EXTRA
アストラルの騎士

※if設定(やきたてラヴ・ミー・ドゥと同じ設定です)
※ホド崩落後

――かくしてオールドラントは障気によって破壊され 塵と化すであろう
――これがオールドラントの最期である
「……ヴァンデスデルカ」
小さな手がヴァンデスデルカの髪を撫でた。また魘されていたのだと、自分の荒い息と汗に濡れた肌でわかる。
あの日からそうだ。ホドを滅ぼし、消滅預言を知ったあの時からずっと。自分たちを救出したユリアシティの住人たちが、実のところはこの事態を預言で知っていてもなお傍観していたのだとヴァンデスデルカは知っている。
預言を絶対だと信じるものたちは、この星の消滅すらも唯々諾々と受け入れるのではないか。そのためにこんなにも長い間、預言はひとびとを支配してきたのではないかと――そう、思ってしまう。
畏れ、敬ってきた始祖ユリアがそんな存在だったのだとは信じたくない。けれどそんな己の心のうちより、今は優先すべきことがあった。
「すみません、お嬢さま。起こしてしまいましたか」
体を起こして、安心させるために苦笑を浮かべる。すると小さな主人は逆に顔を歪めた。
「……ヴァンデスデルカ。そんなかおをしないでください」
「そんな顔、とは」
「わたしのしんぱいはしなくていいの。ヴァンデスデルカ、あなたがくるしいのはいやなのです」
碧い瞳が、暗い室内のかすかな灯りに反射してきらめく。あの研究所で言われたのと同じ言葉だ。けれど今は彼女を連れ去る大人もいない。レティシアの手はヴァンデスデルカの冷たい指に触れて、なぐさめるように握り込んだ。
騎士として守るべきはヴァンデスデルカの方なのに、レティシアはこうしてヴァンデスデルカの心をすくいあげようとする。彼女だけは信じられると思えるてのひらだ。自分よりも小さく、頼りないはずなのに。
「レティシアさま、私は……」
小さな少女が、守るべき貴族の娘が、どうして泣きもうなだれもせずにヴァンデスデルカの手を握るのだろう。だから悪夢でないとわかってしまう。すべてを吐露してしまう。
「はい」
「……預言は、この星を滅ぼします。あなたも、やがて……」
「はい」
「それは……私は、あなたをお守りしなくては。私の剣は、あなたに……」
生まれる前から定められていたことを、誇りに思えど疎ましく感じたことは一度もない。今は亡きレティシアの父も、母も、姉も、そしていずれ当主となるべく育てられていた彼女の兄も、ヴァンデスデルカはフェンデ家の騎士として仕えるべき相手だと心の底から思っていた。
それと、目の前の少女は同じなのかもしれないし、違うのかもしれない。
確かなのは、ヴァンデスデルカが剣を捧げる相手は家ではなく、ただ一人の人間であることだった。
「あなたに、我が剣を捧げます。ヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデがこの身に代えてもあなたをお守りすると誓います」
跪くことすらしないで彼女の瞳を覗き込む。レティシアは少し驚いたように目を瞠って、ゆるく頭を振った。
「いけません、ヴァンデスデルカ」
「なぜです、私では不足だと――」
「しんではなりません。わたしのきしとなるならば、わたしとともに生きなさい」
その命令にヴァンデスデルカは唇を震わせる。剣を捧げ、命を捧げ、しかし身を擲って守ることは許されない。レティシアが必要としているのは盾ではなく剣なのだから。
「はい、あなたのそばに」
子どものままごとと言うにはあまりに重い誓いは二人だけの密室に閉ざされる。星の記憶にすら抗おうとするのならば、ただの子どもではあり続けられなかった。
ふと、高い音が耳を売ってヴァンデスデルカはあたりを見回す。レティシアも同じようにして腰を上げた。
「メシュティアリカがないていますね」
「母上は……いえ、私がまいります」
「わたしもいきましょう」
ヴァンデスデルカの母は崩落から助かったものの、産後の肥立ちが悪く寝たきりのことが多い。わざわざ起こすのも忍びなく寝台から立ち上がるも、レティシアも後についてきた。
「お嬢さまはもうおやすみください」
「いいえ、メシュティアリカがないているのですよ。ほうってはおけません」
頑固な主人にヴァンデスデルカは妹に泣き止むよう祈ったが、赤ん坊はこちらの都合を気にすることなんてない。腹が減ったのか、具合が悪いのか、幾度と相手をしても言葉の通じない相手のことは未だにわからなかった。
「ティア、どうした」
ベビーベッドから妹を抱き上げたヴァンデスデルカは両手に収まる体を揺らしてやる。ふえふえと泣き声を上げる体はやわらかくてずっしりと重い。ガイラルディアやレティシアがほんの小さい赤ん坊の頃にも会わせてもらった記憶はあるが、こうして抱くのは妹が初めてだった。
この一人で立つこともできない存在もいつか、レティシアのように真っ直ぐ前を向くのだろうか。自分がかつてそうであったことも忘れて不思議に思う。
「ティア、メシュティアリカ」
「おなかがすいたのでしょうか?」
「そうは見えませんが……」
その辺に腰掛けると、レティシアも隣からメシュティアリカの顔を覗き込んで手を伸ばしてくる。ばたばたと暴れる手がぺちんとレティシアの指をはじいた。
「こら、ティア」
「おや、ほんとうにごきげんななめですね。ヴァンデスデルカ、こもりうたをうたってあげてください」
「子守唄?……譜歌ですか。わかりました」
妹を泣き止ませる自信はないが、主人のリクエストにヴァンデスデルカは素直に応えた。
地殻に閉ざされた魔界では月明かりすら届かない。譜石の放つ明かりの下で、ヴァンデスデルカはゆっくりとうたった。この世界の礎を築いたユリアすら信じられないのに、この歌はホドの美しい空の下でうたったそれと何ら変わりはない。
赤ん坊の泣き声が止んで、隣の温もりが寄りかかってきて、ヴァンデスデルカは身動きの取れないまま閉じていた瞼を上げた。無垢な瞳がじいと見上げてくる。
「ティア、おまえも大きくなったら……」
その続きは言葉にしなかった。ただ、この譜歌が幼い妹に伝わるようそっと祈った。


- ナノ -