その日の夜は、何故か気が昂って眠れなかった。
部屋の中には月光が斜めに降り注いでいる。ベッドの中にいる事すら苦痛になってきたオレは起き上がり....窓の傍まで来て、外を眺めた。
『こんばんは、コニー』
だが.....そこには何故か怖い顔がいた。
.......こんな所でこいつ、何してんだ?
訝しげに思いながら窓を開く。
ジョゼは「やあ」と手をひらひらとさせて挨拶をしてくる。相変わらず間抜けな仕草に...何と言うか、気が抜けた。
「お前....何してるんだよ。勝手に出歩かない様にってリヴァイ兵長に言われてるだろ」
「うん.....。言われたね。」
「いや、言われたね。じゃなくて。オレ達は監視されてるんだぞ?」
「でも、室内から堂々と君たちが寝ているところにお邪魔するのも考えものでしょう?」
「は.....?」
右半分を月光に照らされたジョゼは顔の陰影がより濃く出ていて....凶相に、拍車がかかっていた。
いやいやいや、それ以上に...こいつ、今なんて.....
「お前...もしや、....夜這いかっ!」
「コニー....夜這いの意味知ってる?」
「知らん。前にライナーが言ってるのを聞いただけだ。」
「そう....。夜這いはね、今晩はの同義語の様なものだよ。今度使ってみてごらん。」
「そうだったのか!お前って変な所で物知りだよな!!」
「いやあそれほどでも」
ジョゼがほんの少し笑う。
オレは....訓練兵の三年間でジョゼの表情の変化がほぼ分かる様になっていた。怖い顔も慣れてしまえばどうという事はない。
「で、もう一度聞くけど何でこんなところ来たんだ。そもそも窓だってオレが起きてなけりゃ開かなかったんだぞ?」
「ん.....コニーはきっと起きてるって思ったから.....」
オレ達の目線は室内に床の高さがある分....珍しく同じ位置だった。
しっかりと合わさった瞳が何かを訴えているのが伝わってくる。
「コニー....。今日が何の日だか、分かる?」
ゆっくりとジョゼの口から言葉が紡がれた。
オレは....首をひねるしか無い。何の日って言われてもなあ....
「やっぱり忘れてる....」
ジョゼは少し呆れた様な声を漏らしてから...オレの頭をそっと撫でた。.....よく分からんが恥ずかしいのでその手を払いのける。
「今日は君の誕生日だったんだよ、コニー」
奴は払われた手をじっと見つめながら言う。その言葉にオレはハッとした。
「昼間は忙しくて言う事ができなかったけど...間に合って良かった。」
確か.....いつか、そうだ、一年前の同じ日に......
「お誕生日おめでとう、コニー。」
ジョゼが優しく目を細めながら、もう一度オレの頭を撫でた。
....今度は払いのける事は無く、それを受け入れる。
「コニー、嬉しかった?」
頭にあった手が頬へとおりてきた。やはりジョゼの声は少しの不安が混ざっている。
「.......ああ。」
目を閉じてそれに答えた。掌の温もりが少し冷たい夜風の中、心地良い。
「そっか。」
ジョゼがそっと手を離す。確かめる様に、もう一度「......そっか。」と繰り返しながら。
「それじゃあ来年も君におめでとうって言いにくるね。」
ジョゼの言葉に....オレは窓枠に体重をかけ、目を伏せた。
「どっちも来年まで生きれる保証は全く無えじゃないか....」
そしてポツリと呟いた。
「言いにくるから。」
だがジョゼはそれを打ち消す様に静かに...けれど、力強く言う。
「.......くるからね。」
オレの手を取って、ゆっくりと握りながら再び言った。
「だから、大丈夫」
ジョゼは柔らかく笑っていた。オレも何だか安心して....少しだけ、笑った。笑うのなんてほんと.....何日ぶりだろうか。
そして....一年前と同じ様に、ああ、こいつは良い母親になるな、と思った。
問題なのは、相手がいない......
いない......
「あのさ.....」
奴の掌を握り返しながら口を開く。
「今からオレが聞く事、嫌なら答えなくて良い....んだけど、」
オレは一体何を聞こうとしてる?....やめとけ。ジョゼの古傷を抉るつもりか....
「お前とマルコってさ.....付き合ってたんだよな.....?」
..........その言葉をジョゼは無表情で聞いていた。
少しして、目を伏せ....息を吐いた。
「ううん。」
答えは、否だった。
少しだけ....ほっとした。お互い好き合っている事はなんとなくオレも分かっていたから....思いが通じる前ならまだ傷も浅い筈だと.....
「でも....マルコには好きと言ってもらっていて....あとは、私が好きっていうだけだった。」
しかし.....ジョゼがぽつぽつと声を連ねる。
「なんでもっと早くに言ってあげれなかったんだろう.....」
その言葉を吐き出した後....ジョゼは黙った。
長い沈黙が二人の間に下りてくる。オレは....この質問をした事を心底後悔していた。
そうか......こいつには、もう....相手が本当にいないんだ.....。
「コニー」
ふと、ジョゼがオレの名を呼んだ。
握られっ放しだった掌にまた力が籠る。
「私は約束は絶対に守るよ」
そう言うジョゼの瞳の奥には...光が炎の様に、微かに燃えていた。
「約束も守れず死んでしまう人間にだけはなりたくない」
手を握る力が痛い程に強くなる。
「だから来年も絶対にコニーにおめでとうって言う。その時に君が嬉しいってまた言ってくれたら、再来年も。」
掌の力がふっと弱まった。離された手がぶらりと宙を舞う。
ジョゼはそっと窓から離れて、あの時と同じ様に微かに目を細めた。
「待っててね」
それだけ言って、ジョゼは背中を向けて闇の中へと消えて行く。
オレはただただ呆然とそれを見送るしか無い。
「.....待っててね、か.....。」
しばらくしてから、ぽつりと呟いた。
不思議だよな....。
もうオレにはほとんど何も残っちゃいないと考えていたけれど...たったひとつの約束で、何となくだけれど、来年の誕生日まで生きていたいな、と思ってしまった。
ジョゼもきっと同じ気持ちなんだろう。この約束によって、オレ達二人共が救われてるんだ。
「ジョゼ....。オレはお前の事が結構、好きだよ。」
誰に言うでもなく零す。あれの兄貴が起きていたら大変な事になっていただろう。
幸せになって欲しかったのになあ.....
あいつの子供はきっと同じ様に怖い顔をしているだろうに。
もう、見る事は適わない。
ジョゼは....あらゆる面で不器用でくそ真面目過ぎるから.....一生、あれの事を想って.....
ああ、不器用でくそ真面目はマルコもか。.....実は似たもの同士だったんだな、お前等....。
オレは先程握られた掌へと視線を落とす。奴がほんの数秒前までこれに触れていたかの様に、感覚は残っていた。
......ほんと、悲しい事ばかりだ。
だが、オレにも、お前にも....周りに下らないと一蹴されるだろうが....ひとつの約束がある。
頑張ろうな、ジョゼ。
.........今度は、声には出さなかった。
散々顔が怖い顔が怖いと言っておいて今更なんだと思うかもしれねえが.....
オレは、お前と友達になれて良かったよ。
なあ、ジョゼ.......。
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