リピカの箱庭
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しばらくしてピオニー陛下に城に呼び出されたかと思えば、地殻の降下についての話だった。手筈を整えてガイラルディア達が戻ってきたようだ。
「ようやくキムラスカが会談をする気になったか」
「キムラスカ・ランバルディア王国を代表してお願いします。我が国の狼藉をお許しください。そしてどうか改めて平和条約の……」
「ちょっと待った。自分の立場を忘れてないか?」
ナタリア姫の言葉をピオニー陛下が遮る。ナタリア姫とルークはきょとんとしていたが、彼らは王位継承者なのだ。長きにわたる冒険で忘れているのかもしれないが。
「あなたがそう言っては、キムラスカ王国が頭を下げたことになる。……止めないのも人が悪いな、ジェイド」
「おや、ばれてましたか」
カーティス大佐が肩を竦める。ピオニー陛下を試しているのだか、それともそうなっても構わないということなのか分からないが、今は対等な立場で和平を結ぶべきだ。互いに合意があった上で預言から外れた世界を容認しなくてはならない。後からマルクトが圧をかけてきたなんて言われてしまっても困る。
「ここはルグニカ平野戦の終戦会議という名目にしておこう。で、どこで会談する?」
「本来ならダアトなのでしょうが……」
「今はまずいですね。モースの息のかかっていない場所が望ましいです」
導師を軟禁して戦争をおっぱじめる人間のいる場所で終戦会議なんてできるはずがない。というか導師はいつ一行に参加したんだろうか。イオンがわざわざ断りに来たときにダアトに行くとか言っていたから、あの後かな。
結局、ルークの提案で会議はユリアシティで行われることになった。それはいいのだけど。
「卿もついてきてくれ」
「……はい?」
なぜ呼び出されたのか不思議に思っていたが、唐突に陛下にそう振られて私は瞬いた。私は終戦会議に立ち会うような立場ではない――いや。
「アクゼリュスの件があったからですか。構いませんが」
「まあ、そんなところだな」
あとは職務上ではなく印象上の問題かもしれない。平和のアイコンとして働いてきたので、行くだけで価値がある可能性がある。表向き、ルークが親善大使に選ばれたのと似たような理由か。
「ですが、ユリアシティは魔界です。伯爵さまのお体に障るのでは……」
メシュティアリカが眉をひそめる。障気蝕害のことを気にしているらしい。というか私が罹っていることを知っていたのか。
「大陸を降下してしまえば魔界に行くも同然になるのです。問題ありません」
「大丈夫なのか、レティ」
「治療も受けているから。今は大したことないよ」
実際、アクゼリュスで障気蝕害に罹った住民のうち無事にホドグラドへ避難できた者たちもほぼ完治に近い状態に持っていけている。私はそのうちで結構悪い部類に入っていたらしい。
ガイラルディアもメシュティアリカも心配そうだったが、ユリアシティに行ったところで今すぐ死ぬというわけでもない。それにピオニー陛下自ら行くというの嫌ですとは言えない。
そんなわけで私も会談に参加することになり、ガイラルディアたちはアルビオールの飛行譜石を取り戻すためにダアトへ向かった。ユリアシティへ行くのに必要だがネイス博士に取り上げられたままなのだとか。
一行を見送った後も私は残るように言われてピオニー陛下を振り返った。
「障気の研究について一番進んでいるのはレティシアの研究所だからな。そのあたりの要項も平和条約に盛り込ませてくれ」
「承知しました」
なるほど、その話もあったか。今一番被害を受けているのはアクゼリュスの住民たち……ではないか。
「陛下、ならばケセドニアの民への支援も考えてくださいますか」
「ケセドニア?ああ、もうあそこは魔界に降りているのか。少なくない住人が障気に中てられているだろうな。それにルグニカ平野に取り残された兵士たちのこともある……」
「準備が必要でしょう」
「そうだな。……レティシア、これはこちらで手配する。障気関連のことだけ考えていてくれ」
「よいのですか?」
難民支援で言えば私もまあまあ手慣れたものである。こんなもの手慣れないほうがいいんだけど。
「ホドグラドの避難民対応で忙しいだろう。今のお前にこれ以上の無茶をさせる気はないさ」
「ですが……」
「レティシア」
ピオニー陛下に譲る気はなさそうだ。私は頷いて了承の意を示すしかなかった。
陛下はふと口をつぐんで、視線を遠くに投げかける。玉座に座っているとはいえ、こんなにもたれかかるようにリラックスしていてはただの上等なソファのように見えた。
「……ようやくだな」
ぽつりとつぶやきが落ちる。
「レプリカがその引き金になるとは思わなんだが……ようやくだ、レティシア」
「ピオニーさま」
宝石の瞳が私を映す。思い出すのは雪に包まれた街での出来事だった。あのときの約束を私もピオニー陛下も覚えている。
「預言のない世界、か。ここまで来てもまだ半信半疑だがな」
「……ですが、歩みは止められないのでしょう」
「賽は投げられている。あの日からな」
ピオニー陛下が目を眇める。こうなると決まったのも、動かすのも、レプリカが生まれたからではない。それは自分自身の意思だ。
「楽しみに思えますか?陛下」
「恐ろしくは思えるな、レティシア。だがそれも今更だ。お前の言う通り、楽しみに思うことにしよう」
陛下すらそう言うのだから、民がどう考えるかはわかりきっている。その局面を乗り越えてこそ、世界は預言から解放される。
「では、私も陛下の手腕に期待させていただきましょう」
臣下としては不遜すぎる私の言葉に、ピオニー陛下はただの微笑むだけだった。


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