......目を覚ますと、真っ白い天井が目に入ってきた。
(.........医務室か。)
それを理解した瞬間......額をすぱーんと何かにはたかれた。
瞼が開くぱちりという音が聞こえたのかと言う位素早い反応である。
どうせ兄の仕業だろうとその方向へ視線を向けると....何と驚いた事にマルコだった。
「.......何か僕に言う事は」
怖い顔でそう言われてしまったので、「ええと、何で私が風邪だと知ってたの」と尋ねると「質問をしているのは僕だ」との言葉と共に今度は手刀が振って来たので寸での所で避ける。危なっ
「今日お前が見当たらねえからミカサにどうしたんだって聞いたんだよ」
後ろで椅子に腰掛けていたジャンが答える。
「そうしたら『知らない。風邪なんか引いてない。断じて引いていない。』と...」
マルコがそれを引き継いだ。ジョゼは頭を抱えた。....あの子、嘘へったくそやなあ...
「確信を持って様子を見に来たら案の定これだ...。おい、何で口止めなんてアホな真似した」
.....非常に機嫌が悪い声だ。
ジョゼは遂々口ごもり、寝返りを打って兄と親友に背を向けようとするが、それはマルコにしっかりと肩を抑えられていたので適わなかった。
....そしてこちらを覗き込む顔は彼には珍しく怒っていた。...こわいなあ。自分の顔程じゃないけれど。
「だって...私の風邪なんて些細な事だし...きっと今日寝てたら治るから、わざわざ知らせる必要も無いかなあって...」
心配させちゃ悪いし....と、消え入りそうな声で付け加えると「誰もお前の心配なんかしねえよ」とあんまりな返答が聞こえた。
「つーか何も知らされずに突然休まれる方が心配なんだよ!どれだけ気を揉んだか分かってんのか!?」
「....一日で治る筈無いしね...。さっき測らせてもらったけど40度近く熱あるよ」
二人の男性に睨む様に見下ろされて、ジョゼは朦朧とした意識の中でやらかしてしまったなあ...と反省していた。
「これだけ心配させたんだから...罰として大人しく看病されなさい。」
マルコに低い声で言われたので、元より抵抗する気力も無いままに「どうぞよろしくお願いします...」と応える。
その返答に満足したのか、マルコとその向こうに見える兄の表情が少し和らいだ。
.....まさかここまで二人が血色を変えるとは....びっくりした。
でも、.....
「....ありがとう」
小さな呟きは何かを話しているジャンとマルコの耳には届いていない。
少しずつ霞掛かる視界の中で、大好きな二人の姿だけは何故かはっきり見えた。
ジョゼの瞳の中に映り込んでいた白い天井が波紋の様に揺らいで、ゆっくりと暗くなる。
一度瞼を閉じてしまうと、すとん...と急速に意識は遠ざかっていってしまった。
「.....寝ちゃったね」
やれやれ、と言う様にマルコはジョゼの柔らかい髪を梳いてやる。
.......ひどい熱だ。
大事になる前にこうして医務室に連行できた事にほっとすると同時に、わざわざ自分達に対しての口止めを行った事が腹立たしかった。
僕たちは....僕は、そこまで頼りにならない人間なのだろうか。
「人の気も知らずに呑気に寝やがって....このっ」
ジャンがぶつぶつ言いながらその頬を抓ると彼女の眉間に見事な皺が寄った。.....すげえ怖い。
僕って....よくもまあこの子の事好きになったもんだよなあ...
「取り合えず交代で面倒見るか。
こいつは風邪ん時は昏々と寝るタイプだからそこまで手はかからねえよ。安心していいぞ」
「......ん。了解」
ジャンの...言葉に、少し胸が痛んだ。
当たり前だけれどジャンは僕よりずっと長い時間をジョゼと過ごしている。
...過去にジョゼが風邪を引いた時、彼はよく付き添っていたのだろう...。ジョゼもジャンを頼ったに違いない。
今のジョゼは....あまり人を頼ろうとしない。
ジャンはジョゼの事をよく泣き虫で甘えただと言う。
でも僕は彼女が泣いている所なんて見た事無いし、甘えてもらった事も無い。
......絆を深め合った二人の過去を、僕は知らないんだ。
当たり前の事なのに、何故こんなにも胸が支えるのだろう....。
「......じゃあ夕食まではオレがここにいる。」
戻って良いぞ、とジャンが手をひらひらさせながら言う。
「うん....」
「...?どうした。お前まで具合悪いのか」
「そんな事ないよ...じゃあ、よろしく」
「おう...」
マルコが出て行ってしまった入口を眺めながらジャンは溜め息を吐いた。
よー分からんが....
「あいつがああなるのはきっとお前の所為だぞー」
ジョゼの傍に椅子を持って来て腰掛けながら、熱を持っている頬を再び抓るとまたしても眉間に深い皺が刻まれた。
それを見て、笑いが小さくこみ上げる。
よかったなあ......
オレ以外でお前の事を好きなんて思ってくれる奴なんてあいつ位しかいねーぞ?
「だがなあ...」
頬から手を離してから髪を掻き上げて顔を覗き込む。額には汗が浮いていた。
「.....まだ、」
水を張った盥の上でタオルを固く絞る。それで拭ってやった。小さく声が漏れたのが耳に伝わる。
「まだ....オレの妹だ。」
額に触れた唇が熱い。....ひどい熱だ、全く。
そっと離した時、眼下の顔を見つめて微かに息を呑む。
.....昔は瓜二つだったのに、なんだ...お前、いつの間に女みたいになったんだ?
透き間風が通り日当りが悪いこの医務室では、もう今の時刻になると暗くなってしまう。
心に不安の陰がじわりと広がり、思わず薄闇の向こうに横たわっていたジョゼの掌をしっかりと握った。
.......良かった。手は...毎日の様に繋いでいたこの手だけは、あの時のまま....変わっていない。
それが分かると、胸の内に穏やかな心持ちが少しずつ戻ってくるのが分かった。
ほうと息を吐いて椅子に腰を落とし、未だに自分の掌の中にある白い手を眺める。
.....よし。とりあえず、全快したこいつに送る罵倒の言葉を考えとかねーとな....
何だか楽しくなってきたジャンは掌からジョゼの顔に視線を移した。
「早く良くなれよ」
そう言いながら握った手の甲にも軽く口付ける。微かに震えた彼女の指の先は熱く火照っていた。
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