リピカの箱庭
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ひとまず連絡を終えて通信室を出たが、まだ街は慌ただしい。と、背後から「重篤患者です!」と兵士が走ってきた。私の顔を見てはっとする。
「がっ、ガルディオス伯爵?!なぜここに、いえ、マクガヴァン元帥は……ッ」
「落ち着きなさい。今はカーティス大佐が指揮を執っています。重篤患者はグランコクマへ……」
患者の状態を見ようと視線を向けて、言葉に詰まる。担架に乗せられていた血まみれの軍服を纏った患者は――フリングス少将だった。
死。目の前に見えるそれにめまいがして、けれど踏みとどまった。まだだ。まだ終わってはいないのだ。
「ッ、馬車を、今すぐグランコクマへ搬送します。アシュリーク!」
「馬車はあちらに停まっていたはずです!」
「わかりました。あなたは先にカーティス大佐へ伝達を」
治癒術をかける医療兵と伴走しながら指示を出すと、アシュリークは頷いて離脱した。彼は足も速い、すぐにカーティス大佐に伝わるだろう。
「っ、が、ガル……ォス、はくしゃく、」
「フリングス少将!しっかり意識を保ちなさい」
彼の容体は重篤患者と言われたくらい悪い。この医療兵もかなり疲弊しているようで、馬車に付き添うのは別の治癒術師のほうがいいかもしれない。だが、人手があるかどうか。
「……!」
馬車を引っ掴まえてフリングス少将をグランコクマへ送ろうとしたところで気づいてはっと振り向く。この感じ、は。
「ガルディオス伯爵、どうなさったのです!」
「待ちなさい。……ッ、ガイラルディア!こちらです!」
焦る兵士を留めて声を張り上げる。と、もともとこちらへ一直線に走ってきていた人影がどんどん近づいてきた。
「レティ!」
ガイラルディアだけではない。ルーク、それに第七音譜術士ならメシュティアリカがいる。アシュリークもカーティス大佐を連れてきてくれていた。それに――私は目を瞬かせた。まさか、イオンまでいるなんて。一体どうしてガイラルディアたちと一緒に行動しているのか訊きたいところだが、それは後回しだ。
「っは、はぁ、フリングス少将が重傷だと……」
「そうです。ルーク、久しいですね。アルビオールを借ります」
馬車より速い移動手段があるのなら、それを採らない手はない。有無を言わせない口調で告げると、ルークは一瞬目を丸くしたがすぐに頷いた。
「はい!」
「よろしい。搬送するので案内を。ノイ、治癒を頼みますよ」
さっと前に出てきたイオンは私をちらりと見てからフリングス少将に視線を落とした。
「……これは」
「ノイ?」
「これは、治らない」
きっぱりと言い切ったイオンに場の空気が凍る。メシュティアリカも慌てて身を乗り出したが、彼女も絶句した。私は眉根を寄せてイオンを睨んだ。
「ノイ、あなたが判断することではない」
助からないと、患者の前で言うべきではない。それにイオンは医術の心得があると言っても医者ではないのだ。言葉が過ぎる。しかし彼は私を睨み返すように見つめた。
「そうだ。だけど――あなたの研究所なら可能性がある」
「……フォミクリー、ですか」
ぽつりとカーティス大佐が呟いた。呟かざるを得なかったのだろう。
フォミクリーの研究成果をここで使うべきか。使って許されるのか。私は短く息を吐いた。
「ノイ、術式は」
「FH206、でいいと思う。研究所までは僕が持たせる」
「わかりました。向かいます。アシュリーク、術式名と直接アルビオールで研究所へ着陸することを伝達。シミオンとルグウィンに待機させておきなさい。その後あなたはここで待機です」
「はっ」
すぐに走り出したアシュリークを置いてアルビオールへ向かう。そのまま飛晃艇に搭乗したのはルークたち一行に加えてフリングス少将、カーティス大佐と私だけだ。急ぎでなければ他の負傷者も乗せたかったが、向かう先も機密の塊である研究所なので仕方がない。
「フリングス少将、これからホドグラドの研究所に向かい施術します。それまではこのノイが状態維持の術をかけますので、着くまで意識を保っておいてください」
アルビオールのベッドに寝かせたフリングス少将にそう声をかけると彼は先ほどよりしっかりと頷いた。イオンの物言いにどう思うか不安だったが、さすが軍人、このあたりはきちんとしぶとい。
「メシュティアリカ、ノイのサポートを頼みます」
「は、はい」
と、命令を出した後でようやく私は我に返った。しまった、メシュティアリカはもう神託の盾騎士団に帰ってしまったし、イオンも導師守護役なのだから私の指揮下にはない。それにルーク――キムラスカの貴族への物言いもほぼ命令だったなアレ。
「……、」
思わず周囲を見回すと、ガイラルディアもルークも神妙な顔をしている。単純にフリングス少将を心配しているのだろう。カーティス大佐もいくらか険しい表情で、フォミクリーのことを心配しているのだろうか。
「レティ。……とりあえず、フリングス少将は大丈夫なんだな?」
ちょいちょいと手招きされて私はガイラルディアの側に寄った。治療の邪魔にならないよう部屋の隅で小声で話す。
「今のところは。手術も成功率が低いわけではありません」
「ならいいが……」
アクゼリュスで研究していたフォミクリー関連技術には失われた血肉を補うものがある。例えば火傷した皮膚、義肢とまではいかないが欠損した指など、治癒術で治らない規模の大きいものだ。間に合いさえすればなんとかなる可能性がある。
アクゼリュスでの臨床試験結果を思い出す。こんなところで、こんな形で役に立つとは。いや、戦時下の負傷者の手当てももちろん想定していたが、それがフリングス少将になるとは思わなかった。
私の言葉で少し緊張の糸が緩む。私も肩の力を抜き、無意識の威圧するような態度に一行が嫌悪感を示していないことにとりあえず安堵した。


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