リピカの箱庭
幕間17

案内された部屋のソファには全員座りきれず、ルークとナタリア、イオンだけが腰を下ろす。三人の向かいに座った伯爵が口を開いた。
「遠路はるばるおいでいただき感謝しております。使用人もみな避難させておりますので、茶も出せず申し訳ありません」
「え、ああ。それで……師匠、ヴァン謡将はどこにいるんだ?」
ようやく思い出したルークが尋ねると、伯爵は表情を変えずに淡々と答えた。
「グランツ謡将は坑道での救出活動にあたっております。すぐにとはゆきませんが、ご希望でしたらお呼びいたしますが」
「いや、俺が行くよ。師匠のこと待たせちゃってるし」
「それは危険です。先遣隊も合わせた救援隊撤退まであと数日かかる予定です。それまでお待ちいただきたい」
取りつく島もない伯爵の言葉に、ルークはむっと表情をゆがめた。
「待ってろって、じゃあ何してろって言うんだよ。ただ来ただけになるじゃねえか」
自分は英雄になりに来たのだ。それなのに、危険だなんて言って行動を制限されるのは気にくわない。後ろで「そうですわ!」とナタリアが同調する。
「私たちは救援に参りましたの。危険は承知の上です」
伯爵はちらりとナタリアを見てからルークに視線を戻す。
「大使殿、お連れの方をご紹介いただけますか」
「え?えっと」
「私はキムラスカ王女、ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディアですわ」
ルークが紹介する前にナタリアは自分でそう名乗った。ガイに後ろからつつかれて、ルークはほかの面々の顔を見回す。そういえば自分以外の自己紹介をしていなかった。
「で、こっちが俺のとこの使用人のガイ。そっちが導師のイオン。ティアとアニスはローレライ教団のやつだ。ジェイドのことは知ってんだろ」
「お初にお目にかかります、ガルディオス伯爵。ローレライ教団導師イオンです」
「ローレライ教団神託の盾騎士団導師守護役所属、アニス・タトリン奏長です」
「ローレライ教団神託の盾騎士団情報部第一小隊所属、ティア・グランツ響長であります」
「ルーク様の使用人のガイ・セシルと申します」
イオンに続いて名乗った三人を見回して伯爵は頷いた。
「導師殿御自らいらしてくださるとは、ローレライ教団は今回の件を重く見ていらっしゃるのですね。ご尽力感謝いたします」
伯爵はイオンに向けていくらかやわらかくそう言う。だが、ナタリアに対しては歓迎するでもなく訝しげな顔をするだけだ。
「ですがキムラスカの王女までもが救援隊に参加しているとは聞いていませんね。カーティス大佐、説明を」
「私も高貴なお方のお考えは分かりかねます」
水を向けられたジェイドは肩を竦めた。ナタリアは対照的に胸を張って堂々と告げる。
「それはもちろん、両国の和平のためですわ。このような大変な時に私が城で待っているわけにはいきませんもの」
「キムラスカの姫君はご立派な思想をお持ちのようだ。ですが御身を危険に晒すほどのこととは思いません」
「何を……」
変わらず淡々と言う伯爵に、拒否されると思っていなかったのだろう、ナタリアは言葉に詰まった。ナタリアの威光もマルクト人には効かないらしい。ルークはそう思ったが、次の言葉で自分も同じように思われていることを思い出した。
「大使殿、姫君。あなたがたはこちらでどうかお待ちを。そうでなくては安全を保障することはできません」
「安全安全って、だから分かって来てるって言ってんだろ!」
耐えきれなくなってルークが噛み付くと、伯爵は心底理解しかねるという表情で、物分かりの悪い小さな子供を諭すようにゆっくりと告げた。
「何をおっしゃいます。ここにいらっしゃることが大使殿のお役目でしょう。救援の作業に参加されるためではありますまい」
「……え?」
ここに来ただけでいい。ここに来ることだけがルークの役割なのだから、それ以上は何もするべきではない。ルークはすべての問題を解決して英雄になるために来たのに、伯爵はまるで逆のことをルークに言う。
「ファブレ公爵家の方とお会いでき光栄に思います」
「なに……何言ってんだよ。わけわかんねえよ」
思わず立ち上がってルークは伯爵に掴みかかろうとした。「ルーク!」二つの声が、ガイとジェイドがルークを押しとどめる。腕を掴まれてルークはガイを睨んだ。
「伯爵、皆さまお疲れのようです。休める部屋にご案内いただけますか?」
「ええ。部屋の準備をしますので少々こちらでお待ちを」
ジェイドが勝手にそう言って、伯爵は何事もなかったかのように頷いた。イオンも場をとりなすように軽く頭を下げる。
「ありがとうございます、ガルディオス伯爵」
「また険しい山道を下ることとなります。ごゆっくりお休みください」
ジェイドが部屋のドアを開け、伯爵が出ていこうとする。それを呼び止めたのは立ち上がったナタリアだった。
「お待ちになって」
伯爵が金の髪を揺らして無言で振り向く。ナタリアは緊張した様子で胸の前で手を組んだ。
「私は治癒術師としての学問も修めていますわ。階下での治療の手伝いも危険だとは言いませんわよね」
「……現場の指示には従っていただきますが」
何かを確かめるようにジェイドと視線を交差させた伯爵は頷いた。ほっと息を吐き出したナタリアはいてもたってもいられないと言わんばかりに部屋を出ていく。伯爵はそれを止めなかったが、ナタリアへの感情はいいものではなさそうだった。
「では、失礼します」
伯爵も部屋から出ていった。ルークはどすんとソファに座りなおしてあからさまなため息をついた。
「なんなんだよあいつ!」
憤るルークにジェイドは素知らぬふりをして、イオンは眉を下げた。ガイがどうどうとルークを宥める。
「ルーク、落ち着けって。もう危険な目に遭わなくていいってことだろ?いいじゃないか、帰りはヴァン謡将と一緒だぞ」
「そうだよぉ。それにしても、ガルディオス伯爵って思ったより若かったなあ。かっこいいし〜」
きゃは、とアニスがはしゃぐのが癇に障る。ティアが呆れた顔で「アニス、伯爵は……」と言いかけたのが聞こえずルークは声を張り上げた。
「よくねーよ!大体俺があいつの言うこと聞く必要もねえだろ。師匠は坑道にいるんだろ?今から行ってくる」
言ってからそうすればいいのかとルークは自分で納得した。だがジェイドの冷静な声が押しとどめてくる。
「頭を冷やしなさい、ルーク。我々に疲労が溜まっているのは事実です。ヴァン謡将を手伝いに行ったとして、役に立てるかは分かりませんよ」
「でも、早くしないと」
「幸い住民の避難は進んでいるようですからねえ。休んでから行ったとして大差ありませんよ。あなたの好きなヴァン謡将に迷惑はかけたくないでしょう?」
ジェイドの言葉には一理ある気がして、ルークは言葉に詰まった。それに、こうして一度座ってしまうと疲れがどっと出てくるようだった。
「しかたねえなあ。わかったよ」
急に投げやりな気分になってそう吐き捨てる。イライラして頭が痛いくらいだ。頭上で交わされる困ったような視線にはちっとも気がつかなかった。


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