(懲りずに時間軸は13巻DVD)
「おぉ………」
トロスト区に続く石門をくぐった途端、ジョゼの唇からは溜め息に似た感嘆の声が漏れる。
分かりにくいながらもその頬も紅潮しており、久々の故郷への帰還に興奮しているのが見て取れた。
「すごい……全然変わってないよ…。小さい時から何にも……」
そう言って辺りをキョロキョロと見回すジョゼの事を、両隣を歩いていたマルコとアルミンはなんとなく微笑ましい気持ちになって眺める。
いつも仏頂面の彼女には珍しく、まるで小さな子供に戻ってしまった様な…そんな心持ちがしたのだ。
「ねえ、ジャンとジョゼの家はどこらへんなの?」
アルミンの問い掛けに、ジョゼは頬を紅潮させたままで快く答える。
「うん…えっとね、すぐ近くだよ。そこの道をずうっと行って……「はあ?何処だっていいだろ」
しかし…一歩前を歩く兄から発せられた不機嫌そうな声にその発言は遮られてしまう。
……ジョゼもまた不穏な空気を察してか、思わず口を噤んだ。
マルコは、それを不思議そうに思いながらも…「実家には帰るんだろ、トーマスは帰るって言ってたけど」と兄妹に質問を重ねた。
「きっと、お母さんも喜ぶよ。」
アルミンの発言に、ジョゼも小さく頷く。
………心配性の母さんは、何よりも向こう見ずな性格の兄さんの事を心配していたから………
「うっせえぞお前等!良い加減黙れ!!」
しかし…どういう訳だかジャンの突然の癇癪。
いつもの事ながら理由の分からない兄の強い言葉に、ジョゼは肩をぴくりと震わせた。
「え……兄さん。家には、帰らないの…?」
そして、恐る恐ると言った体でジャンへと尋ねる。
ジャンは…妹の事を横目で一瞥した後、「……お前一人で帰れよ」と冷たく言い放った。
その言葉にジョゼは目を数回瞬かせた後、「でも兄さん……母さんも父さんも、きっと帰ったら喜ぶと…」と言いかける。
しかし…その言葉は、兄に鋭く睨まれてしまった事が原因で徐々に小さくなり、最後には消えてしまった。
しょんぼりと項垂れるジョゼの事を、マルコとアルミンは何だか放っておけなくて、マルコは頭を、アルミンを肩を軽く叩いてやる。
ジョゼはそれに小さく「…ありがとう。」と応えてから、今一度兄を説得するため口を開こうとするが…前を歩くジャンの姿があんまりに頑なだった為にまたも口を噤んで下を向いてしまう。
………結局、それからは前方を歩くサシャとコニーがいつもと変わらず楽しそうに会話を交わすだけで…後方のジャン、ジョゼ、アルミン、マルコは終始無言でトロスト区の街を歩く事となった。
*
「兄さん…ほんとに、家には帰らないつもりなの。」
ある日の夕飯時……今や、頭はサシャとの料理勝負の事で一杯のジャンにジョゼが声をかけた。
それどころでは無かったジャンは目一杯舌打ちをしてみせた後、「帰らねえって言ってるだろ」と険悪な顔で言ってみせる。
「でも…家を出る時、母さんはこっちに来る事があったら顔を見せる様にって……。」
やや眉をしかめてそう言うジョゼの表情は本人にその気は無いのだろうが、ジャンに負けず劣らず凶悪なものとなっていた。
端から見たら兄妹喧嘩の火蓋が切って落とされそうな雰囲気である。
「だから!お前一人で帰れって言ってんだろ!!」
「………兄さんも一緒に帰ろう。私一人で帰るより、きっとみんな喜ぶ。」
ジャンの怒鳴り声にも臆さず、ジョゼは珍しく食い下がった。
そんな妹の事をねめつけて、ジャンは苛々とした感情を全面に押し出す。
周りは…凶相兄妹の喧嘩(?)に少々おろおろとし出すが…やがてジョゼは大きく溜め息を吐いた。
「まだ…ここでの訓練が終るまでに時間はあるから…それまで、ゆっくり考えてみて…。少なくとも私は…帰るなら兄さんと一緒が良い……。」
それだけ言うと、ジョゼはそろりと席を立って食堂の出入口へと向かってしまう。
「おい…ジョゼ。まだお前の食事は残って……」
マルコがそんな彼女に声をかけるが、それは耳に届いていなかったらしい。
見るからに項垂れながらジョゼは…扉をぱたん、と閉めて外へと出て行ってしまった。
「………………。」
マルコは固く閉ざされた扉を困った様に眺めた後、ジャンの事をじっとりとした目で見つめる。
「なんだよ……。」
その視線を嫌そうにしながらジャンが応えるので、マルコは「別に……。自分が一番分かってるんじゃないのか、」と少々冷たい声で言い放った。
それからマルコは残りの食事をさっさと飲み込むと、ジョゼに続いて席を立って出入口へと向かう。
「おい…。お前、何処に行く。」
