リピカの箱庭
幕間21

レティシアは、ガイにとっては妹で、そして他の皆と違う存在だった。
一つは、双子であること。レティシアがどこにいるのか、ガイにははっきりとでなくても方向やおおよその見当はついた。それはレティシアのほうも同じだった。だからふたりでするかくれんぼはいつも意味がなかった。
居場所だけではない、何を考えているのかが分からなくても、喜んでいることや悲しんでいることだって分かった。体の強くなかったレティシアが夜に泣いていたことを、ガイはよく覚えている。
もう一つはレティシアがひどく大人びていたことだ。大人びた、という表現が正しいか分からなかったが、幼いころに大人顔負けの譜術をつかいこなして難解な本を読んでいたのは確かだった。他の人とは違うのだと理屈ではなく感覚で思っていた。それにガイが恐怖や劣等感を抱いたことはない。生まれたときからそばにいるレティシアはずっとそうだった。それだけだ。
妹を守るべきだと思うのと同時に、レティシアなら大丈夫だという確信もあった。レティシアは失敗しない。たとえ、一人で夜に泣いていたとしても。
でも、それは間違いだったのだと思う。
ガイは復讐を選んだ。家族が、親しい人たちが、目の前で殺されて、それ以外考えられなかった。グランコクマに行くのは逃げだと思ってしまった。
――違う。結局自分は逃げたのだ。知っていたのに、一人で泣く妹がいると分かっていたのに。復讐にしか向いていなかった視野が広くなってもなおレティシアから目を逸らしていた。
だからこんなことになったんだと自嘲した。背中を斬りつけた感覚が痛いほど鮮明で吐き気がする。どうしてルークをかばったのかはなんとなくわかっていた。自分がルークに向けているのが殺意だけでないとレティシアが知っていたからだ。
「最悪だ……」
罰のように降り注ぐ記憶たちにガイは呻いた。フラッシュバックする屋敷の惨状。姉を斬りつける憎い男。斃れる妹の背中と血。こちらを見上げるルークの表情。ごちゃごちゃに絡み合う糸をどうにか解こうとあがく。
「ガイ、大丈夫ですか?」
耳から入ってくる声はひどく清廉だった。それに救われた気持ちになりながら瞼を上げる。
「ああ……。イオン……?」
見上げたイオンの顔色はどこか悪い。自分が今いる場所がどこなのか考えながら、ガイは脳裏にこびりつく記憶から意識を逸らそうとした。しかしすぐにそちらに意識が引き戻される。
「ここは、……ッ、レティは!?」
跳び起きたガイにイオンとその隣のアニスが驚いた顔をする。さらにその後ろから声が飛んできた。
「落ち着きなよ。ガルディオス伯爵は無事だ。ここはグランコクマの伯爵邸。ちなみにあんたのお仲間は今城でマルクト皇帝と話をしている」
イオンと同じはずの声、けれど冷静でワントーン低いそれは全く別人のように聞こえる。ガイはおそるおそるそちらをうかがった。壁にもたれかかって、ノイと名乗った従者がじっとガイを見つめている。
「あんたはカースロットに侵されてたんだ。ダアト式譜術の一つで、殺意を増幅させるやつ。で、それをその導師サマが解呪してたってわけ」
「……、そうだったのか」
一気に告げられた情報をゆっくり飲み込む。「ガイ……」と心配そうに見てくるアニスに微笑む余裕が出てきたことに安堵する。
「ルークのやつが帰ってきたら、話をしなきゃな」
いつも通りのガイ、それにアニスはほっと表情を和らげた。けれどガイの内心は穏やかではなかった。殺意を増幅する、さらりと告げられた言葉はきっとルークも知っているのだろう。正直に話すしかない。どこまで話すか――それももう考えるだけ無駄なのだろう。
ついに来てしまったのだ。目を逸らしていたこの場所に、グランコクマのガルディオス伯爵邸に。
懐かしい気持ちになったし、同時に知らない場所にいるという正しい事実も胸に刺さっていた。

ルークたちとの話を終えた後、ガイはレティシアに案内され屋敷の騎士たちと顔を合わせた。
正直あまりいい感情を向けられていないと思う。ガルディオス家の爵位を継いでいるのはレティシアだが、もともとの跡継ぎはガイラルディアだ。今更出てきてどういうつもりだというところだろう。彼らにとっての主はレティシアだけだ。それだけの実績が妹にはある。
しかし厄介なのは、レティシア自身がガイラルディアを正統な後継者として見ていることだった。その口ぶりがガイラルディアを見る視線を冷ややかにしていたのもある。
「ガイラルディア様。あなたはいずれここに戻られるおつもりですか?」
ガルディオス家の騎士、エドヴァルドはずっとガイラルディアについていたペールギュントの甥だ。ホドにいた頃の彼のことはガイラルディアも覚えている。
その騎士に二人で話をしたいと言われて切り出された話題にガイは苦く笑った。
「ああ。ガルディオス家の者と分かればファブレ家の使用人なんてやってはいられないからな。ことが片付いたらペールとここに戻るつもりだ」
戻る、という言葉がどこかおかしく感じられる。でもここがホドの代わりの唯一だ。
「だがお前の懸念も分かる。俺の立ち位置だろう、エドヴァルド」
「……恐れながら。あなた様がガルディオス家の跡継ぎであったというのは事実ですが……」
「レティシアを退ける理由もない。今のガルディオス伯爵家があるのは妹の功績だ。私情に目がくらんだ俺よりよっぽどふさわしいさ」
ガイだって何もレティシアの地位や伯爵家の中を脅かしたいわけではない。だが、ファブレ家の使用人を辞めて戻る場所はここしかない。なにより今度こそレティシアを放ってはおけなかった。
「そこはレティと話をするさ。帰ってきてからになるが」
「かしこまりました」
「さて、俺も一つ確認したいことがある。いいか?」
レティシアを交えて話をしなかったのはこのためだ。ガイは乾いた唇を舐めた。
「――ヴァンデスデルカのことだ」


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