リピカの箱庭
幕間16

長く続いた険しい山道を越えるとようやく街の全貌が見えてくる。ルークは切らした息を整えながら街を見渡した。
「これは……」
隣でガイが絶句する。ルークも同じ気持ちだった。街は障気で満ちていて、到底人が暮らせる環境なんかではないとわかる。苛立たしさが少しだけ恐怖に上書きされた。
ここに来るまで腹立たしいことばかりたった。人々はすでに避難を始めていて、親善大使の自分に無断で、まるでいなくたっても構わないとばかりに判断を下す伯爵が気に入らなかった。途中で邪魔をしてきた魔物使いとフードの少年もルークにとっては意味のわからない話ばかりして、まるでヴァンを糾弾するかのような口ぶりがムカついた。撃退はしたが――正確には降りてきた避難民を見て彼らが退いたのだったが――そのせいで到着が遅れたのは確かだ。
はやく師匠に会いたいとルークは思う。そしてこの障気から街を救えば皆考えを改めるだろう。無駄な避難指示を出した伯爵にも一矢報いてやれる。
「早く行くぞ!師匠が待ってるんだ」
ルークがずんずんと歩き出すと皆もついてくる。街には不自然なほど人気がなかったが、中心部に行くとちらほらと人の姿が見えてきた。
「あんたたちキムラスカ側から来たのか?」
そのうちの一人がルークたちに気づいて声をかけてくる。ルークの後ろでジェイドが頷いた。
「ええ、アクゼリュス救援のためやって参りました。ガルディオス伯爵にご挨拶をしたいのですが、どちらにいらっしゃいますか?」
「伯爵様か?お屋敷にいると思いますよ。あそこの建物でさあ。んだけど、今は……」
「あそこか!わかった」
住民の言葉を遮ってルークは一目散に歩き出した。伯爵のところに行けばおそらくヴァンにも会えるだろう。「ルーク!」ガイが呼び止めるが、今更待ってなんていられない。道中にやたらと魔物が襲ってきたせいで、ただでさえ遅れていたのにかなりヴァンを待たせることになってしまったのだ。
「ちょっとルーク、落ち着きなさい!」
「うるせえな、師匠が待ってんだって!」
ティアも何か言い募るが、ここまで来たら関係ない。開いている屋敷の門を勝手にくぐって、その先の玄関も開け放たれていたので中を覗いてみる。何人もの人の慌ただしい気配にルークは目を丸くした。
「消毒液はどこ!」
「重傷者から順に癒していきます!」
「次はこっちを頼む!」
「清潔な包帯が足りません!」
本来は玄関ホールだろう場所には沢山の傷ついた人たちが横たわっていた。どういうことだ、と息を呑む。追いついてきた他の皆もまるで野戦病院のような有様に絶句していた。
「ガラン!洗濯済みのシーツを持ってきた」
「よし、それを包帯に使え。現場はどうなっている」
「伯爵の封咒で現状地盤は落ち着いていますが、行方不明者も出ています!現在グランツ謡将の指揮下で捜索に当たっています!」
「わかった。ジェラルド隊の避難状況は」
「信号確認できました!山道は抜けたようです。負傷者もなし!」
「よろしい。ではヘイリー隊の避難準備を開始しなさい」
その中で一人、指示を出している人間がガルディオス伯爵なのだろうとルークはあたりをつける。想像よりもずっと若い人物だった。かすれ気味の声がよく通る。くすんだ金髪を背中に流し、軍服に似た仕立ての服を着ているその人は貴族というより軍人のようだ。ルークの視線に気がついたのか、くるりとこっちを向いて碧い瞳を細める。
「そこ、立ち止まるな。邪魔だ」
決して大声を張り上げたわけではないのにその迫力と、正面から見ると血で汚れた服にルークは上手く言い返せなかった。けれどこういう時でも冷静なのがジェイドだ。ルークの背中をぐいぐいと押して扉の脇に避ける。
「失礼いたしました、ガルディオス伯爵」
「……おや、カーティス大佐」
一瞬ジェイドに視線をやった伯爵は、どこか冷たい目をしたままルークに視線を戻した。恭しく一礼する。
「親善大使殿のご到着とは気付かず、こちらこそ失礼いたしました」
「あ、ああ……。あんたがガルディオス伯爵か」
「ええ、マルクト皇帝陛下よりこの地を任せられております。御身はルーク・フォン・ファブレ殿でよろしいか?」
ごくりと喉を鳴らしてルークは頷いた。その様子を伯爵の後ろから眺めていた男がそっと耳打ちする。
「伯爵、着替えられたほうがよろしいかと」
ルークの顔色が悪いのは服に付着した血のせいだと思ったらしい。ルークには聞こえなかったが、伯爵は一瞬首を傾げてから自分の服を見下ろして納得がいったようだった。
「……む。アシュリーク、お前の上着を貸しなさい」
「ええー」
アシュリークと呼ばれた男は気安い態度で肩をすくめたが、言われた通りに上着を脱いでガルディオス伯爵に手渡した。それを上から着ると血は見えなくなる。それでもルークは落ち着かない気分だった。
「私は大使殿をご案内する。後は頼んだ」
「承知いたしました」
簡単に指示を出してから伯爵はルークたちへ向き直る。「お疲れでしょう、こちらへ」案内されるままに階段を上って行くしかなかった。


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