EXTRA
アカシアの鏡

※if設定/プロット段階に存在したジェイドルートの小ネタです。続きません。
※崩落編時点ではネタバレになる要素が若干含まれます
※夜の話題が含まれます

<シーン 王城/ジェイド、ピオニー>
「よーうジェイド!」
隠し通路から上機嫌そうに現れたこの国の最高権力者兼幼馴染に、ジェイドは速やかに撤退したくなった。そうしなかったのは単純に自分の執務室から逃げ出すのが癪だったのと、幼馴染のしつこさをよく知っていたからである。
「いいニュースと悪いニュースがあるんだが、どっちから聞きたい?」
全く歓迎していない部屋の主を気にもとめず、ピオニーはニヤニヤと話しかけてくる。眼鏡のブリッジを押さえながら、ジェイドはこれ見よがしに深いため息をついた。
「どちらも聞きたくありません。だいたい、なぜここにいるんです」
「だからいいニュースと悪いニュースがあるって言ったろ。選べないんなら悪いニュースから伝えてやろう」
聞く耳を持たないピオニーにジェイドもまともに反応する気は無かったが、続けられた言葉にはさすがに目を丸くしてしまった。
「レティシアにお前と結婚する気があるか訊いたんだが」
「……は?」
一体何を言っているのか。
レティシア、というのがガルディオス伯爵であることはわかる。だが彼女と自分が結婚するだなんてはっきり言ってありえない。そもそも結婚する気があるかなど尋ねること自体あまりに無礼だった。
「以前からネジが五、六本は飛んでいるとは思っていましたが、ついに壊れましたか」
「おいおい、皇帝陛下に対して不敬だぞ」
「いえ、あまりにバカらしいことを言いはじめるので不可抗力です」
「バカらしいとはなんだ。お前もいい加減身を固める必要があるだろう」
それをピオニーが言うか、とジェイドは隠す気が微塵もない白い目を向けた。いまだに初恋を引きずる未練がましい男は後継が必要な立場にあるというのに結婚をする気配がちっともない。一方でジェイドは貴族でも後継でもなく、結婚しないのならそれはそれで問題がないと自認していた。
「……百歩譲ってそうだとして、なぜガルディオス伯爵の名前が出てくるんです」
「レティシアも同じだろう。利害が一致する」
「表面上はそう見えるかもしれませんが」
ガルディオス伯爵の立ち位置は複雑である。そんな彼女が気楽な独身でいられるとは思えない。ガイの下に着くために格下――例えばガルディオス家の騎士なんかと結婚するか、あるいは派閥を明らかにするために皇帝派の貴族と結婚するか。一番面倒なのはガルディオス家が反皇帝一派と結びつくことだが、預言を重視せず協調外交派である彼女がその選択をする可能性は限りなく低い。
ジェイドが結婚相手としてどうであるかというと、自分で言った通り表面上は都合がよく見える。皇帝の懐刀と他称されるくらいには皇帝派であるし、カーティス家は軍部の名門であるが貴族ではないのでその点では格下と言える。そして何より、ジェイドはガルディオス伯爵が進めるフォミクリーの研究に深く関わっていた。今も共同研究を進めているくらいだ、都合がいいと言えばそうだろう。
――しかし、過去に水面下であったことを思えば自分がガルディオス伯爵の結婚相手としては最もふさわしくないくらいだとジェイドは自覚している。それはピオニーだって知っているはずのことだ。
「……まさかガルディオス伯爵が受け入れたのが悪いニュースとは言いませんよね」
「そこまで悪趣味じゃないぞ。ガルディオス伯爵には断られた」
「それは何よりです」
「『陛下は佐官で釣り合いが取れると思われているのですか?』と言われた」
「……」
嫌な予感がする。ジェイドは赤い目を細めてピオニーを見た。
「だからいいニュースだ。お前を昇進させてやろう」
「やはり壊れましたか」
どうしてそうなるのか。悪いニュースを二つも聞かされたジェイドは背もたれを軋ませて何度目かのため息をつくはめになった。
「昇進したところで結婚が実現するわけでもないでしょう」
「まあ、それはそうだな」
ガルディオス伯爵とてジェイドが長いこと佐官の座に留まっていることを知っている。将官になれば様々なややこしいことが発生する上、この上なく理不尽な上司からの無茶振りが増えるに決まっていた。――世界を救う以上の無茶振りがすでにされているような気もするが。
「なんと言ったか、お前が身元引受人になったあの譜眼の」
「カシムがどうしましたか」
「あいつの目、治ったんだろう?」
急な話題転換の真意が透けて見えて、ジェイドは眉根を寄せた。
「つまりレティシアの目も治せるわけだ。お前は最初からそのつもりだったんじゃないのか」
