リピカの箱庭
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ガイラルディアが旅立ってしばらくは静かな日々が続いていた。とはいえ、嵐の前の静けさである。業務の整理と契約の折衝関係を済ませて研究所に足繁く通う忙しい日々だったが、ガイラルディアがいないので忙しいと誰にも思われていただろう。実際は忙しくしていないとそろそろどうかなってしまいそうだったからだ。
エゼルフリダのポプリは少し心を落ち着かせてくれたが、根本的な解決には至らなかった。それでもどうにか体を起こして動かし続けていると、じり、と胸の底で嫌な感覚を覚えた。
「……」
「伯爵さま?どうしたんですか」
ぴたりと動きを止めてしまったことを不審に思ったのかアシュリークが声をかけてくる。私は首をゆるく振った。
「アシュリーク。今日この後は?」
「面会が二件ですね。権利の関係の、お貴族様のやつ」
「それはキャンセルにします。手紙を書くので急ぎ知らせてください」
「了解。なにかあったんです?」
社交はしなくてはいけないものだが、ガイラルディアがいないわけだし、本命はガイラルディアへの売り込みのものは比較的どうでもいい。角が立たないようにある程度引き受けていたが、今後は本当に最低限にしてしまおう。
私は貴族宛用の便せんを引っ張り出しながらアシュリークに答えた。
「ガイラルディアが戻ってくる気がします」
「気がする、って……あ、」
ちょうどドアがノックされて二人でそちらを向く。声をかけると入ってきたのはホドグラドの若い騎士だった。
「失礼します。通信室に重要な通信が入りましたので、伯爵にもご報告を」
「通信?どこからだ」
「セントビナーからです」
アシュリークの問いかけに騎士が答える。私は眉根を寄せた。
「演習中のケセドニア方面部隊が正体不明の軍に襲われたのことです」
その若い騎士は淡々と告げて、その声の抑揚のなさがいっそ現実味を薄くしているようだった。私は瞬き、そしてすぐ立ち上がる。
「報告ご苦労。軍部には伝達済みですね」
「はい」
「場合によっては我が街の騎士団も備えが必要となります。グスターヴァスには?」
「騎士団長閣下にもご報告しております」
「よろしい。では待機をお願いします」
「はっ!」
よくよく見ると若い騎士の指先は白くなっていた。おそらく彼自身もこれがどういったことか受け止めきれずにいるのだろう。足早に去っていった騎士を見送り、私は再び机に向かった。
「どうすんですか、伯爵さま。グスターヴァス様をお呼びしますか?」
「まだどうも判断できません。続報を待つべきでしょうね。軍部も残った部隊をかき集めているはずですし、医療部隊はグランコクマにいます」
この正体不明の軍、というのは普通に考えればキムラスカ軍だ。なぜなら神託の盾軍は今は解散中であり、大規模な軍事行動を行えるとは思えない。キムラスカ軍とてこのように奇襲をかけてくる理由がないという意味では考えにくいが。
そもそも私は答えを知っているのだ。仮に追撃があれば帝国軍が打って出る間にホドグラド騎士団を守備に回す必要もあったかもしれないが、それが起こらないことは知っている。ただ、そうなるとは限らないから備えをする必要はある。
「とにかく言い訳はできました。こう言っては何ですが、都合がいいことです。一度王宮へ向かって状況を確認しましょう」
「ガイ様が戻ってくるっていうのも関係あるんですか?」
「ああ……そうだ、客室の準備もしなくてはなりませんね」
ガイラルディアが戻ってくるならきっと何人かが同行しているはずだ。アッシュの目的は同じだが動きが違う今、どうなっているかはわからないけれど。これも準備をするに越したことはない。
ただ、つながらなかった会話にアシュリークが目を丸くした。
「どういうことです?」
「事態は動いているということです。とはいえガイラルディアがこのマルクト帝国軍襲撃に巻き込まれていないかは心配ですね」
通信が入るだけマシなのだけれど、それでもすぐに移動できないのももどかしい。ああ、アッシュが持って行ったアルビオールがあればなあ!というか本当に一回ちゃんと戻ってきてほしい。私もアルビオールを借りたいし。
急ぎ文を認めて使いをやり、私は城に上がるために着替えた。屋敷全体があわただしいのは通信室に軍人もやってきたからだろう。
「これは、ガルディオス伯爵」
しかもその中に見覚えがある顔を見つけて、私は小さく息を吐いた。
「カーティス大佐。あなたが来ていたのですね」
「ご連絡もせず上がり込んだ無作法、お許しください」
「火急の時です。いたし方ありません」
ここはホドグラドの街を運営する屋敷だが、通信室もその一角にあるのでこういうことが起きてしまう。でも通信をそのまま軍に売り払うのもまだ怖いので、これくらいは許容するしかない。
「連絡兵を置く分には問題ありません。カーティス大佐はどうされるのです」
「私は現状を確認に参っただけですが、まだ続報は入っていないようです。となると、直接現場に向かうよう陛下に仰せつかっておりまして」
「そうですか」
なるほど。私は一つ頷いて顔を上げた。
「それでは私も同行しましょう」
「伯爵さま?!」
カーティス大佐より前にアシュリークが声を上げる。予想の範囲内ではある。
「なぜその必要が?あなたにそのような権限はないかと思いますが」
「伝話通信を提供しているのは我が家ですよ。それに、ガイラルディアがセントビナー方面に入ると連絡がありましてね。私としては兄が巻き込まれていないか心配でならないのです」
ガイラルディアからの通信なんて嘘八百だ。だがおそらくそこにいるし、あとこのタイミングならギリギリアッシュを捕まえられる可能性がある。というわけで私としては便乗してついていきたいところだった。
伝話を使わせないと暗に脅すと、カーティス大佐は眼鏡のブリッジを押さえてつぶやいた。
「まあ、今は急を要するときです。このような問答も時間が惜しい。ただし前線には出ないでいただきたい」
「それはもちろん。そこのあなた、グスターヴァスに私がセントビナーへ向かうことを伝達なさい。アシュリーク、行きますよ」
「ちょ、伯爵さま!本気で行くつもりですか?!」
小声でアシュリークが問いかけてくるが本気も本気だ。私が引かないのが分かったのか、彼は頭を抱えてため息をついた。


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