朝、食堂への道をマルコと並んで歩いていると……女子寮からの道と交わるところにぽつりと、見覚えのあるシルエットが立っていた。
それは、オレ達が近付くのを気配で感じ取ったのかゆっくりとこちらを向いて、よろよろと近付いてくる。
その顔が少しだけ泣きそうになっているので……ああ、これは怖い夢でも見たんだろうな……となんとなく予想がついて、胸元に縋られであろうことから腕を軽く広げて彼女を待ち構えた。
「兄さん………」
ジョゼは弱々しい声でオレを呼びながらこちらに近付いてくる。
そして、目当ての人物が自分を受け入れてくれる姿勢を取っていたのが嬉しかったのか、その表情を少しだけ和らげた。
(……………………?)
しかし……何故か、彼女はオレとマルコの脇をすり抜けてそのまま通り過ぎてしまう。
(あれ……………。)
当然拍子抜けを食らってしまい、オレは思わず数回瞬きを繰り返した。
マルコは隣で少しだけ欠伸を噛み殺しながら、どうした、と不思議そうにする。
「兄さん………」
背後からは、再びジョゼがオレを呼ぶ声。何事かと思って振り返れば、何故かベルトルトの両掌をしっかり掴んでいる彼女の姿が。
………………………?
ベルトルトは彼女のことをちら、と見下ろしながら仕様が無いな…という表情をしている。
そして掌を離すように促した後に、ゆっくりと腕を広げた。
迷い無くそこにそっと縋るジョゼ。
…………………………!?
いやいやいやいや。お前が縋るのはそこじゃない。こっちだこっち。
呆然とその光景を眺めていると、マルコが「おい、どうしたんだ。」と再び声をかけてくる。
「いや………、だって、あのふたり、朝っぱらから何してるんだよ」
そう尋ねれば、マルコはきょとりとしてこちらを見つめ返してきた。
「いや、だから……なんであの二人が仲睦まじげにじゃれ合ってるんだ、って話だ。」
話が伝わらないようなのでもう一度説明し直すが、マルコは余計に訳が分からないと言った顔をする。
その間も、ベルトルトとジョゼの二人は何故か親密そうな雰囲気を形作っている。
なんだ……お前、あんなにベルトルトの事苦手にしていたじゃないか………
「あの二人が異様に仲が良いのは前からだろ……」
何を今更…と言ったようにマルコは返答する。
「ま、まあ……確かに仲は悪く無かったが、あれはちょっとやり過ぎじゃねえかよ、ちょ、おい。」
その様を尚も眺めていると、ベルトルトはジョゼを受け入れるように軽く抱擁したあとにその頭を数回ぽんぽん、と軽く叩く。
なんだそれ。なんだそれ?恋人気取りかおい。
「…………なにムキになってるんだよ。お前、今まで一度だってジョゼを気にかけたことなんて無かったじゃないか。」
マルコの言葉に、オレの頭の中は更に混乱を強いられることになる。
「は?オレがいつジョゼのことを気にかけなかったって??」
何が何だかよく分からずにマルコに詰め寄ると、その脇を一通りいちゃつき終えたジョゼとベルトルトがすり抜けて行く。
マルコはオレのことを無視しつつ、二人に「おはよう」と声をかけた。
「…………………おはよう。」
相変わらず、ベルトルトは言葉少なだった。
そしてその高身長の影に隠れるようにしているジョゼは、軽く一礼をしてくるのみだった。
……………二人は、手を繋いでオレ達から遠ざかって行く。
「ど、どういうことだ………?」
オレの呟きに、マルコは良い加減うんざりした様子で「あの兄妹は前からあんなもんだろ」と言いながら先に進むようにせっついてくる。
「はあ、兄妹い?」
促されるままに歩き出しながらその言葉を鸚鵡返すと、マルコは「……うん」と相槌を打つ。
「誰と誰が?」
と尋ねれば、奴は何でも無いように「ジョゼとベルトルトが。」と答える。
「ああ!?ちょっと待てよ、いつあいつらが兄妹になったよ。ジョゼはオレの妹だろうが。」