「そもそもガルディオス伯爵が治したいと思っているかなど知りませんので、どのつもりかと言われても困ります」
フォミクリー技術を用い、譜眼を施したことで失明した譜術士の治療に成功したことは事実である。しかしあの自業自得の馬鹿とは違い、ガルディオス伯爵が響律符を眼に埋め込んで譜眼としているのは荒技であるが制御に成功している。
「否定はしないんだな?」
「そうであるなら協力をしない理由がないと言っているんです」
「素直じゃないやつだ」
やれやれと肩をすくめたピオニーは、にわかに真面目な表情になると机に手をついてジェイドに顔を寄せた。
「さっきからお前は嫌だと言わないんだな、ジェイド」
「嫌だと言わないから喜んでいるとでも言いたいのですか?都合のいい解釈はやめてほしいものですねぇ」
「喜んでるというか、贖罪かなんかのつもりだろう?ま、お前に結婚させるにはこれくらいしか手がないしな」
まったくひどい言い分だ。誰が結婚を望んだというのか。ジェイドは薄いガラス越しにピオニーを睨んだ。
「結局、なんのつもりなんだ」
「人並みの幸福ってやつを得られる可能性があるなら与えてやりたいと思ってるだけさ」
「自分勝手だな」
「そりゃもちろん、俺は皇帝だからな」
エゴにもほどがある。自覚してなお悪びれないくらい面の皮の厚い幼馴染は、いつかと同じ瞳でジェイドを見ていた。


<シーン 屋敷/主人公、ガイ>
どさりと体をソファに投げ出す。なんというか疲れた。書類を捌くのはそんなに面倒じゃないのだけど、自分を着飾るために布を合わせたり着たり脱いだりするのは妙に疲れる。デザイン面はロザリンドにほぼ丸投げしているにも関わらず、だ。ファッションに興味がないわけじゃないんだけどな……。
「疲れた……」
それはガイラルディアも同じらしい。ぐったりとソファに座り込んで足を投げ出すガイラルディアは深いため息をついた。
「服一つ仕立てるのにこんな時間がかかるとは……」
「ルークは違ったの?」
「あいつが大人しくしてられるわけないだろう。逃げ出して衣装係を困らせてたよ。まあ、屋敷に軟禁されてたからなあ。あんまり正装とかしてなかった気がするし」
「そうだったね。それにご両親がいるなら大体の手配はやってくれるのでしょう」
我々はそうもいかないので、一日作業で疲れ果てるはめになる。ソファに倒れ伏した私たちにルゥクィールがお茶を持ってきてくれた。
「おつかれさまでーす。レティシア様もガイラルディア様もお似合いでしたよぉ。特にレティシア様は最近よくドレス着てくれて嬉しいです!」
「なぜあなたが喜ぶんです、ルゥクィール」
「レアじゃないですか!きれいだしぃ、見ててテンション上がります!」
珍獣扱いなのか。私は冷たいお茶で喉を潤す。ルゥクィールはこういうところ気が効くので嬉しい。
「結婚式とかすごそうですよねえ。レティシア様のウェディングドレス、絶対みたーい!」
「ああ、ウェディングドレスがあるんでした。結婚式は面倒ですね。ルゥクィール、あなたとロザリンドに任せます」
「えっいいんですか?」
「自分で決めるよりはるかに見栄えがするはずです」
餅は餅屋だ。あとそれを自分で決めるくらいなら別にするべきことが山ほどある。結婚式って準備も大変だし。エドヴァルドとロザリンドの結婚式を思い出す。
「……ちょっと待て、レティ。結婚の予定があるのか?」
とか話をしていると、ガイラルディアが妙に深刻そうな顔で割って入ってきた。ああ、最近は忙しかったから話してなかったんだっけ。
「前、陛下に見合いしないかと言われたんだよね」
「陛下に!?相手は誰だ!?」
「カーティス大佐」
ぴしり、とガイラルディアは見事に固まった。「カーティス大佐ってあのお顔立ちが整ってる眼鏡の軍人さんですよねえ」とルゥクィールが反応する。
「えー、あの人ですか?アシュリークが荒れそう〜」
「なぜアシュリークが?」
「ほら、アクゼリュスで伯爵さまが怪我したじゃないですか。だからあんまり好きじゃないみたいですよ」
「あれはカーティス大佐のせいではないのですが」
「アシュリークがレティシア様を置いてったのも悪いから、それの八つ当たりですよねえ」
「全面的に私の指示の問題です」
あのときはあんな怪我で済むつもりじゃなかったので、改めて考えると周りの人たちに迷惑をかけまくることになるところだった。
それでカーティス大佐との婚姻を嫌がられるのも問題だ。でもカーティス大佐はアシュリークを懐柔できるタイプじゃないしなあ。むしろ煽りそう。
「いやいや、なんでジェイド!?レティシア、正気か!?」
再起動したガイラルディアが立ち上がって肩を掴んできたのでびっくりして見上げた。正気か、とは失礼である。
