いつか見る空 | ナノ
「マルコ」


ジョゼの声で、僕はハッと我に返った。



二人の間には橙色の焚火が煌々と燃えている。

ジョゼはそれをつついて僅かに火を大きくしながら、僕に声をかけてきた。



「……………寒い?」


彼女の問い掛けに苦笑しながら「そりゃあね。」と答える。



――――――今現在、洞窟の外は激しく吹雪いていた。


二人が吐く息は白く、鋭い口笛のようなうなりを立てて吹きまく風は冷たい石壁をゆすぶり立てている。

風が小凪ぐと滅入るような静かさから、焚火の中でぱちりと薪がはぜる音がよく響いた。



雪山訓練は、予想よりも困難を呈していた。


何しろその日は朝から生憎の悪天候であり、視界は最悪に類するものだったからだ。



ふたつ目の目印、中継地点である洞窟に差し掛かったところで……今回ペアとなっていた僕とジョゼは、これ以上進むのは危険と判断して一晩、ここで過ごすことに決めた。



そして、今に至る。



――――――――過酷とも言えるこの雪山での訓練を、僕は正直に言えば…心待ちにしていたんだと思う。



その理由は勿論のこと、ペアとなった相手……今目の前にいる人物にある。



常々彼の兄であるジャンを含めて三人で行動することが多い中…今回は訓練とはいえ、多くの時間を二人で過ごすことができる。



そしてまた、常時の訓練よりも厳しさを増すこの雪山という環境……。

そんな困難を、二人で乗り越えていくことにかけ替えの無いなにかを僕は感じていた。


だから、いくら辺りが刃物で肌を撫でていくような厳しい寒さでも、ひどい疲労感に体中がばらばらになりそうな感覚に見舞われても、構わないと……

気にはならない、それ以上にジョゼと共に過ごせることが何よりなんだと一週間程前、ペアが決まった時よりずっと思っていたのだが……。


今、その期待と高揚が入り交じって膨らんでいた気持ちは、この雪の静けさのようにしんとして鳴りを潜めていた。



――――――――――頭の中には、数日前のジャンの台詞が繰り返し繰り返し過っては消えていく。



『そういえばあいつ昔に一回だけ、所謂ラブレターってやつ書いたことあった筈だぞ。』




焚火に照らされたジョゼの頬に落ち込む影は暗い。……何を考えているのだろう。


例のことを知る前までは、あんなにも心を通わせて…彼女に一番近しい友人は自分だとばかり思っていたのに、今はもうその心の内がよく分からなくなってしまっていた。



「マルコ」


再び、ジョゼが僕の名を呼ぶ。


小さく返事をした。



「…………疲れている?」



少し心配そうな声色に、……ああ僕は駄目な男だなあと思う。


勝手に一人で悩んで、大好きな人に気を遣わせてしまっている。



「…………別に、疲れているわけじゃないんだ。」


明るく元気に応えたつもりである。

なるべく自然に、精一杯に。


………でもジョゼは尚も懸念したような表情をしている。



二人の間には重たい沈黙が横たわっていた。



いや、いつも二人きりでいるときだってそんなに口数が多い方ではない僕らだけれど、今回のものはそれとは種類が違った。


窮屈で息苦しい。


…………そして、その原因を作っているのは他でもない自分なんだと思い当たっては遣るせなくて、軽く唇を噛んだ。




ふと。焚火を挟んで向かいに座っていたジョゼがゆっくり立ち上がった。


そのまま僕のことを眺める。


相変わらず、その顔には橙の炎がちらちらと影を作っていた。

それが元より彫りの深い顔立ちである彼女の表情をより険しく見せる。


……………だが、僕には分かる。

彼女は別に怒っているわけでも、機嫌が悪いわけでも無いんだ。


この面持ちは……少し……寂しがっている……?



ジョゼはそのままそっと足を踏み出し、焚火を迂回して僕のすぐ近くまで来た。


ブーツに凍り付いていた雪はもうすっかりとけて、靴先が僅かに湿るだけとなっている。



僕は彼女を見上げた。



伏せられた長いグレーの睫毛の間から、暗緑色の瞳がこちらをじっと見下ろしている。



ジョゼは、ゆっくりと僕の隣に腰を下ろした。


それから、両の手で僕の掌をそっと包む。



「何か、考えているの。」



ジョゼの手に、自分の体温が移っていくのを感じる。



こんな風に、どうにも形容できないこの気持ちも自然と伝わってくれれば良いのに。


でも、それは適わない。


ちゃんと口で、言葉で、目を見て言わなければ駄目なんだ。


それは分かっているし、そのつもりでいる。



…………けれど、今の僕にはそれをする勇気がない。その事実が、たまらなく悔しかった。



「それとも…………悩んでいる。」



ジョゼの声は淡々としていた。


質問をしている風でも言い切っているわけでもなく、ただ僕のことを心配して、思いやってはそこにいてくれた。



…………僕は、ジョゼの手を握り返した。



白くて細長くて……けれど、女性のものにしては少しだけ荒れてしまっている指。

…………努力をしてる証拠だ。


僕は彼女のそんなところが大好きだった。



「……………少し早いけれど、もう食べて休もうか。
明日も頑張らなくちゃいけないから………。」



ジョゼは僕の手からそっと掌を離した。



互いに分かち合っていた温もりが遠のき、徐々に凍てつく冷たさが指先から這い寄ってくる。


それを握って、今まで触れてくれていた彼女の柔らかさとか……低い体温を、思った。



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