リピカの箱庭
130

さて。フリングス少将を搬送する間でも、操縦士でも第七音譜術士ではない我々は時間がある。ルークは、改めて私を見つめた。
「で、何があったんですか?ガイが伯爵がいるとか急に言い出したと思ったらフリングス少将が怪我してるし、なんかジェイドもいるし」
「なんかいて悪かったですねえ」
カーティス大佐は肩をすくめた。
「ケセドニア方面で演習中の我が国の軍が襲撃に遭ったと連絡が入りましてね。フリングス少将はその軍の指揮官だったのです」
「いったいどこの誰がマルクトの正規軍を襲うんだ?」
ガイラルディアが眉根を寄せる。私はふと違和感を覚えた。
「そうなんですよ。少し前ならキムラスカだったのですが」
「……ナタリアがいたらぼろくそに言われてるぞ」
うん、言いそう。というか後で顔を合わせた時にカーティス大佐は言われそうだ。
「内緒にしておいてください」
「わざわざ火に油注ぐ趣味はねーよ」
ルークは肩をすくめて、また違和感があった。なんだろう、何か足りないような……。
その瞬間思い当たった。そう、アニスがいないんだ。あれ、この段階でアニスって同行してなかったっけ?でもガイラルディアはダアトに向かって、そこでルークたちと合流したならイオンと一緒にアニスにも会っていそうなものだけど。
「ガルディオス伯爵?どうかなさいましたか」
考え込んでしまっていたのでハッと顔を上げる。いや、アニスの件は後で聞けばいい。今は襲撃者の話だ。
「いえ、襲撃者の情報は何かあるのではないですか」
軽傷者が多かったのなら目撃情報もあっただろう。カーティス大佐はちらりとルークを見てから答えた。
「軍旗、軍服はキムラスカのものだったと」
「なっ!?そんなわけ……」
「ですが、軍服を着用していない者も多数いたそうです。そもそも攻撃が自爆だったというのですから、少なくともキムラスカの正規の軍隊ではないかと。フリングス少将に確認する必要がありますがね」
「自爆……」
ガイラルディアが呟く。もしかすると、私と同じようにご落胤事件を思い出しているのかもしれない。
「まあジェイドはわかったけど、ガルディオス伯爵はどうしてセントビナーに?」
ルークに尋ねられたので、これはもうカーティス大佐への言い訳を使うしかない。
「……ガイラルディアが襲撃事件に巻き込まれていないかと、心配で」
「え?!俺か?」
ガイラルディアが驚いた声を上げる。一方でルークはぱちくりと瞬いた。
「ガイがセントビナーにいることご存知だったんですか?」
「なんとなくわかりますから」
「……なんとなく?」
「なんとなく」
だからそれ以外に言い方がないのだ。ルークに見上げられて、ガイラルディアも「まあ、なんとなく……」と答えた。
「わかるんだよな、居場所」
「わかりますね、居場所」
「えっ?そういう譜術みたいな?」
「うーん……そうではないのですが、何かと問われると困りますね」
「でも実際、セントビナーでもすぐわかってたよな、ガイ」
もうそういうものだと納得してほしい。わからないときもままあるし、完全にわかるというものでもないのだけど。

一通り話し終わったところでフリングス少将の様子をうかがう。こんな状況でも落ち着いていて、というかなんか顔色もマシに見えてきた。私は思わずイオンを見る。
「すでに何か施術を?」
「いや、状態維持だけだよ。と言ってもずいぶん楽な気がする。フリングス少将だっけ、何か隠してない?」
怪我人が何をできるわけもないだろうと呆れたが、フリングス少将は何か心当たりがあるようで、ゆっくりと懐をまさぐった。
「もしかすると……この響律符でしょうか」
「それは……!」
血まみれのスカーフの下から出てきたそれには見覚えがある。ホドグラドの研究所で作ったものだ。響律符――しかし軍に配っている汎用のものではない。
「ジョゼットに渡した響律符……ですね」
「え?ジョゼットにか?」
ガイラルディアが不思議そうな顔をする。それもそうだ、元ガルディオス家の騎士の名前がここで出てくるなんて予想外だろう。
ジョゼットに餞別として渡した響律符は、護身のための譜術の拡散効果がある。状態維持の第七音譜術は音素同士の結合を保たせるもので、音素の振動を止めるという点では冷凍保存するようなものだ。繊細なコントロールを隅々まで行き渡らせる必要があるが、この場合は拡散効果で労力が減らされているのかもしれない。そもそも威力という概念のない術だから発散しても問題ない。こんな使い方もあるとは。
「……好きにしろとは言いましたが、まさかジョゼットがあなたに渡していたとは」
「はは、ガルディオス伯爵から下賜されたものだとは……」
フリングス少将も知らなかったようだ。
で。主君からもらった響律符を渡す相手となると、ガイラルディアたちもジョゼットと彼との関係になんとなく勘づいたらしい。なんとも言えない空気が流れる。
なんか、銃弾が当たったと思ったら恋人がくれたロケットペンダントが致命傷を防いでくれた的なやつだこれ。まだ助かってはいないんだけども。
「ジョゼットさんって、今はセシル伯爵の……」
「つまり……マルクトとキムラスカの……?それってどうなるんだ?」
コソコソと後ろで囁かれるのにフリングス少将は苦笑した。私も額に手を当てる。
「……アスラン・フリングス。見なかったことにしましょう」
「そうしていただけると」
ジョゼットは何も言わなかった。フリングス少将も、少なくとも周りに知らせる気はないのだと思う。だが、こんな物的証拠が出てくるとますます彼を死なせるわけにはいかなくなった。
とはいえどうにかうまくいくようにと祈る以外できることはなく、今まで積み上げてきた技術とフリングス少将の運と体力を信じるしかない。また少し緊張の糸が張りつめる空気の中で、私は強く拳を握った。


- ナノ -