リピカの箱庭
125

「レティ!」
階下が騒がしくなったと思えばノックなしに執務室に飛び込んできたのはガイラルディアだった。というか、この部屋にこんなふうには入れる人間は限られている。よっぽど緊急かつ重要な案件なのだろう、私は書類から顔を上げた。
「少しダアトに行く用ができた。しばらく頼めるか」
「……ダアトに。何が?」
「モースを護送していた船が襲撃されたのを軍が見つけたんだ」
ああ、なるほど。その件か。私は頷き、そしてガイラルディアの後ろにいるピオニー陛下に視線をやった。いや、なんでいんの?
まあとりあえず、確認する先はガイラルディアだ。視線を戻す。
「行くのはあなただけですか、ガイラルディア」
「ああ」
「わかりました。あとは任されました」
「悪いな」
立ち上がってガイラルディアの手を握る。焦っているようだったから、少し落ち着いたほうがいい。ガイラルディアもどうして自分がダアトへの使者を頼まれたかよくわかっていることだろうし。
問題は、誰がモースの乗っていた船を襲ったかということだ。
「……ヴァンデスデルカがらみですね」
「多分な。この間アッシュから連絡があっただろう。六神将が生きてると」
一方的な通達だが、アッシュは時たま連絡をくれた。といってもほとんどは宝珠が見つからないといった連絡だが。彼もルークのところにさっさと行けばいいのに、素直になれないものだ。
そんなアッシュから六神将が生きているという連絡をよこされて、真っ先に強化したのはホドグラドのネイス博士の監視だったが、今のところ彼は大人しくしている。物語の中ではモースを救出したのはネイス博士だったと思うが、今回は他の六神将だろう。
「無理をしないで」
「わかってる。レティもな」
ガイラルディアが一人で行くのはそのほうが目立たず早いからだが、それにしても心配ではある。今度は私のほうがなだめられるようにハグをされた。
胸がぎゅっと痛い。でも今はその痛みに知らないふりをする。
こうしていれば何もかも分かり合えたと思うのは、私たちが幼いからだった。たぶん、ガイラルディアは気が付かない。気が付かせない。カウントダウンはもうとっくに始まってしまった。
「レティシア。俺がガイラルディアに任せるのは信頼しているからだぞ」
「……わかっております、陛下」
名残惜しく思いながら手を離した。ガイラルディアは陛下に向かって軽く一礼をするとあわただしく去って行ってしまう。扉を数秒眺めてしまったが、私はピオニー陛下に向き直った。わざわざここまで来た陛下を無視するわけにもいかない。
「それで、ピオニー陛下。ほかにどんなご用件がおありで?」
「ガイラルディアをダアトにやるのに、卿に言わないわけにはいかんだろう」
「本人から伝えられるだけで十分ですが……」
ピオニー陛下がホドグラドの屋敷に来るのも久しぶりだ。なんとなく、初めて会った時のことを思い出した。
「そう言うな、つれないな。ガイラルディアがいなくなって寂しいんならいつでも城に来るといい」
「いつも行っているではないですか、仕事で」
「仕事以外でも来ればいいだろ〜?ブウサギ見にとか」
いやまあ、確かにちょっと情が沸いてはいますよ、あのブウサギたちに。たまに世話したり餌やったりしているとなんかかわいく思えてくる。
「それより陛下のほうが大変ではないですか?ガイラルディアがお側にいなくて。フリングス少将も最近お見掛けしませんし」
「そりゃそうだ。アスランもな……」
「どうかなさったんです?」
「今は仕事に打ち込みたい時期だろうさとな。皇帝も考えることが多いんだ」
仕事に打ち込みたい時期?よくわからないが、ふと思い出した。そういえばフリングス少将は、この後――。
「それならなおさら陛下のお側に置いたほうがよろしいではないですか」
「どういう意味だ、レティシア?」
「どうもこうも、お察しの通りです」
だってこの皇帝陛下、ねえ。ガイラルディアは愚痴を言うようなタイプじゃないけど、苦労しているのは想像がつきすぎる。フリングス少将のほうがそばにいた時間が長い分あしらい方も慣れているんじゃないかと思うけれど。
私の言葉にピオニー陛下は肩をすくめて、それでもなんだか楽しそうだった。
「まったく、そんなこと言うならガイラルディアの代わりに卿に出仕してもらうか」
「私は宮廷貴族ではありませんので不可能です。それに当主ですので」
「全く、誰だ?卿に爵位を与えたのは……」
「健忘だなんておいたわしい。お早めにお世継ぎをおつくりになられてはいかがです?」
「うーん、ガイラルディアもこれくらい切れ味あってもいいんだがな」
それはガイラルディアがまだ遠慮してるからだと思いますよ。とはさすがに言わなかった。ガイラルディア、私よりだいぶん律儀だし。カーティス大佐で満足してください。
「それより陛下、こんなところにご足労いただいたついでに研究所に寄ってはいかがでしょう」
「お、じゃあサフィールの顔でも拝んでくるか」
「それはおやめください」
せっかくおとなしくしているんだから刺激しないでほしいものだ。ちなみに一回カーティス大佐が不機嫌そうな顔で急に来たけど、あれは……思い出したくない。
フォミクリー研究の件、新型響律符の件、いろいろと陛下に話しておきたいことはあるのだ。そう思うとこうやってホイホイ足を運んでくれるのはかなり有利だと言える。
私たちはすぐに馬車に向かったが、ガイラルディアは当然もういなかった。今日からはしばらくガイラルディアがいない屋敷に帰らないといけないと思うと憂鬱な気分はどうしてもぬぐえなかった。


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