リピカの箱庭
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ラジエイトゲートからアルビオールで帰還した私を待っていたのはなんとも言えない顔のエドヴァルドだった。
「レティシア様、何も自ら行かれずとも良かったではありませんか」
「相手が相手でしたから、仕方がありません」
「アッシュ……ファブレ家の息子のオリジナル、ですか。ヴァンデスデルカは一体どこまで……」
はあ、とため息をついたエドヴァルドは書類を数枚寄越した。記載されているのは騎士の取り調べ結果だ。
「ご命令通り、鮮血のアッシュに出くわした騎士たちの身元を再度確認し、行動を監視しました。その中で神託の盾とつながっていると確認できたのは一名、その者と関係があるホドグラドの住人が二名。いずれも難民ではなく、長くホドグラドに在住している者たちです」
大体想像通りの結果だ。これだけで済むとは思わないけれど、残っている者がいたとしてもこれは忠告になるだろう。ヴァンデスデルカは対外的にはアブソーブゲートで死んだことになっているし。
「……ホドグラドには戦争で故郷を喪った者が多い。預言を憎む人間を見繕うのは簡単でしょう」
「ヴァンはこちらの動きを監視したかったのでしょうか?」
「そういうことでしょう」
正確には、私を監視したかったのだと思う。
しかしこれはややこしくなるのでエドヴァルドには口をつぐんだ。内容を頭に入れて書類を返す。
「この者たちはどうしていますか?」
「ひとまずは騎士団本部の留置所に入れていますが……」
「野放しにはできませんから監視をつけて肉体労働にでも従事させておきましょう。今は人手も必要ですし」
法を犯しているかどうかでいえばグレーなところだ。なのでこういうのは私刑じみてしまう。グランコクマの近くなら軍がいるのだけれど、この街は例外的に騎士団の規模が大きいというのもある。
「かしこまりました。アッシュという者についても検査をさせるということですが……」
「ノイをつけておきます。アッシュも騎士をつけるよりは気が立たないでしょう。……おそらく」
自身がちょっとなくなってきたが、まあアッシュだって敵国で暴れるなんてことをするような考えなしではないだろう。
「ラジエイトゲートで何かありましたか?」
「いえ、あの年頃の子どもは難しいですから」
イオンもまだまだ思春期だしアッシュも未成年だ。この後どうするのかは知らないけれど、素直にファブレ家に戻ることはできないんだろうな。

メシュティアリカは作戦のすぐあとにカーティス大佐と共にグランコクマにやってきたが、ガイラルディアがマルクトに戻ってきたのは少し後だった。ペールギュントを連れて、手にはガルディオスの宝剣を持って。
「レティ、ただいま」
屋敷の玄関でガイラルディアを出迎えたとき、私はホドで別れを告げた家族のことを思い出した。お姉さまも、お母さまもお父さまももういない。
でも、ガイラルディアは戻ってきた。
「おかえり、ガイ」
手を伸ばして抱きつく。昔は身長も同じくらいだったのに今はガイラルディアの方がずっと大きい。体つきも男女では全然違う。けれどガイラルディアはガイラルディアで――何も、変わらないのだろう。
「ペールギュントも、久しいですね」
体を離してペールギュントにも声をかけると、彼は大袈裟に体を震わせた。
「おお……わしのことを覚えておいでですか、レティシアお嬢様」
「伯父上、エドヴァルドです。またお会いできるとは思っておりませんでした」
「エドヴァルドも……こんな立派になって。よくレティシア様を支えてくれた。ナイマッハの騎士の名にふさわしい働きだ」
涙ぐみそうにすらなっているペールギュントに私とガイラルディアは顔を見合わせて苦笑する。エゼルフリダはロザリンドの影からペールギュントを見つめていたが、じきに慣れるだろう。
ガイラルディアが来ることがわかっていたので部屋の準備は整っていた。部屋に案内して、荷物は使用人たちに任せて執務室に向かう。ガイラルディアは静かに私の後についてきた。
「ここって、別邸だったんだろう?父上が持っていた」