会話が噛み合ないことにもどかしさを感じながら多少ムキになって反抗すると、マルコは何かを考え込むように首をひねった。
「ジャン……お前、寝ぼけてるみたいだな。」
それから実に訝しそうに呟く。
「まあ、朝食を食べれば少しは目も覚めるだろうから………」
そのままぶつぶつと呟いては歩を速めてしまう。
オレはマルコについて行きながら様々な疑問を投げ掛け続けるが、それはもう取り合ってもらうことは無かった。
*
「兄さん、お茶でも飲む?」
その日の訓練終了後、皆思い思いの時間を過ごす中………良かったら、淹れるよ。とジョゼが言う。
…………だが、兄さんと呼びかけられながら、答えるのはオレでは無い。
「いや……いいよ。」
食堂の隅の方、いつもの如く存在感が失せた状態で本を読んでいたベルトルトがそれに返す。
「そっか……。」
ジョゼもまた、短く応えた。
「………………………。」
「………………………。」
しばし、二人はそのまま口を閉ざす。
やがてベルトルトが、着席している自分に対して立ったままのジョゼの掌をそっと握った。
彼女は何だろう、と言うようにそれを見下ろしている。
「隣、おいで。」
ベルトルトはそれだけ言って、座っていた椅子からひとつずれ、今まで自分がいたところにジョゼを導く。
大人しく従いながら、彼女は僅かに唇の端を持ち上げて嬉しそうにした。
そのこそばゆい仕草に、胃の中に至極重たいものが落ちてくる気持ちになる。
「………兄さん、その本面白い………?」
隣に座って少し落ち着いたところで、ジョゼが小さな声で尋ねている。
………だから、兄さんはそれじゃないってば。おい。
「いや…………どうだろうね。」
ベルトルトのどっちつかずの反応に、彼女はそっか…と言いながら本を覗き込む。
…………距離が近い。非常に近い。実に腹立たしい。
しばらく、似ても似つかない二人は同じ本をじっと眺めていた。
数ページほど読み進めた辺りで、ベルトルトがおもむろにジョゼの頭を撫でる。
少し彼女は驚いたようにしたが……やがてまた、とても嬉しそうなあの表情。
そして何でも無かったのかの様に二人は寄り添ってひとつの本を読んで行く。
「なんだあ?あれ。」
思わず、我慢できなくなって声を漏らす。
隣に座っていたマルコはまたか……とでも言いたげなうんざりとした表情をした。
「あの距離感ねえよ。………なあ。恋人気取りなのかよ、なあ。」
「だから恋人じゃなくって兄妹だったら。」
「もっとねえよ!!!」
叫びながらオレは頭を抱えた。
…………おかしい。どういう訳か、今朝から……周りの共通認識ではベルトルトとジョゼが兄妹ということになっている。
マルコだけでなく、他の連中に聞いても皆一様にそう言うし……何より、ジョゼが兄さんと呼ぶのは今現在、ベルトルトだけだ。
そして大問題なのが……自分がジョゼに毛程の興味も持たれていないことである。
マルコにそれを言えば、「当たり前だろ。お前だって毛程も興味を持っていなかったじゃないか」と一蹴されてしまう。
…………いや?オレは妹であるジョゼを今日まで懇切丁寧に気にかけてきたつもりなんだが………
……………………何もかもがおかしい。まるで悪夢を見ているような気分になる。
オレが頭を悩ましている今も、ベルトルトとジョゼは親密そうな空気を形作っては視線の先にいた。
そして……ふと一瞬、あまりにも凝視し続けていたからだろうか……ジョゼと目が合う。
ほんの少しの間オレ達は見つめ合うが、やがてジョゼは再び本へと視線を落としてしまう。
……………なんの興味も感じられない。まるで、他人の扱いだ。
彼女のオレに対する態度と、ベルトルトへの接し方の差に……先程から胃の中は重たくなるばかりだ。
もはや二人の関係について毒吐く元気も無くなったオレは……ただ不機嫌に、黙り込むしか無かった。
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