてそんな気配は、さらさらと転がるようにしてから、さーッと過ぎていくだけであった。



「………僕さ、この前……ジャンが、所謂ラブレター…っていうのかな。をもらっているのを見たんだ。」



雪の音にかぶるようにして焚火がぱちりというのを背景に、僕は言葉を漏らす。



…………これになんの理由があるわけではない。



本当に自然に、口の端からそれは零れていった。



ジョゼはカップの中の湯を一口啜ってから、こちらにゆったりとした動作で視線を移した。



…………兄弟揃って同じ瞳の色。


僕はこの色もまた、結構好きだった。



「そっか………。兄さんは相変わらず、もてるからね。」



ジョゼは静かに相槌を打つ。そして言葉を続けた。



「でも偉いねえ……。兄さんに手紙を渡した女の子。自分の気持ちをちゃんと伝えたんだ。」



ほう、と吐いたジョゼの息は白かった。



「うん。………偉いよね。本当に……。」



僕もそう返して……また、僅かな沈黙。


ジョゼは自らの手元、カップの中から立ち上る湯気を眺めながら……何かを言おうと思索しているらしい。


その唇が微かに閉じたり開いたりしていた。



「………で、でも。マルコもきっと大丈夫だよ。」



そして顔を上げては一段声の高さを上げて言う。


僕は彼女の言葉の意味がよく分からずに、数回瞬きを繰り返した。



「マルコもきっと……素敵な人が想って告白してくれるよ……絶対に。うん……。」


そう言いながらジョゼは僕の方へとずいと乗り出してくる。


「だって……マルコはこんなに優しくて素晴らしい人なんだもの……。」



ジョゼの表情は真剣だった。


僕はその心意を理解すると同時に……

ジョゼが素直な気持ちで、僕をとても良く思っていることを伝えてくれたことを嬉しく思う一方、自分の想いは全くと言って良いほど察せられてないことに少し、落胆した。



「そうだね……。うん、ありがとう。」



沈んでしまった気持ちを隠して、僕は微笑んだ。


塞いで見えていた僕の周りの空気がいくらか和らいで思えたのか、ジョゼはほっとした表情を描く。



「そうだよ。その通りだよ………。だから、自信持って……、」


彼女の言葉の語尾は小さくなっていった。


何故なら、僕がジョゼの頭を撫でたからだ。

………細くて柔らかな、グレーの髪の毛。撫でていると気持ちが安らかになる。



ジョゼは少し照れくさそうにしてそれを甘受していた。



こうしていると、僕は本当に彼女のことが好きなんだと再確認できる。


そしてその気持ちが今は、割と辛かった。



…………僕の複雑な気持ちが伝わってしまったのか…ジョゼはまた少し心配そうにしながら、こちらを伺っていた。



「もう……今日は寝ようか。」


曖昧に笑って、そう呼びかけた。



ジョゼはこっくりとひとつ頷く。



「うん、分かった。じゃあ火の番は先に私がやるね……。」


そう言う彼女に対して、いや僕が……と言いかけては口を噤む。


ジョゼが静かに首を横に振ったからだ。



「……マルコは先に休んでいて」


ね、と付け加えて彼女は僅かに首を傾げる。



「疲れていたり悩んでいるときは……食べて寝る…そういう当たり前のことをきちんとするのが、一番良いんだよ。」


そう言いながら、彼女は琺瑯引きのカップとやかんを片付け始めた。


僕はそれを手伝いながら……「うん……。でも、食べて寝て……それでもどうにもならないときは、どうすれば良いのかな。」と小さな声で尋ねる。



ジョゼは焚火の火加減を慎重に探っては、少し黙った。


それから顔を上げてこちらに向き直ると、「……そういうときは、誰かに話すと良いと思う。」少なくとも私は、そうだったから……と零す。



僕は目を少しだけ伏せて、「そっか……」とそれに応えた。



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