いつか見る空 | ナノ
(13巻限定版dvdネタ)



『いいから出て行け!このクソババア!!』



……………二階から、凄まじい怒号が聞こえた。



ジョゼは思わず激しく揺れた天井を見上げる。


この揺れ方は恐らくジャンが自室の扉を強い力で閉めた事に由来するのだろう。


いつか自分の兄は決して新しくは無いこの家の何処かを壊してしまうのでは無いかとジョゼはやや心配になった。



程なくして、軋む階段を踏みしめて溜め息を吐きながら母が降りてくる。右手にはオムレツが入ったフライパンを持ったままだ。



「………母さん。大丈夫………?」

ジョゼは気遣う様に声をかける。


だが、母はジョゼが心配する程気にもしていない様だ。「まったく、」だとかぶつぶつ言いながらもうひとつ溜め息を吐いている。


「あの、……」

これはあんたが食べちゃって、と目の前の皿にオムレツを盛りつてくる母親にジョゼは再び声をかけた。


相も変わらず無表情故にその真意は計り知れないが、恐らく気を揉んでいるのだろう。

母親は安心させる様に笑いかけると、「あんたは気にしなくて大丈夫よ」とジョゼの柔らかい髪を撫でてやった。



そして母が掌を離した時、またしても上の階より『クソッタレがー!!!』という雄叫びが聞こえてくる。


ジョゼは撫でられて乱れた髪を整えながら再び天井へと視線を移した。


「兄さんは、一体………」

そしてぽつりと呟く。………流石の彼女も心配、というよりもやや呆れた表情をしていた。


「さあねえ。何か一生懸命絵を描いてるらしいけれど、ちっとも見せてくれないのよ。」

減るもんじゃあるまいし、と母もまた呆れた様にする。


「そっか……。絵、か。兄さん描画師になりたいんだもんね。」

「大して上手くも無い癖によくそんなデカい口が効けるもんだよ」

「母さん………それ、兄さんに絶対言っちゃ駄目だよ……。」


ジョゼは息をほうと細く吐くと、今度は天井から窓の外へと視線を移動させる。


よく晴れた空の下、人々は忙しそうに往来し、如何にも穏やかな日常の一コマであった。



「ほら、ジョゼ。冷めないうちに食べちゃいなさい。」


ぼんやりとした表情を描くジョゼに母親はオムレツを薦めて微笑む。

ジョゼは首だけ動かして自分の母親を眺めるが、「ううん……兄さんを、待つよ。」と応えてから行儀よく姿勢を正した。



そんな彼女の様子を見て、母親は遂微笑ましくなって再び頭を撫でてやる。



………本当にこの子は、小さい時からずっとお兄さん子だよ。



「あんたは…午前中は、何してたんだい。」


そして何とはなしに穏やかな声で尋ねてみる。


朝から部屋に引きこもりっ放しだったのはジャンだけではない、ジョゼもであったのだ。



「…………勉強。」

だが、ジョゼの口から端的に返って来たのは実に面白みの無い答えだった。ひどくからかい甲斐のあるジャンとは大違いである。


「勉強って……、あんた。昨日もずっとしてたじゃない。そんなに好きなの。」

と尋ねると、ジョゼはまた変わらない無表情で「特に」と答えた。


「………じゃあ何でしてるのよ。遊べば良いじゃない。」


「遊ぶ友達いないし……。やる事も特にないから……。」


母親はここで大きく溜め息を吐いた。毎日放っとけば好き勝手遊んでいるジャンとは対照的に、ジョゼは些か真面目……と言うより消極的過ぎる。


「ジョゼ。………確かに私はあんたが女の子だからって言うんで、ジャンよりも口煩く育てて来たけれど……」

ジョゼの両肩にそっと手を置きながら母親は少々心配そうにする。


「もう少し自分の好きな事をやっても良いんだよ。」


「………………?」


母の言葉にジョゼは首を捻った。………好きなもの?私が………??



「………母さんの事は、好きだよ。」


しばらく考えた末にジョゼの口からまろび出た言葉。


………う、うん。凄い嬉しいけれどそういう事じゃないのよ、ジョゼ。



「ほら、昔に好きだったものとか思い出せない?そうだわ、お人形遊びとか好きだったじゃないの。」

「…………流石に10才過ぎてからやるのは抵抗があるなあ。」

「編み物とかは?女の子らしくて良い趣味だと思うわよ。」

「得意だけどそこまでのめり込むほどでは……。」

「じゃあピアノは」

「下手くそだよ」

「歌は」

「公害レベルに音痴だね」

「カードゲーム」

「やる相手が兄さんしかいない上に阿呆みたいに弱いよ」

「じゃあ何が得意なのよ………。」

「さあ。」


あまりにも実の無いやり取りに遂に母親はお手上げとばかりに額に手を当てる。

しかし、このままではジョゼの人生はあまりに退屈だろうともう一度考え込んでは腕を組んだ。



この子は………そつが無いし、勉強もよくできる。けれど何かが足りないのだ。

もうすぐジョゼは13才。大人の仲間入りを果たす年が近付いている。

それまでに、何か子供らしく打ち込める事のひとつやふたつは体験させてやりたいというのが母の望みだった。


「そうだジョゼ。兄さんと同じに、絵なんて描いてみたらどうかしら。」

「…………絵。」

「あからさまに興味無さそうにしないの。描いてみたら楽しいかもしれないわよ。」

「そうかな。」

「それにジャン坊とも共通の話ができるじゃないの。」


………ジャンの名前を出されて、ジョゼは考える様な仕草をする。


そして「それもそうかも………」と言って少しの納得をしたらしく、首を縦に振った。


ここ最近、ジャンは絵を描く事に夢中でほとんどジョゼに構う事をしていない。彼の名前を出せば、丁度寂しい思いをしていたジョゼが何かしらの反応を示すと母は踏んだのだが、その通りであった。



「私、絵……描いてみるよ。」

非常に分かりにくくはあるが、頬を微かに染めて何処か周りの空気を晴れやかにさせながら、ジョゼが決心した様に言う。


………本当に、本当にこの子はジャンの事が大好きなんだから………


彼女の様子を眺めながら、母親は呆れた様な、微笑ましい様な、少し心配の様な、実に複雑な気持ちになりながらそっと微笑んだ。



そして、未だに上から降りてくる気配の無いジャンをもう一喝して来ようか、と再び階段へと足を伸ばした。


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