夢のあとさき
85

ゼロスはきょとんとしてこちらを見上げていた。数度瞬いて私を見る。そしてぶわっと顔を真っ赤にしたので驚いてしまった。
「レティちゃん……!?」
裏返った声で名前を呼ばれるのが少しおかしかったが笑うところではないだろう。こんなに赤くなっているゼロスは初めて見た。恥ずかしかったのかな。
「あ、ごめん。ゼロスは大人だからこういうのは恥ずかしかったか」
「〜〜〜ッ、恥ずかしいって言うか……」
子ども扱いみたいなものだったし、と私も気まずくなって頬を掻く。周りが年下ばかりだったので、あまり年上に対する態度に私は慣れていないのだろう。申し訳なくなって体を離した。
「えっと、本当にごめんね……?」
「嫌だったわけじゃねぇからな!?」
ちょっと食い気味にゼロスに言われて私は気おされて頷いた。嫌じゃないならいいんだけど。
「はあ〜、びっくりした……」
「そ、そんなに妙なことをしたかな」
「なんていうか……レティちゃんがこういうことしてくれるとは思わなかったっていうか」
ゼロスはこっちを見てあいまいに微笑んだ。まだ耳が赤い。
「ほら、リフィルさまが俺さまに同じようなことしてたらびっくりするだろ?」
「別に変じゃないと思うけど。リフィルは優しいし」
「……」
深いため息をつかれる。まあいい、今後は迂闊にこういうことをしないようにしよう。ロイドとかコレットとかジーニアスとかは普通に受け入れてくれると思うんだけどなあ。テセアラとの文化の違いだろうか。
「つーか、ここ、外なんですけど……」
「うん?」
外だからなんだというのだろうか。このあたりは人気がないし(だからゼロスは私をここに連れて来てくれたのだろう)、別に見られたとして困るようなことはしていないはずだ。
「よく分かんないな、ゼロスは」
「そうかぁ?」
「だって女の子と普通に外でキスしてただろう?今さら額にキスをされたくらいで文句を言われるのは納得がいかない」
「文句っつーか……。ていうかレティちゃん、なに目撃してくれちゃってんの」
いつもの調子に戻ったゼロスが茶化すように言う。私は肩を竦めてみせた。
「別に邪魔はしてないからいいだろう。視界に入ったのはゼロスが悪い」
「……なんつーか、レティちゃんはしいなとまた別のベクトルなのね」
「しいな?ああ、しいなが見たら怒ったのかもね」
しいなの顔を思い浮かべる。色々と純情というか、潔癖というか、しいなはそういうところがかわいいんだけど。彼女は女性らしい体つきをしているので嫌な思いをしたことがあったのかもしれない。単純に性格上の可能性も高いか。
「訊きにくいこと訊いていいか?」
そんなことを考えているとゼロスが真面目っぽくトーンを落としてそう尋ねてきた。今ゼロスのもっと聞きにくい話を聞いた身としては拒むのもなんだと思って「どうぞ」と返す。
「レティはさ、クラトスのこと恨んでねえの?」
どう思ってるの、ではない。恨んでいるのか――そう尋ねられると私は首を傾げるしかなかった。
「いや、恨んではないよ」
「でもさ、その……あの時に言ってたじゃねえか。ユアンに……」
ゼロスはアルテスタの家の前での騒動のとき、あそこから聞いていたのか。すごく言いにくそうな顔で、でも真剣にゼロスが訊いてくる。訊きにくいことというのはこのことなのだろう。私がユアンに犯されたことを知られているのは気まずかったが、わざわざ気遣ってまで尋ねてくるゼロスを拒もうとは思わない。
「レティが酷い目にあったのってレティがあいつの娘だったからだろ」
「……そうなんだろうね」
ゼロスの言葉には頷く。全ての責任がクラトスにあるとは全く思わないが、原因の一つではあるのかもしれない。実際、私があんなふうに言ったのはそうやってクラトスの気持ちを煽るためだった。
子どもっぽい感情だ。なんでもいいからこちらを見てほしいという、身勝手すぎる言葉だった。結局そうやっても見てはくれなかったけど。
「あのときはちょっと冷静じゃなかったから、言っちゃったけど……別に私はもう引きずってないから」
「本当に?」
「うん。強がりなのかなあ、でも、本当にもう区切りはついちゃったよ。あのときも諦めてたし……」
ゼロスを見ると、ゼロスの方が傷ついたような顔をしていた。困ってしまう、そんな顔をさせたかったわけではないのに。
「それに、ほら、ゼロスにアイオニトスのこと教えたのってクラトスでしょう?」
「うぇっ!?」
心底虚を突かれたようにゼロスがヘンな声を出すので笑ってしまった。というかどうしてバレてないと思ったのか。あのときアイオニトスをまだ手に入れてないのかと訊いてきたのはクラトスの方からだったのに。
「クラトスは契約の指輪の材料を集めてあちこちうろうろしてたんだよね。ずっと、エターナルソードをロイドに託すことを考えて」
「……そりゃあそうだけどよ。でもクラトスに裏切られたんだろ?その時だって恨まなかったのか?」
「悲しかったけど、……悲しかったのは、私がクラトスを信じられなかったから」
「信じられなかったって、そりゃ当然だろ!」
なぜか憤りながらゼロスが言う。まあ当然なのは私も分かってる。
「そうだね。私はあの人が父親だと知ってても信じられなかった。信じたかったんだよ。クラトスのことじゃなくて、お父さんのこと……」
四千年も生きた天使のことではない。五歳まで一緒に暮らしていた、私を護ってくれた父のことを信じたかった。同じ人だとしても私はどこか別人のように考えていたのかもしれない。ロイドは覚えてなかったけど私は少しだけ覚えていたから。
「私の思い出の父のことは、信じていたかった。結局、あの人は私たちのために動いていたんだ。だから恨んではいないんだよ」
きっとね、と付け足す。ゼロスは複雑そうな顔で私を見下ろして、それでも反論はしないでくれた。
もしかしたらゼロスも私とロイドがクラトスの子どもであることをずっと知っていたのかもしれない、いや、知っていたのだろう。クヴァルたちディザイアンも知っていたし、クルシスのユアンやユグドラシルも知っていた。ゼロスが伝えられたとしてもおかしくない。
だからこそ、こんなに腹を立ててくれるのか。思えばアルテスタの家の前の騒動でもゼロスはロイドを励ましていた。知っていたからこそああいうふうに言ってくれたのだろう。


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