その日の朝は、何故だか気が昂って早く起きてしまった。
いつもは這々の体でベッドから起き上がるオレにとって、これは大変珍しい事である。
......そして、今の時間は勿論誰も起きていないので.....とりあえず暇だ。
(散歩でもするか...)
散歩をしても面白い事がある訳ないのは分かり切っているのだが、ここにいるよりはマシだろう。
玄関に回るのが面倒だったので、寝室の窓から直接、早朝の光を大いに吸った地面に着地する。
「ああ、コニーだ。」
.......しかし、そこには何故か怖い顔がいた。
「朝からオレの眼前に現れるなよ....寿命が縮む」
「ひどい....」
ジョゼは少々傷付いた素振りを見せるが、流石に慣れっこの様ですぐにいつもの鉄面皮に戻った。
「まあ...それはさておき、お前...なんでここにいるんだよ」
こいつは朝が非常に弱い筈だ。というのも、いつも半分眠った状態でミカサに引き摺られる様に...ひどい時は担がれる様にして食堂に入ってくる所をよく目撃するからである。
よって、こんな時間に起きているのはかなり不自然なのだ。まあオレも人の事は言えないが。
「.......昨日、夕方から寝ちゃって....気付いたら朝だった....」
「夕食で見当たらなかったのはその所為か」
オレがそう言うと同時に奴の腹がもの悲しげな音を奏でた。要は寝過ぎと腹の減り過ぎで目が覚めてしまったらしい。
「コニーは?」
オレを見下ろしながらジョゼが尋ねる。半端の無い威圧感に襲われるが....長い付き合いの中で、そこまで心臓が縮み上がらなくなった。まあ、中身はへっぽこ野郎だと分かっているし。
「オレは.....よく分からねえが、何か気が昂っててよ....」
首を傾げながらそう返す。ジョゼも一緒に少し首を傾げて考える仕草をした後...「ああ」と小さく漏らした。
「コニー、今日....何の日か知ってる?」
オレの手を引いてジョゼがゆっくりと、春らしい滲んだ光の中を歩み出す。予想していたよりも温かな掌に気持ちが安堵した。
「さあ、.....あ、夕食がトマトのスープの日か」
「違うよ。今日はいつもと同じ芋のスープだよ」
「雪山訓練の日?」
「もう春だから雪はちょっとしか無いよ、コニー」
「.....技巧の試験の日か?いや違うよな。それは来週だった筈...」
「それは当たり」
「えっ」
ジョゼがゆっくりとこちらを見下ろしてくる。...再び。
「本当に分からない...?」
「な、なんだよ....怖い顔して....。怒るなよ」
「別に怒ってないけど....」
「ああ、元からそういう顔だもんな」
「その通り」
「開き直ってんなー」
ジョゼはふむ、と一息置いた後、「今日は君の誕生日だよ」と事も無げに告げてみせた。
「えー....」
「何その反応」
「お前なんでオレの誕生日知ってんだよ。ストーカーか」
「偶々私たちと誕生日が近いから覚えてただけだよ....。それよりも自分の誕生日を忘れていたコニーの方がえー...という感じだと思う。」
オレはジョゼの向こう脛を軽く蹴飛ばしてから「はー...そっか、オレの誕生日だったか....」と呟いた。
「でもまあ誕生日が来たからと言ってどうという事はないよな...。年が変わるだけだし。」
「そんな事ないよ。周りからしたら大事な人が生まれて来てくれた日だから...大切なものだと思う。」
「そういうもんかねえ...。特に誰かに大事にされても無えからよく分かんねえよ」
「......コニーは愛されているよ。」
「はあ?誰から」
「皆から」
「ねえよ」
「少なくとも私よりは」
「あ、それはあるな」
「でしょう?」
「相変わらず開き直ってんなー」
ジョゼは少し口を噤んで、視線を進行方向へと向けた。オレもそれに倣って前を見る。
.......今朝は近くの山にうっすらと雲がかかって、ふわりとした軽い暖かさが漂う日和だった。楠の葉にもふわふわと柔い風が触れて行く。
心地良い眺めに、成る程、確かに早起きして三文位は得したかもしれない...と考えた。
「.....とりあえず、おめでとう。」
ジョゼが前を向いたままぽつりと零す。
「は?」
咄嗟に頓狂な声を返すと、ジョゼは視線をこちらに戻した。
「だから、お誕生日おめでとう。」
じっと見下ろしてくる瞳は鬼神のそれだったが、奴にとっては精一杯の祝辞らしい。それは握られた掌に少しだけ力がこもった事から分かった。
.....というかオレ達手繋いだままだったのか。
何となくそのままでいたが...急に恥ずかしくなって来て、掌を離す様に目で訴えるが、生憎それは伝わる事は無かった。
「お...おう、ありがとう。」
仕方が無いのでそのまま礼を述べる。.....なんだ。滅茶苦茶照れ臭いんだが。
ジョゼはオレの反応に何故か....驚いた様に目を見開いた後、口から細く息を吐いた。
「コニー....嬉しかった?」
そして、少々不安げに尋ねてくる。
「?....何が。」
「おめでとうって言われて、嬉しかった...?」
「.............そりゃあ.......。」
またしても照れ臭くなって奴から目を逸らしながら答える。
オレの返答にジョゼは「....そっか」と小さく漏らした。
「そっか....。」
もう一度同じ言葉を繰り返す。その時の奴は確かに笑っていた。....それは、オレにもよく分かった。
(...意外と表情豊かなのな)
「.....コニーが嬉しいって言ってくれるなら....来年も、おめでとうって言うよ.....。」
ジョゼは非常に機嫌が良くなった様だ。少々歩く速度が上がっている。
......変な奴だ。これ位の事でこんなに喜ぶものなのか?
「それにコニーはきっとまた自分の誕生日を忘れちゃうと思うから....ちゃんと教えてあげないと」
「だから誕生日くらい忘れたって良いじゃねーか」
「駄目だよ。自分が生まれた日なんだから...ご両親の為にも覚えておいてあげなきゃ」
「ごりょうしんだあ?あいつ等はオレの事なんか気にも留めてねえっての」
「そんな事ないよ。」
「何でそう言い切れる」
「何でも。」
「.......ガキの言い訳かよ」
「なんとでも言いなさい。」
ジョゼはオレの手をようやく離して、そのまま頭を撫でて来た。
何かと思ってそれを振り払うと、奴は「.....すぐに分かるよ。」と言ってから微かに目を細めた。
.......それを見て....オレは、ジョゼは意外と良い母親になるんじゃねえかな...と考えた。
若しくは、これの子供になる奴は幸せだな...と。
まあ、問題は相手がいないって事なんだが。
.....もうジャンが相手で良いんじゃねえか。この兄妹の仲の良さは異常だからな.....
――――――
そして、その日の夕方オレ宛に封書が来た。
随分と封筒が膨らんでおり、沢山の手紙が内包されている事が分かる。
......案の定文面にはどうでも良い話が小煩く、くどくどと書き連ねられていた。
まあでもその手紙が嬉しくない訳はなく......
成る程なあ.....。確かにすぐ分かったよ.....ジョゼ。
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