「そんなに驚くところ?」
「驚くに決まってる!というかお前ジェイドのこと嫌いじゃなかったか!?」
「えっ、嫌いではないよ。苦手なだけで」
「苦手な相手と結婚しようとするか、普通!」
ルゥクィールもうんうんと頷いている。しまった、とっさに苦手とか言わなければよかった。嘘ではないのだけど。
「契約相手としてはメリットが大きいし……」
「契約!?」
「利害関係の一致による契約でしょう。カーティス大佐はこれ以上ないくらい皇帝派だし、フォミクリー研究でも手を組んでいるんだから婚姻関係を結んで権利を分散させないほうがシンプルだし。それにガイラルディアのこともよく知っているから物分かりがいい」
「も、物分かりがいい……ジェイドが言うならともかくジェイドにそんなこと言うやつ初めて見た……」
ガイラルディアが絶句する。多少言い方が悪いかもしれないが、こっちは山のような求婚者を捌いてきたのだから言い分が通る相手としか組みたくはないのだ。
「レティシア……じゃあもう話は進んでるのか?もっと早く言ってほしかったんだが」
「心配しなくても断ったよ」
「断ったのか!?今までの話はなんだったんだ」
「だってカーティス大佐はまだ佐官でしょう。流石に佐官と結婚するほど安売りはできないもの」
家の外の人間との結婚となると、格が求められる。お家騒動が発生するほど高すぎもせず、ガルディオス伯爵の名前を落とすほど低すぎもしない。となると軍系名門の養子であり皇帝陛下のお気に入りという特別性を持つカーティス大佐はちょうどいいのだが、佐官というのがネックだ。
「きゃー!佐官で安売りって、さっすが"ホドの真珠"、ガルディオス伯爵さまさまって感じですね!かっこいーい!言ってみたーい!」
悪気がないのは分かるが、ルゥクィールの言い方に苦笑してしまった。ロザリンドが聞いていたら絶対に怒られていたところだ。
「ルゥクィール、私が言えたことではないですが結婚相手の価値を地位だけで定めると基本的には痛い目を見ますよ」
「そうですけど〜。あ、じゃあカーティス大佐が昇進されたら問題ないってコトですか?」
「釣り合いは取れますね」
まあ、そこは陛下とカーティス大佐の間で何らかのやりとりがあるだろう。結婚相手って決めるの面倒だし、陛下の仲介があったというのはかなり強力な名目になる。
「……陛下に頼んでくるか」
「何を?」
「ジェイドを昇進させないようにだよ」
「……ガイがそんなに嫌ならちゃんと断ろうか?」
「だってあいつに義兄さんとか呼ばれたくないだろう!?」
それは……ものすごく説得力がある。私は気圧されて「そうだね……」と頷くしかなかった。


<シーン 寝室/主人公、ジェイド>
婚礼衣装から夜着に着替え、私は薄く化粧を施された顔を鏡越しに見つめた。長らく眼帯をしていたせいですっかり元に戻った顔には違和感がつきまとう。しばらくぼんやりと眺めていたが、ドアの外に人の気配を感じて化粧台から離れた。
ノックがされたので扉に手をかける。部屋に入ってきたカーティス少将もバスローブ姿だった。
「今日はお疲れさまでした」
「カーティス少将もですね。だいぶ呑んでいたようですが、大丈夫ですか?」
「あの程度なら酔いはしませんよ」
やれやれと態とらしく肩をすくめる少将についてベッドまで歩く。これまでも貴族らしく豪華なベッドに寝てきたものだが、このベッドは明らかに二人用とわかる大きさで、夫婦のものだとこうなるのかと他人事のように思った。ホドにいた頃も両親の寝室に入る機会などなかったし。
「ところでカーティス少将。一つ確かめておいたほうが良いことがあると思うのですが」
「なんでしょうか」
カーティス少将は眼鏡越しに目を細める。この人、寝るときは流石に眼鏡外すよね。
「少将は子どもが欲しいですか?」
「……」
「本当は結婚前に確かめるべきでしたが、時間もありませんでしたし。子どもが欲しいとなるとある程度計画性を持って行為をしたほうが良いでしょう。互いに仕事で留守にすることも多いですから」
軍人と貴族となるとなかなかに予定をすり合わせるのは困難だ。仕事が忙しい時に夜に眠れないようなことはしたくないし。いや、さっさと済ませればいいだけの話かもしれない。
「そうでなければ無理に同衾する必要もないでしょう。発散をする必要があるならその手のプロに依頼するべきかと――カーティス少将?」
黙り込んでしまったカーティス少将の顔を覗き込もうとすると、深いため息が降ってきた。
「とりあえず、そこに座ってください」
「はあ……?」
出来の悪い生徒に言うようにベットを指さされたので腰を下ろす。どうしたのだろう。
カーティス少将は私の横に腰を下ろすと、眼鏡を外してサイドボードに置いた。それから私に向き直る。
