リピカの箱庭
124

ネイス博士は恐ろしいことにピンピンしていた。あんな大譜術に巻き込まれたというのに本当に悪運が強いというか、ただ単に丈夫なだけかもしれないけど。
「ごきげんよう、ネイス博士」
「イヤミですか。ご機嫌よくあるわけないでしょう」
ブツブツと文句を返されたがまあ私がよく思われてないのは知ってるしね。私は肩をすくめて見せた。
「それで何の用です?」
不機嫌そうなネイス博士に睨まれる。現状彼は一体どこまで知っていのだろうかと思考を巡らせた。戦闘能力において、ネイス博士はそれなりのものだ。ホドグラドで監視下に置いたとして、始終牢獄に入れることはできないのでやろうと思えば逃げ出せてしまうだろう。
なので逃げ出さないように説得するのが一番効果的だ。何せこちらの研究の手の内も明かすのだから。
「今日はあなたをスカウトしに来ました」
「冗談も休み休みおっしゃい。誰があなたの下で働きますか」
けんもほろろな反応に笑ってしまいそうになる。アシュリークとか連れてこなくてよかったな、ここで怒ってしまったら台無しだ。
ルゥクィールもよく思ってないみたいだったが、すぐに反応することはない。どっちかというと驚いているようだ。
「ではあなたはグランツ謡将の元へ戻るのですか?」
「ヴァンはくたばったのでしょう」
「おや、ネイス博士ともあろう方が下手な嘘をつかなくてよいのですよ。どうせ他の六神将も生きてるのでしょうし」
「……何が言いたいのです?」
実際ロニール雪山で行方不明になった者の生死はまだ不明だが、少なくともシンクとリグレットは生きているだろう。誰も死体は見つかってはいない。
「そうですね、あなたの目的はグランツ謡将とは同一ではありません」
他の六神将と違う点はここだ。そしてそれがネイス博士の付け入る隙だ。
「あなたはフォミクリーの研究をしたいだけでしょう。それならば我が国の研究所で行うことが可能です」
「そうでしょうがね。かと言ってあなたの配下に下る利点などありませんよ」
「それはどうでしょうね」
利点ならそれこそ山のようにある。というかわざわざヴァンデスデルカの元へ戻る理由すらないのである。
「カーティス大佐のことを諦められないのでしょう?ならばグランツ謡将の元へ戻ることは再度彼を裏切ることになります」
「ジェイドはネビリム先生のレプリカさえ完成すれば戻ってきます!」
「その前に世界が滅ぶのなら意味はないのではありませんか」
問題はここである。ネイス博士は本物の天才だ。レプリカは実際量産可能な体制にすら入っている。理論を確立したのがバルフォア博士だとして、それを実現・量産可能にしたのはネイス博士の功績だろう。
「グランツ謡将は本気ですよ」
つとめて表情を消してそう告げる。ネイス博士は怪訝そうな顔になった。
「それはそうでしょうとも」
「ですから彼は成し遂げ得るでしょう。グランツ謡将の求める世界ではカーティス大佐どころではありません。グランツ謡将は確実にあなたを含めてすべてのオリジナルを消し去るでしょう。あなたがそこに与する利点はなんなのですか?再度言いますが、ホドグラドの研究所でもフォミクリーの研究は可能です。その上あなたはカーティス大佐を裏切らずに済む」
この段階でネイス博士が戻ろうが戻るまいが、はっきり言ってヴァンデスデルカの計画には影響を及ぼさないだろう。だが、障気問題やフォミクリーの問題を早期解決するためにネイス博士の頭脳が使えるのならそれはこちらの利点だ。
「ジェイドの……ですが所詮は国の研究所、私の好きに研究ができるというわけではないでしょう」
「おや、カーティス大佐はあなたに期待しているというのに」
「そんなのあなたに何がわかるのです!」
二つ目の付け入る隙はまあここである。裏切らないようにするためには枷をつける必要があるが、ネイス博士にはなんともわかりやすい弱点がある。
「考えてもみてください。あんな大譜術に巻き込まれたあなたが無事であるはずがないでしょう。カーティス大佐は無意識にでもあなたを庇ったのではないですか」
「それは」
「つまりあなたに情があるのです。そしてカーティス大佐は少なからずフォミクリー研究に未練を残しているのですから、合法化された研究においてあなたとまた組みたいと思っていても不思議ではありません」
「……」
「今のうちに実績を積み上げれば罪も軽くなることでしょう。そうは思いませんか?」
実際、ネイス博士が完全に自由になることはないだろう。彼は生涯研究所にて監視される可能性が高い。とはいえピオニー陛下も彼を幼馴染として特別に扱っている節はあるから、彼の言う「ジェイドを取り戻す」ことにはなると思う。
しばらく黙り込んでいたネイス博士は、睨むように私を見つめた。カーティス大佐には従順な構って欲しがりの犬のような態度を取るが、ほかの人間には気性の荒い猫のような気まぐれな男だ。
「……いいでしょう。その提案に乗って差し上げましょう」
「よろしい。では、後日ホドグラドの研究所へ来てもらいます。くれぐれも大人しくしていてくださいね」
ネイス博士は嫌そうな顔をしていたが、よっぽど私のことが気に食わないらしい。まあ、そこは我慢してもらわなくては。
しかし譜業博士、ガイラルディアはどう思うだろう?案外話が合ったりするものなのかな。対立関係にあったからすぐには難しいだろうけど。
牢を出るとルゥクィールはキョロキョロと辺りを見回してから囁いてきた。
「伯爵さま、あの人大丈夫なんですか?」
「ええ、ニンジンは十分ですから」
「……結構ワルっぽいですよね、伯爵さまも」
「相手は犯罪者ですよ。それと、リースとは違いますからね。あまり深入りしてはいけません」
「はーい」
ルゥクィールは人懐っこくてするりと懐に入って行くタイプだけど、逆に感情移入しすぎてしまうきらいもある。リースのような更生可能な子供ならともかく、ネイス博士は確固たる指針があってああなってるからなあ。ま、その指針がこちらの害にならないようにすればいいだけだ。
「ちなみに譜術のくだり、そんなことできるんですか?あのときのカーティス大佐の譜術ホントにすごかったってリークが言ってましたよ」
私は肩をすくめてみせた。
「人は信じたいものを信じるものです」
「やっぱ〜?」
いやまあ、大天才のカーティス大佐ならできる可能性はあるけどね。私は無理です、確実に。


- ナノ -