リピカの箱庭
77

コンコン、とドアを叩く音で目が覚めた。治療を終えてから私はほとんど眠りっぱなしだった。まだ埋め込まれた異物感はぬぐえないが、そのうち慣れるだろう。
イオンはフードを被ってドアへと歩いていく。鍵を開けて開くとメシュティアリカが立っていた。
「あなた……」
「何?」
イオンを見下ろして何か言いたげにしていたメシュティアリカは、すぐにはっとこちらに顔を向けた。泣きそうな表情になってからどうにか取り繕おうと顔をしかめるのが分かった。
「ユリアシティに到着しました。下船は……できますか?」
「ええ、でも先に行っていてください。少しかかります」
歩くのがいくらか難儀しそうな状態だ。痛みは慢性的に体を支配していて、慣れてきたとはいえ傷が深いとどうも自由にはなれない。
「伯爵さま……すみません、私が……残っていれば」
「あなたの責任ではありませんよ」
「でも、伯爵さまを置いていったのは、私です。私のせいで」
「グランツ響長。今は反省するよりすべきことがあるはずです」
しゅんと眉を下げるメシュティアリカの言葉を遮って告げると彼女はためらいがちに頷いた。それに、メシュティアリカの責任でないというのも確かだ。気に病む気持ちも分かるが、それより大切なことがあるだろう。……死んでいたらさらに気に病ませていたかと思うと、いくらか反省すべきかもしれない。
メシュティアリカが出て行ったところで私もどうにかベッドから立ち上がった。よろけるとイオンの手がとっさに体を支えてくれる。片目が見えないせいで遠近感もうまくつかめないし、参ったな。全てシャットアウトするのではなく、良い感じに音素だけ見えるように調整できないものか。そうすれば足りない視野も補えるのだけど。
「ちょっと、気をつけてよ。僕じゃあんたを抱えられないんだから。またあのガイってやつ呼んで来ようか?」
「……セシル殿をですか?」
急に出てきたガイラルディアの名前につい尋ねるとイオンは頷いた。私は彼から壁に体重を移してフードを被った顔を見下ろす。
「崩落した後あんたを見つけたの、そのガイってやつだよ。なんで見つけられたんだか知らないけど、怖いくらいにまっすぐこっちに来たんだから」
「……」
そうか。ガイラルディアも……私を見つけられたのか。私を見つけてくれたのか。記憶はおぼろげだが、言われてみれば一度ガイラルディアと言葉を交わしたような気がする。きっとイオンは私とガイラルディアがただの他人でないと気がついているのだろう。でもそれを口にしないということは、ガイラルディアと何か取り決めでもしたのか。どちらにせよ、ガイラルディアが決めたことなら私が口を出すことでもない。
「いいえ、問題ありません。少し時間はかかるかもしれませんが、あなたのおかげで傷も塞がっていますし」
「傷だけはね」
そんな言葉を交わしながらゆっくりと足を動かす。幸い、艦内の出入り口に近い部屋だったおかげでそう長い距離を歩かずに済んだ。
タラップを降りようとすると怒鳴り声が聞こえてくる。
「そうだよ!おまえは俺の劣化模写人間だ。ただのレプリカなんだよ!」
声の主はすぐに分かった。燃えるような赤い長髪の後姿と、彼と鏡写しの顔をした少年。イオンが嫌そうに舌打ちしたのが聞こえた。レプリカの話題は彼にとってもやはり鬼門か。
「う……嘘だ……!嘘だ嘘だ嘘だっ!」
混乱した様子でルークが剣を抜く。そのまま斬り合いになったのを見て、私は急いで段差を降りた。止めさせなくては。というか、周りも呆然と見ていないで止めてくれ。
「くっ……。同じ技ばかり……」
「てめえがレプリカだからだろう!」
剣戟の音が響く中歩いていくと、「ガルディオス伯爵!」とイオンに腕を掴まれる。それに彼が反応して一瞬こちらを見た。
「君」
キン!と剣をはじく音が耳に障る。なるべく平坦な声を出すように言葉を続けた。
「弱いものいじめはするものではない」
「……弱いものいじめだ?」
相対するルークの剣を持つ手も止まる。ルークは困惑しているようで、他方彼の射殺さんとばかりにこちらを見る瞳はぎらついていた。その剣がこちらに向けられてもおかしくはないのかもしれない。できるものならしてみればいいと思う。
「たった七つの子どもだろう。いじめるものではないよ」
「……おまえ」
つかつかとこちらに歩み寄ってきた彼は立ちはだかるイオンを払いのけて私の胸倉を掴んだ。「アッシュ!」叫んだのはきっとメシュティアリカだ。
「おまえに何がわかる!」
「何もわからないな。見たままを言っただけさ、『ルーク』?」
「その名前で呼ぶな!」
突き飛ばされて、私は情けなくそのまま尻餅をつくしかなかった。普段ならよろけるくらいで済んだのだろうけど今のコンディションは最悪だ。自分でやったくせに悲壮感でいっぱいの表情でこちらを見下ろしてくる彼を見上げた。
「では、アッシュ。頭を冷やすといい。君は『ルーク』を見ると冷静ではいられないようだからね」
「うるさい!」
怒鳴ったアッシュはそのまま踵を返した。私はイオンの手を借りて立ち上がる。ルークもいつの間にか気を失っていたようで、そっちはガイラルディアが介護してくれていた。
「あいつ挑発するとか何考えてんの、あんた」
「挑発しているつもりはなかったのですが」
呆れたようにイオンが言うのに素直に返すと、さらに深いため息をつかれてしまった。いやほんとに、頭を冷やさせようとしただけなんですけど。
「伯爵、お体に障りはありませんか?」
心配そうにこちらに声をかけてきたのは導師だった。横でタトリン奏長ことアニスもこちらをじいっと見上げてきている。私の後ろのイオンは不気味なほど静かだった。
「ええ、これくらいは」
「アッシュったらひどいですよね!こんなお怪我されているのに!本当に大丈夫ですか?」
「鍛えていますから。ご心配なく」
「でもでも、無理はしないでくださいね〜?」
無邪気に言う裏に何か隠されている気がして私は曖昧に微笑んだ。なんだこれ。アニスが私に何か含むことってあるのか?彼女基準で金持ちではあるから、恩を売っておこうとか?
「タトリン奏長のような可憐なお嬢さんにそんなことを言われてしまったらできる無理もできなくなってしまいますね」
「きゃっ、伯爵サマ素敵〜!アニスでいいですよぅ!」
……なんか対応を間違った気がする。イオンの視線が冷たくて、私はユリアシティの中心部に辿り着くまでの間一人気まずい思いをする羽目になってしまった。というかなんなんだこの両手にイオン(とアニス)状態は……。


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