「もしかしなくともあなた、私とまともに同衾する気がないのではありませんか」
「……?まともに、とはどういう意味でしょう。子どもが欲しいと言うなら協力はします。ああ、養子を取るという選択もありますが」
「そうでなくてはしないということでしょう。私はあなたと夫婦になったつもりなのですが」
「夫婦ならば合意のない性行為が許されると言いたいのですか?」
流石にそれは人間としてどうかと思う。ドン引いていると「違います」と強めに言われた。
「もちろんあなたの意思を尊重しますよ。ですが、歩み寄ってもらわねばこちらも如何ともできないので」
「つまり?」
「子を成す以外にも、コミュニケーションの手段としてあり得るでしょう」
「……」
それはそうである。
セックスをする理由が子作りだけではないことくらい理解している。そうでなくては避妊具なんてないだろう。つまりはまあ、有り体に言えば恋人同士のコミュニケーション手段の一つだ。
しかし私とカーティス少将は恋人ではない。が、政略結婚だろうがなんだろうが夫婦になった以上は、そういう関係を築くことが最も健全だ。別にそうでなくともいいんだけれど、そうなるべく努力は必要である、と。
「なるほど……、そのような観点で同衾がしたいというわけですね。理解しました。私にカーティス少将が愛せるかはわかりませんが、逆説的に性行為を通じて情が湧くというのも可能性としてはありますからね」
「あなた、男性と寝所を共にしたことないでしょう」
「未婚の貴族の女に対してデリカシーがないのですか?まあ、そうですね。ガイラルディアくらいでしょうか」
「私とガイを同列にすると後で困りますよ」
何度目かのため息をついてカーティス少将はシーツをめくった。視線で入れと促されたのでもそもそと潜り込むと、カーティス少将も横に寝転ぶ。
……うん?これ、寝るつもりか?
「カーティス少将?しないのですか」
「我々にはまだ早いと結論づけました」
「はあ。よくわからない人ですね」
「あなたがこれほどまでに情緒を理解していないと思っていませんでしたので」
「失礼ですね。私もカーティス少将が相手でなければ適当に相手をしていましたとも」
「涙が出るほどありがたい話ですね。そもそも、閨でそんな呼ばれ方をされるとも想定していませんでしたよ」
呼ばれ方?ああ、カーティス少将という呼び方は確かに一般的な夫婦としては堅すぎるか。私もカーティス少将も立場があるため名前は変えないということにしていたからこのままでもいいと思っていたんだけど。
「そいつあなたも……」
変わらないでしょう、と言い返そうとして私は寝室に入ってからのカーティス少将の言葉を思い返した。いや、この人呼んでないな。
「私はわきまえていますよ、レティシア」
にこり、とわざとらしくカーティス少将が微笑む。こうして見るとものすごく顔が整っているな、と現実逃避気味に思った。そうしなくてはちょっと耐えられない。顔を逸らす。
「どうしました、レティシア?」
「待ってください。その、おかしいですよね」
「何がでしょう、レティシア」
「連呼するなと言っているのです!」
くつくつと笑い声が聞こえる。「私に名前を呼ばれた程度で照れるとは」うるさいな。
「あなたはもっと私には無関心だと思っていましたよ」
「無関心でいるはずがないでしょう。自分が何をしたのかよく考えることです」
「これは手厳しい」
「はあ……失敗したかもしれませんね」
都合がいいという理由だけで結婚するのは早計だったかもしれない。ちらりと視線をやると、カーティス少将は相変わらず唇にうさんくさい笑みを浮かべていた。
「……ジェイド」
それを崩したくて呼んでみた名前に、やっぱり急に気恥ずかしくなった。なぜかは考えないで、唸りながらカーティス少将のバスローブに手を伸ばす。ぐいと胸ぐらを掴んで胸に額をくっつけた。
「おや、大胆ですね」
「寝ます」
「はい、おやすみなさい」
その挨拶にからかう色がなかったのが余計悔しい。触れたところから伝わる鼓動はちっとも乱れていなかったし、カーティス少将の髪をすいてくる手つきはなんだか手馴れていた。女性との経験のせいか、あるいは妹がいるからか。どっちでも構わないのにそんなことを考えてしまう自分に腹が立つ。
「……おやすみなさい」
同じベッドで眠る相手に挨拶をするなんていつぶりだろう。私は無理矢理意識を落とすためにぎゅっと硬く目を瞑ったが、一日がかりの式典を終えて疲れていた身体はあっという間に眠りについてくれた。


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