「…………マルコ!!!」
いつも行動を共にしているジャンとジョゼが実家に帰ってしまい居ないので、一人で夕食を食べていたマルコの所に、思わぬ人物が息を切らせて訪れる。
「ジョゼ……?お前、実家に帰ってる筈じゃ」
「マルコ、ごめん…夕飯中に……でも、ちょっと。……来て」
訝しげにするマルコに構う事無く、ジョゼは彼の手を引いて強引に椅子から立たせる。
「え……?ちょっ、ジョゼ……!?」
突然の事に慌てた声を上げるマルコ。
しかしジョゼはそれに構う事無く、しっかりと手を握ったまま、何処かを目指して一直線に走り始める………。
*
「………ジョゼ!落ち着けって、一体何があったんだ。」
恐らくジョゼは……全速力で走っている。這々の体で慣れない道、それも真っ暗闇の中をついていくマルコは、彼女を落ち着かせる為に懸命に声をかけた。
「蛍が。」
ジョゼは真っ直ぐに前を見て走りながらぽつりと応える。
「……もう、トロスト区では随分蛍が減っちゃってて…多分。もしかしたら、次にここに帰って来れる時は見れないかも知れないんだ……。」
「そ、そうなんだ……?」
とりあえず相槌を打つマルコ。だが、全く持って今の状況の説明になっていないジョゼの言葉に首をひねるばかりである。
「………………。あのね。」
そこでようやく……ジョゼは走る速度を緩めてマルコの隣に並んだ。我に返ったらしい。その横顔は少々ばつが悪そうである。
「本当は……。今回、マルコも……一緒に家に来ない……?一緒に蛍見ない……、綺麗だから……とか、言って。誘いたかったんだ。」
………そしてとても恥ずかしそうに紡がれる言葉たち。ジョゼの頬には……走ったからではない、何か別の理由の朱色がじわりと差して行く。
「でも……別にマルコが蛍とか…興味無かったら迷惑じゃないか…とか。私に誘われても嬉しく無いんじゃないか…とか。色々ぐるぐる考えてたら、結局誘えなかった。」
ジョゼは、そう言いながらマルコと繋がった掌を少しの力をこめて握った。頬の朱色は今や耳にまで達している。
「だから……今回は仕方無いから。また今度って……もっと、勇気がついてから誘おうってそう決めて…。でも。蛍は、もう今回しか見れないし。それじゃやっぱり今誘わなきゃって…。あ、うん……えっと。そう。そんな感じ。」
非常にしどろもそろになりながらもジョゼはようやく言いたい事を言い終えたのか、息をひとつ吐いて口を噤んだ。
その頃には、ジョゼの頬の朱色はすっかりマルコの顔にも伝染していた。それを確かめる様にマルコは空いている方の掌でそっと自らの頬に触れる。
「私……自分から誘いを持ちかけるなんて初めてだから、どうすれば良いのかよく分からなくて……
ごめん。すごく、強引になっちゃった………。」
ジョゼは目を伏せている為に、マルコが自分と同じ位…いや、もしかしたらそれ以上に赤面している事には気付いていない。
「………折角君が私の家の近くにいるんだもの。一緒に見たかった。………すごく綺麗だから、蛍…。」
マルコはそんな彼女の事をそろりと盗み見る。……睫毛が長かった。青い闇の中、頭髪と同じ灰色のそれは淡く光っている様だった。
それを眺めながら、不器用で…いつだって一杯一杯なのは、自分だけではなかったのかもしれない…と、この時初めて気が付く。
………それと同時に少しだけ、期待してしまった。
………僕は、ジャン程では無いにしても……ジョゼの中で、特別な存在になりつつあるのかもしれない。
いや、きっとそうに違いない。彼女のこんな表情は、きっと僕しか知らない筈だから……。
「…………ジョゼ。」
未だに足取りの速いジョゼを引き止める様にマルコは自分の方にその掌を引く。落ち着きを取り戻しつつある彼女は大人しくそれに従った。
「少し、ゆっくり歩こう。……大丈夫だよ。そんなすぐには蛍はいなくならないから……」
ジョゼはこくりとひとつ頷き、歩く速度を落とす。そして、二人が並んで歩む速さは先程とは比べ物にならない程ゆっくりになった。
「………迷惑なんかじゃないよ。」
少しだけ…お互い口を噤んで歩んだ後、とても穏やかな気持ちでマルコは言う。
「すごく、嬉しかったから……。」
心から思う事を口にすれば、自然と繋がった手を握る力は強くなった。
それに気が付いたジョゼは暗闇の中でもはっきりと分かる程に頬の朱色を強め、握り返してくる。
…その反応はとてもこそばゆく、マルコの胸の内を色々なもので満たしていった。
「ジョゼはさ……自分に自信が無さ過ぎるんだよ。とくに対人関係において。」
これは自分にも充分言える事か…と苦笑しながらもマルコは言葉を続ける。
「大丈夫…。ジョゼが思っている以上に、皆はジョゼの事が好きだから。」
そして、僕も。……そう、僕が。きっと誰よりも。
「……………………。」
ジョゼは、マルコの言葉を終始無言で聞いていた。こちらを見つめる瞳には少しの信じられない、という様な感慨が込められている。
「そ、そうかなあ……。でも、ね。私は兄さんと比べて面白い話とかもできないし…すぐ黙って、しかも顔、怖いから…一緒にいる人に気まずい思いをさせちゃう…。」
ぽつぽつと零しながら、ジョゼは視線をマルコから地面へと落とした。
……マルコの発言をとても嬉しく思いながらも、それを受け入れる事ができないらしい。
「………こんな事言うのは…本当、君が初めてなんだけどね。兄さんは、ちょっと問題児だけれど…沢山笑って、笑わせる事ができる人だから…すごく色んな人に愛されて、大事に思われてる。」
何処かで渓流のさらさらという静かな響きが聞こえ始める。……沢が近いのだろう。
「私はね。それがとっても羨ましかった。………今でも、ちょっと羨ましい。
……………母さんも父さんも、兄さんの事を仕様が無いと言いつつも凄く好きな事を私…知っているから…。」
湿った匂いが濃厚になるのを感じながら、マルコは少しだけ意外だな…という気持ちを抱きながらジョゼの言葉に耳を傾ける。
彼女の中にも、他者を羨む気持ちがあったのか。…それも、他でもないジャンに対して。
「だから…今回、家に帰るのも…私だけが帰っても母さんや父さんはきっとガッカリするって思って…。
…………嫌だな、ごめんね。こんな話聞かせちゃって。」
ジョゼは本当に…心から申し訳無さそうに言って、唇を閉じた。
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