背中に呼びかけられたジャンの声を軽く無視しながら、マルコもまた先程のジョゼと同じ様に、黙って扉の向こうへと姿を消して行った。
*
「ジョゼ。」
しょんぼりと廊下を歩いていたジョゼの背中に、聞き慣れた声がかけられる。
ゆっくりと振り向いては、ジョゼはマルコの元へとよろよろ歩み寄った。
そして自分のものより大きな彼の掌を握りしめ、本日何度目になるか、大きな溜め息を吐く。
マルコはジョゼのそんな仕草に苦笑した後、空いている方の手で柔らかな髪を撫でてやった。彼女は目を細めてそれを甘受する。
「………そんなに……気を落とすなって。」
撫でてやりながらそう零すと、ジョゼは「うん……。」と返事をするが、その声色は未だ暗いもののままだった。
…………そんなに、ジャンと一緒に帰りたかったのか。
マルコの胸の内に、少しの鈍い痛みが走る。
……しかしその後、(いや、当たり前か。兄妹なんだし。)と思い当たっては首を小さく振って、芽生えてしまった気持ちを忘れようとした。
「まだ……一緒に帰れないと、決まった訳じゃないさ。」
そうして無理に明るい声でジョゼへと告げる。彼女の事も、自分の事も励ます様に。
「そうだね……。でも、兄さんは頑固だから…。」
しかしジョゼの表情は中々晴れなかった。……それを見る度に、マルコの胸の内には小さな痛みが連続して湧き起こる。
「そんなに……ジャンと、一緒が良い?」
そして遂にはそれを口に出してしまった。………しまったと思った時にはもう遅く、ジョゼが不思議そうな顔をしてマルコの瞳を覗き込んでいた。
「い、いや……ごめん。何でも無いんだ……。」
慌てて弁明するマルコ。
……何故だ。何故今なのだろう。……今までだって…ジョゼはいつだってジャンと一緒にいたがっていたじゃないか……。
そう。………いつだって………。
「………………。」
「………………。」
少しの沈黙が横たわった後、ジョゼはゆっくりと瞬きをした。そして遠慮がちに口を開く。
「あの…………。蛍がね。今頃なら…丁度見れるんだ。」
「え………?」
何故か突然の蛍の話題。マルコはよく意味が分からなくなって首をひねった。
「私が元気無い時に、兄さんが蛍を見せてくれた事があって……すごく嬉しかったから、また見たいなって……。折角。家の近くまで帰って来れたから……また、一緒にって……」
ジョゼはしどろもどろに言葉を紡ぐ。
マルコはそれを聞き取りながら、体の内が重くなっていくのを感じていた。
…………本当。過ごした期間の長さが違い過ぎる。
彼等の故郷にいる事で、それをまざまざと思い知らされる気持ちだ。
血の繋がった兄妹に焼きもちなんて……変かもしれない。でも……確かに僕は、今。
「でも……それも駄目かもね。兄さんはどうしても家に帰りたく無いみたいだし……」
ジョゼは、マルコのそんな胸の内には気が回らず、目下自分の悩みで精一杯の様だ。
そんな寂しげな彼女の表情を眺めては……マルコは、『なんなら、僕が一緒に行こうか』という言葉をもう少しで言ってしまいそうになる。………言ってしまいたかった。
だが、それは喉に引っ掛かった小骨の様に寸での所で留まり、中々吐き出されてくれない。
…………ジョゼが一緒に蛍を見たいと思っているのは…ジャンで、僕じゃない。
この事実が、彼の開きかけた口を頑なに閉じてしまう。辺りには、またしても沈黙が転がった。
マルコは………再び、ジョゼの髪をそっと撫でる。それから、何でも無い様に、笑った。
「僕からも……ジャンに、少しだけ言ってみるよ。帰ってみたらどうかって。……だから、あんまり落ち込むなって。」
ジョゼは目を伏せてマルコの言葉に耳を澄ます。それから、こくりとひとつだけ頷いた。
「大丈夫。ジャンは何だかんだ言ってジョゼの事が大切だから、きっと聞き入れてくれるよ。」
仕上げとばかりにぽんぽん、と軽く頭を叩いてやれば、ジョゼの表情にはようやくちょっとした明るさが差し込む。
「うん……。だと、良いな。」
そう言って彼女は、ほんの少し、笑った。
「マルコに相談して…聞いてもらえて良かったよ。ちょっと、楽になった。」
ありがとう、と礼を述べて…ジョゼは繋がったままの手をきゅっと握ってくる。
それに応える様に握り返しながらも…マルコの胸中は複雑だった。
しかし、気持ちを隠す様に、顔にはいつもと変わらない笑顔を浮かべた。
胸にのしかかる痛みは、更に重さを増して行く。
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