「そうだよ。手狭になったから離れも作ったけどここが本館。お父さまも昔来たことがあるかもしれないね」
そしてこの執務室もそうだ。最初から書斎として存在していたので、お父さまが、あるいは歴代のガルディオス伯爵が使っていたこともあるのだろう。
「ガイラルディア。あなたは――」
「待ってくれ、レティシア。先に言わなきゃいけないことがある」
そう制されて口を閉じる。ガイラルディアは視線をさまよわせてから小さく息を吐いた。
「実は面倒なことを頼まれてるんだ」
「面倒なこと?誰に?」
「キムラスカ国王にだよ。なんでも、ジョゼットにセシル家を再興させたいらしいんだ」
一瞬何を言われたかわからず、まじまじとガイラルディアを見つめてしまった。
「……その手で来たか」
原因といえば、確実に私があそこで剣を抜いたことだろう。二度裏切ったことに対する誠意というかなんというか。公認のスパイを送り込むようなものだ。懐柔できる自信でもあるのだろうか、一度失敗したくせに。
「でもどうしてジョゼットなの?叔父様もいるのに」
「叔父上には断られたらしい」
「……まあ、そうか。ガイはどう思う?」
ジョゼットはガルディオス家の騎士であり、彼女はすでにセシルの名を捨てている。だからこの非公式の打診を、ガルディオス伯爵が握りつぶすことは可能だ。
ガイラルディアは眉をひそめてこちらを見た。
「なんで俺に聞く?」
「だって、ガイがこの家の当主だもの。戻ってきた以上決めるのはガイラルディアだよ」
「……レティ、本気で爵位を返上する気なんだな」
「何を言ってるの?私は最初から代理でしかない」
それはガイラルディアだってわかっているはずだ。そうでなくては、ユリアシティでああは言わなかった。
「わかったよ。セシル家の件についてはレティとジョゼットに任せる。俺はジョゼットが亡命してきた経緯もよく知らないからさ」
「わかった」
「で、爵位のことは……」
私はぺらりと一枚書類を掲げた。正式な襲爵の届け出だ。
「準備万端ってか。ピオニー陛下に挨拶がてら受理してもらおう」
「そうだね。でも今日はゆっくりして。私は早めにジョゼットと話をつけておくから」
「ああ……、悪いな」
「ううん、大丈夫」
急ぎというわけではないけれど、さっさと片を付けておきたい。ガイラルディアがガルディオス家の当主というのがあるべき形なのだ。いつまでも歪なままは落ち着かない。
「レティは、どうするんだ?」
「このあと?」
「いや。そうだな、このあと……爵位を譲ったら」
私は瞬いてガイラルディアを見た。執務室に立つガイラルディアが記憶の中のお父さまに重なる気がした。お父さまが執務室にいるところを見た記憶なんてほとんどないし、この屋敷にいたところだって見たことはないのに。
「……心配しなくても、ガイにちゃんと引き継ぎするよ。私はガルディオス家の人間だから」
立場上はガイラルディアの部下ということになる。いきなり当主になれなんていくらガイラルディアでも大変なことはわかるから、ちゃんとサポートをしていくつもりだ。エドヴァルドたちだっているし、気を揉む必要はない。そのための準備はしてきた。
「どっかに行ったり……しないよな?」
けれど、その言葉はまるで私の心を見透かすようだった。
死に損なったと思ったのは、死ぬつもりだったからだ。私のいない世界で、ガイラルディアが順当に爵位を継ぐはずだった。でもそうはならなくて、私はまだここにいる。
ガイラルディアに爵位を継いだら――全部が終わったら。私の居場所はここにあるのか。
「どこか、って……どこにも行くところは、ないよ」
「……まあ、無理するなよ。レティが好きなことすりゃいい」
ガイラルディアのためにできることはある。研究を進めたりだとか、街を豊かにしたり、ひいては国の未来のために投資したり。でもそれは私の好きなこと、なのだろうか。私がしたいことは――。
「うん、好きにする」
そう告げると、ガイラルディアは目を伏せてあいまいに微笑んだ。


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